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仏教の教育論 ~学びと性格について~(スマナサーラ長老の法話より)

2012年11月29日 新宿朝日カルチャー 智慧が現れない理由2 

教える内容が生徒の性格に合わない場合、「学び」は成立しないのです。仏教は生徒の性格を気にします。しかし、基本的に仏教の真理は誰の性格にも合わないのです。教える側が、教える内容と性格との共通するところを探して、そこから教育をスタートするのです。

・学ぶことと才能

「やればできる」という決まりは成り立たないのです。やってみてもできないこともあります。各人に「向き・不向き」があるのです。自分に向いた学問チャネルを見つけられれば幸いです。たくさんの人が向いてない事を強引にやらされて苦労しているのです。(例:医者に向かない人が医学を学んでドロップアウト)

自分の才能にあった学問であれば、みんな楽に学んで成功するのです。しかし、自分の才能にあった学問・生き方などは、まず発見できないのです。周りが勝手に自分の教育プランを作るので、学ぶ人は否応無くそれに乗らなくてはいけない、という現状です。

結果として、世界の教育現場は問題だらけです。教育世界は問題世界。非常に危険な状況です。これは、若者が他人の敷いた道を歩んでいるから起こっていることです。(親は子供を世間に賞賛される道に乗せたがるのです。)

・性格

学びを成功させるには、学人の性格を発見しなくてはならないのです。性格とは「向き・不向き」のことです。才能という言葉に、価値観を入れないでください。あれは能力のことです。性格とは能力のことなのです。

世界の教育は人を育てることを目的にしていないのです。「社会に必要な人材」を作ることを目的にしています。……昔は学問は金儲けの手段ではなく、「金持ち」がやっていたのです(ギリシャなど。イギリスも)。

・性格の金型

人間を同じ性格金型でプレスしようとするのが現代的教育です(日本でこれを見て驚きました)。でもこれは無理です。危険です。トラブルだらけです。……自殺する子供、学校で乱射事件起こす子供……、金型プレスに失敗したんですね。

共産主義政権では失敗に終わったことです。北朝鮮は金王家を崇拝させます。中国も情報統制して金型が壊れないようにする。自由と言われる国々でも「社会の成功者」という金型で人をプレスすることを実行しているのです。日本だったら、いい学校を出ていい会社にはいれば安心だと。いまそうなってないのだから、若者にとってはチャンスです。でも勇気がないんですね。アメリカン・ドリームというのも恐ろしい金型です。世界がどうなっても一人だけべらぼうに儲かればいいというのですから。

・性格とは本性

性格とは人の本性です。いまは性格金型教育の失敗によって、皆才能を発揮できないお荷物人間になってしまっています。仏教では人間がいればいるほど幸福だと言われているのに……。

人類は自分で問題を起こしておいて、問題だ問題だと泣くのです。為政者や支配層の失敗は、巧みなレトリックによって一般国民が犯人にされます。しかし、金型で洗脳されているから気づかないのです。才能を発揮して生きてきたならば、歳をとればとるほど社会の役に立つはずです。

本性は生まれつき持っているものです。本性の上に様々な生き方、価値観などを上乗せするので、複雑でわからなくなるのです。どのような生き方を教えても、その知識は自分の本性に合わせて理解するのです。

例えば、本性の良い人間が、悪人の仲間になろうとすると苦労することになります。何とか合わせても人生への疑問・不安をずっと抱えることになるのです。しかし他の道があることは分からないのです。

芸術的な本性の人が医学を学んでも大した医者にならないのです。かっこいい医療器具の開発に向かうかもしれませんが。

・性格の改良・改革は難しい

性格改良も、人の遺伝子を改良して別人にすることと同じく難しいのです。しかし「性格はこころの問題」なので、決して変えられないと言ってはなりません。人はよりよい人間になろうと努力するが、成功に達するのは難しいのです。いつ本性がバレるのか分からないのです。

何十年も良い性格を実行すること、本性に気づいて常に戒めること、強い意志・意欲があること、諦めないこと、理性を育てること、世間に対して「隠すべきもの」を持たないこと、などで性格を改良できるのです。

・本性も変化するもの

本性は無始なる過去から輪廻転生する過程でできあがるのです。今世の生き方は、過去世の生き方によって形成されます。しかし今世に合わせるためにいろんなことを学んだり実行したりするので、本性に合う生き方で過ごすことはできないのです。持って生まれた性格と、この世の中で生きていくために必要な事を学んで、(今生の)性格を作るのです。

それによって、本性は影響を受けます。変わります。死後、その影響を受けて、変わった性格になります。いくら変わっても容量があります。それも憶えておいてください!(仏教では心の容量を無量に大きくして善で満たす修行をするのです。)

・自然浄化

もしそのように本性が変わるとすれば、生まれ変わる度に人格は改良しているのではないかと疑問生じますね。それはあり得ないことです。意識的に努力しない限り、性格は良い方向へ変わらないのです。修行・実践によって浄化するのであって、また心の容量も上げなければならない(大きくしなければならない)のです。

・性格タイプ

無始なる過去から輪廻転生しているといっても、性格タイプは無数にあるわけではないのです。

・二重(多重)性格

人は自分の本性に気づかないのです。世界から入る情報について、受け入れたり、拒否したち、気に入ったりいらなかったり、ということで微妙に気づく程度です。この世で受ける躾を本性の上に乗せて、新たな実行性格を作ります。社会に合わせて複数の実行性格を持っている人は少なくないのです。

多重人格は西洋の心理学では悪いといいますが、これは普通のことです。

・教育と性格

俗世間の教育・知識・技術に対して、性格はそれほど問題にならないのです。基本的に命を守るため、生計を立てるために、できあがった知識世界です。生きていきたい、死にたくないという衝動は人間も動物も共通しています。(この基本衝動に合わせてもあらゆる知識体系が組み立てられているのです。)

それでも自分の本性に合わない知識・技術を学ぶことは難しいのです。理論的には誰でも生きていきたいという目的で学校に行くのですが、そこで性格が絡んでうまくいかないことがあります。貪瞋痴で目が霞んで自分に合わない道を歩んだり、親に引かれた道を歩んだり、色々選んでみたりして、失敗する人もいます。たまに自分の性格にあう道と出会える人もいるのです。

・(仏教)学びと性格

仏道の目的は、性格を完成する、心を完全に清らかにする、解脱に達するなど、言葉たくさんあっても同義語です。性格を変えるために学ぶのです。収入を得るためではないのです。仏教では、教える側が学ぶ人の本性を知る必要があるのです。

Personally types 

1欲、2怒、3痴、4信、5思考、6智 の6種類 ※これは良い悪いではないただの性格。

学生は仏法を自分の性格に合わせて理解するのおです。師匠は、理解を訂正して、人格完成へと導くのです。(釈尊は、あまり頭がシャープでない人には、次第説法をする。智慧者には本質をズバリ説くのです。)

1欲、2怒 :欲や怒りの影響を受けて理解・判断をする。

3痴 :学んでも理解・判断に達しない。(日本人に多い? 日本は白黒はっきりしない曖昧を尊ぶ文化なので元々シャープな人も上乗せで曖昧性格になってしまう。)

4信 :他人の判断に従う。

5思考 :理解・判断に時間がかかるか達しない。(これも日本社会でよく見られる。延々と会議して何の結論にも達しない。)

6智 :自分で判断する。(人の判断に乗らない。判断の責任は自分で持つ。)

・学ぶとは「影響を受ける」こと

天才でない限り、ひとは他人から学ぶのです。人の運命は環境と受ける影響で決まり!

・善友・法友

意味:人格完成へと導く人です。

「サーリプッタよ、善友がいることは、仏道実践のすべてであります。」善友に巡り合うことで仏道は完成するのです。八正道を実践して解脱に達するには善友は欠かせません。善友とはお釈迦さまのことです。

・法友とめぐりあう

他人の影響・指導・教えなどが人の成長に対して絶対的条件になります。(これが他力思想の元ネタですかねぇ?)善友ほどの宝はありません。

・人生を変えた人

世間でも、良い人と出会うと人生は幸福になる、成功します。逆もしかりです。人はほとんど貪瞋痴の衝動で生きていて、自我中心です。善友と巡り合うことは稀です。

・善友と友人

善友は目上のひとです。教え・導きをいただく人です。自分が影響を受けて人生を向上するのです。友人とは相互的です。よい影響ばかりと言えないのです。

・類は友を呼ぶ

すべての生命は似たもの同士で仲良くする。これは過去未来現在に通じる普遍的な法則であると釈尊は説きます。その人がどんな人か、つきあっている仲間を見ると発見できるのです。

・グループを全体的に観る

無知の人は無知の人と仲間をつくる。気づきの無い人は気づきの無い人と…… 似たもの同志集まっているのです。

・智慧を阻害する危機

皆、性格に合う仲間を探し求めているのです。自分が善性格ならとても良いが、反対は危険極まりないことです。怒りの人が似た仲間と一緒になると……。

・本性とidentity

似た仲間が見つからないとidentityを探す。本性=identityです。よい人間になりたいなら、人格向上させたいなら、たとえ居心地が悪くても優れた人々と付き合うべきです。本性は破るべき、壊すべきです。

とはいえ、性格が合わないのは苦痛です。だれでも嫌がります。だからいくら学んでも智慧が現れないのです。善友とつきあう時は、スムーズに行かないことを覚悟しなくてはならないのです。

しかし人格が向上していくと、善友が自分の本性にあった仲間になっているのです。

・本性を破る戦い

善友の影響で本性を破ったところで現れるのが「智慧」です。善友にめぐりあって本性を破るのです。破ったところで現れるのが「智慧」です。類友問題は智慧の障害です。

Facebookのノートにメモしていた文章をブログで順次公開していきます。

デキる人の秘密―仏教の性格判断と能力開発法

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~