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大分講演会「あなたの人生がウマくいかないのにはワケがある~ブッダに教わる人生で大切なことと捨てるもの~」(スマナサーラ長老の法話より)

2012年10月21日(日) スマナサーラ長老 大分講演会&初心者冥想指導

『あなたの人生がウマくいかないのにはワケがある
 ~ブッダに教わる人生で大切なことと捨てるもの~』

主催:明西寺 場所:アクロスホール

以下、講義中のメモから構成しました。

人生の基本プログラム

……私たちは、「どのように生きていくべきか?」という基本プログラムをしっかりしてから、他のことに取り組んだ方がいいのです。社会は発展してるといいつつ、生きることだけは大変です。ネットの発達で、面と向かってコミュニケーション取れないようになっている。テキストのやり取りだけで感情むき出しに動物のようにいがみ合って、かえって人間らしさを失ってしまっています。

ものごとは多面的に見るべき

果たして人類は、発展しているのか、退化しているのか、墓穴掘っているのかよく分からなくなっている。発展といって、命の基礎である自然を壊しています。ご飯をかける前に、塩と一緒に細菌や青酸カリをかけているようなもの。生きることの苦労は昔からあったけど、一向に人間の生き方は改良・改善していないとも言える。現象は見方次第で変わるのです。昔と違って、毎日うなぎ食べられるからいいんじゃないか、社会は発展している、とも言えますが、代わりに自然からうなぎが消えているのです。食っているのはほとんど養殖(それも養殖できない稚魚は絶滅状態)。ものごとは一方向で捉えずに、いろんな方面から観たほうがいいのです。

笑って生きていられますか?

皆さん自問自答してみてください。穏やかに生きていますか? 満足して生きていますか? 笑って生きていられますか? 実際は、毎日、不安なんですよ。個人個人が不安だらけで、ストレスだらけで、イライラして生きている。その時点で一向に、我々は穏やかに楽しく生きるということにまだまだ成功していないのです。お釈迦様は、人間に幸福になる方法を教えている。科学的に論理的に教えています。お釈迦様が教える幸福は決して揺らがない幸福です。火事、地震、災害、倒産、事故、貧困などなど、何があっても揺らがない幸福を教えるのです。

幸せとは何でしょう

では、穏やかに、落ち込むことなく、揺らがない安定した気持ちで幸せに生きるためにはどうすればいいのでしょうか? 幸せというのは、興奮することじゃないのです。自分の子供が試験に合格すると興奮するでしょ? しかし、合格したらすぐ別の課題が現れてきます。それに取りかからないと。幸せ気分に酔っていたら大変な事になります。何があっても、いつでも微笑んでいられる、あまりものごとに興奮したりびっくりしたりしない、冷静でいられることが幸福なのです。

他人を攻撃するわけ

私たちは自分の人生がうまくいかないと、他人を攻撃するのです。他人のせいにしようとするのです。それでうまくいくはずはありません。人生がうまくいかないと悪循環にはまってしまいます。うまくいっていると、また、うまく行って調子に乗ってドカンとおちる。転がって傷だらけになりながら落ちるか、ドカンと落ちるか、人生はどちらか。同じ結果です。こういう生き方はどう考えてもまずいのです。

脳が作る怪しい世界

私たちは、脳の20%しか使っていないと言われます。20%の脳が現在の怪しい世界をつくったのです。(仏教では脳ではなく、心と言いますが、)我々の心が、無知で、欲で、わがままで、怒りで、嫉妬で動いているのです。大脳は状況は観察して、分析して、どうしたらいいかと分かっています。しかしそれをやるときに、怒りや無知、欲などの感情でやってしまう。それで結果はどうでしょうか?

運命的な矛盾

原発がよい例です。日本では、高速増殖炉が完成すればプルトニウムをどんどん増やして永久的にエネルギー資源に困らないようになると謳っていた。しかし原発が開発されて何十年も時間たっているが、いまだに放射性廃棄物をどう処理すればいいかという技術はゼロです。研究もしないようですね。あまりにも傲慢な感情に動かされて、原子力開発を続けてしまった。自然をいじるのは構わないが、しかし自然をバカにしてはいけない。帰ってくる結果は取り返しがつかない。100円儲かるために10万円使うようなものです。原発はそういうシロモノになっています。原発だけにかぎらず、人間が作り出す発展には、運命的に矛盾がつきまとうのです。

感情で脳を使うと破滅に至る

なぜそうなったのでしょうか? 脳の20%しか使わないけど、それもエゴでわがままで、怒り、憎しみ、嫉妬、傲慢、恐ろしい感情で脳を使っている。だから20%以上使えない。そのリミットを超えると自己破壊になって、人類の終わりになる。これ以上脳を使ったら、人類の破滅が加速することになるでしょう。

脳の使い方に問題があります

生命の進化は必要だから起こるのです。大脳も人類にとって必要だから進化したのです。しかし、どうもうまく使えない。20%以上は手が伸びなくて、残りは使えない。なぜでしょうか? 使い方に問題があります。

向上・進化のために脳を使う

ふつうの紙袋に20キロも荷物を入れたら、底が抜けて壊れてしまいますね。怒り、嫉妬、憎しみ、感情、傲慢のエネルギーでは、20キロしか運べない。壊れてしまいます。人間は向上・進化するために生まれたのです。ブッダは、怒り、嫉妬、憎しみなどを無くして脳を使う方法を教えています。智慧を開発して、揺らがない幸福に達するのです。人間の限界を乗り越えるのです。

釈尊はぎりぎりまで働いた

お釈迦様は、年老いてボロボロになって、余命三ヶ月だと宣言していました。しかし、最後の一分二分まで仕事をしたのです。沙羅双樹の下で倒れて横たわっても、話を聞きたいという人にしゃべって、覚りに導いて、「それでは皆さんこれからも怠ることなく修行をがんばってください」と言い残して亡くなった。それにくらべて我々はどうでしょうか? 仕事をしたくても、仕事がない。仕事といっても、そんなに必要とされていないのです。

人類に欠かせない仕事

人類にとって欠かせない仕事といえば、農業と医療程度です。それが無くなったら困ります。それにしても、ほどほどにしないと迷惑です。それほど必要とされていない仕事をすると、無理をすることになる。派手にアピールしないといけない(ファッションなど)。「ネイルアートは人類に欠かせない」と言ったら、それは嘘になります。気持ちの上では誰でも、「あなたの仕事は大事ですよ」と言って欲しいでしょう。でもぜんぜん大事じゃないんです。大事なのは家の奥さんがご飯作ることなんです。それにしても、心が穏やかでなければ、心ができていなかったら、台無しになってしまいます。

ブッダの仕事

ブッダの仕事は、私たちの幸福の基盤になる、心を育てかたを教えることです。この上ない、大切な仕事なのです。ブッダは、人々に慈しみで生きることを教えています。怒り・憎しみを無くして、「生きとし生けるものが幸せでありますように」という気持ちで生きると、脳の残りの80%が使えるようになります。もう危険ではないのだから。生命のことを心配しているから、智慧が現れてくるのです。

生命は心で通じ合う

本当に優しい人が、暴れている動物に「あなた落ち着いたらどうですかねぇ」というと、それで落ち着くんです。動物が言うことを聞いてくれます。日本語で喋りかければ、それでけっこうです。自我を捨てて生命は平等であると見ると、自分の周りは奇跡ばかりになります。動物も昆虫も言うことを聞くんです。ゴキブリは耳で人間の言葉をきいているわけではない。しかし、心は通じるんです。心に耳はいりません。

「オウン・ゴール」人生を乗り越える

生まれて、やがて死ぬ時、私たちは何の成長もしていないのです。怒り憎しみで死んでしまうのです。生まれた時は何もできない赤ちゃんですけど、死ぬときには人間を越えて、清々しい心で、智慧を開発して、進化して最後を迎えますと、励んで欲しいのです。大成功を納めて、生きることのゴールに達してから死にますと。しかし、私たちは「オウン・ゴール」人生です。そういう、すぐ死にたくなるような生き方をしている。お釈迦様は、「進化しましょう。人間を乗り越えましょう。そこに揺らがない幸福があります」と説かれているのです。

人生の操縦桿を握る

人生はうまくいったり、うまくいかなかったりです。全体的にどういうものか? といっても、どうってことないものです。大切なのは、正しく人生の操縦桿を握ることです。無常で、うまくいかない世界で、それでも人生を運転しなくてはいけない。道路にはカーブがあってはいけないとか、上り坂下り坂があってはいけないとか、信号あってはいけませんとか、他の車は走ってはいけませんとか、野生の動物がいきなり道路に飛び込んではいけませんとか、言えたものではないでしょう? 道は危険だらけですが、だからといって、自分に事故を起こす権利はないんです。

仏教は人生の免許を取るための教習所

赤ちゃんの時は母がつきっきりですけど、だんだん一緒にいる時間は減っていきます。やがて、お母さんの手を離れて、自分の責任で生きないといけない。一人ひとりが、ちゃんと人生を操縦して、事故を起こさないで生きることが欠かせないのです。しかし、人生には免許制度はない。仏教とは何なのか? それは人生の免許を取るための教習所です。生きることの免許を取るための教習所です。だから皆さん、仏教が嫌いでしょう。できれば、無免許で運転したいんだから。しかし人生は、きちんと免許証を取って運転したほうがうまく行きますよ。

「神様お願い」というエゴイズム

私たちは人生がうまく行って欲しいと願う。神様お願い、とまで願う。そこにエゴが入るのです。「人生がうまく行ってもいかなくても、知ったことではないのだ。自分がやるべきことを淡々とやるのだ」と、放っておくべきことを放っておくことができない。年取るのは自然法則で避けられない。これが嫌だと思うと一生不幸でしょう? 頭のおかしい期待・希望は捨てるべきです。歳とっても若々しくいたいとか、そういう人は、精神病院に行ったほうがいいのです。

あり得ないことは起きません

人生は淡々と変化していくものです。世の中はすべて自然現象で起こるんです。不自然なことは起きません。大地震津波も自然現象であって、決して異常現象ではありません。私たちには、出来事を冷静に受け入れる能力が必要です。楽しいことも冷静に受け入れる。悲しいことも冷静に受け入れる。そのためには、「あり得ないことは起きませんよ」という理解が必要です。「こんなのあり得ない」ということはあり得ないのです。起きる出来事はすべてあり得ることです。仏教の言葉では、これに因果法則と言うのです。不思議は起こりません。奇跡は起こりません。すべて因果法則によって成り立つんです。

夢が叶う条件

夢があっても叶うと思ってはいけません。夢が現実的で、それに向かって正しく頑張るならば叶うのです。でないとひどい結果になります。落ち込む結果になります。希望が現実的で、それを実現するために必要な仕事をしていれば叶いますが、奇跡的に叶うことはあり得ないのです。

倒れたら自分で立ち上がれ

それから、誰かが私を助けてくれることはあり得ません。誰かが助けてくれる、というのは、傲慢で、汚い感情です。自分がすごく偉いと思っている証拠です。神様、観音様、ほとけ様が私を助けてくれますよ、だなんて、調子に乗りすぎです。そこまで傲慢を張るのかと。自分がこけたら、自分で立ち上がることが自然でしょう。穴に落ちたら、落ちたまま何もしないで、「誰か助けてくれないのか!」と怒るのです。

すべての出来事には理由がある

われわれは冷静に受け入れる能力を育てること。そのためには、「世の中は因果法則である。奇跡はない。すべてあり得るから起きるのだ」と理解すること。突然、火山が爆発しても、突然、大雪が降っても、調べたら理由があるでしょう。自分が診断して病気だとわかっても、驚かなくても、それはそれなりの理由があってそうなっているんです。たとえ、子供が障害を持って生まれても、「別に……」という感じで対応すればいいのに、むやみに大騒ぎする。カーテンが燃えていたら、火事だ!と叫びながらそのカーテンを部屋の中に放り込むようなものです。

無常に逆らうと不幸になる

生きることは無常です。我々は一秒一秒変わっていくのです。変わるのは、悪い方に変わっていくのです。元気だった身体はどんどん老いて衰えていくのです。可愛かった子供は反抗的になって出ていってしまうのです。人生はそんなものです。日々、変化していく。どこかで、それを受け入れたくないという気持ちがあって、その気持ちにやられてしまう。それで不幸になるのです。

変わり続ける世界をハンドリングする

ですから、冷静に受け入れて対応する能力を育てましょう。世の中のことは、うまくいかないのです。学校に入ったら、自動的に勉強できるわけではない。自分がベストを尽くして、うまく自分の人生を操縦するぞと頑張らないと。変わっていく世界を、少しでもよい方向に変えてみようとチャレンジするのです。曲がっていく道路にあわせて、その都度、ハンドルを適切に操作する。年をとって、身体の動かない老人になったら、みんなに喜びを与えるような、素晴らしい人格を持った年寄りになったら、その人の人生は勝ちでしょう。

智慧を開発するブッダの方法

脳(ではなくて、心)を開発して、智慧が現れるようにするためには、ヴィパッサナー瞑想を教えます。それがなくても、いつでも一切生命を慈しむことです。差別しないことです。みな同じ仲間だと。小さな昆虫、小さな微生物から巨大な生命まで、みなただ生命であると。だれが特別偉いわけでもなく、神が特別偉いわけでもないんだと。皆にそれぞれの問題があります。子供の頃に聖書を読んで、そこに記されている全知全能の神にも、私なんかより相当、問題があると分かったんです。神はいつも怒ってイライラしているし、計画は何一つうまくいかない。神なのにね。それは仏教で言う、だれでも平等だということです。神であっても、神には神なりの悩み苦しみがあるのです。猫には猫なりの悩み苦しみがあります。ですから、「幸せでありますように、皆それぞれ」という気持ちで生きてみてください。みるみる智慧が開発されます。安定した幸福が感じられるようになります。

※以下、質疑応答より抜粋

Q:睡眠欲を克服するためにはどうすればよいでしょうか?

睡眠の機能を理解する

A:睡眠というのは、身体の機能を修復するために、ちょっと停止するというくらいのことです。実際には、肉体は寝ていないのです。心臓が「ちょっと一休み」したらどうなりますか? 「疲れたので、ちょっと呼吸をやめて寝ます」なんてあり得ないでしょう? 現代人は睡眠がすごく大事だと思っているのですが、睡眠ってなんですかね? 細胞は寝てないのに。ただゴチャゴチャものごと考えたり喋ったり、走ったりという派手な働きをストップするだけ。しかし身体は生きています。その間に、身体のダメージをいくらか修復するのです。だいたい、人間の睡眠時間は3時間で充分だそうです。しかし、体内時計にあわせて寝ないと意味無いですけど。山手線の終電(AM1時付近)から4時か5時の始発の間にすべてメンテナンスするようなものです。

睡眠欲が出てくるわけ

睡眠からでてくる問題は、私たちが身体を修復する時間にあわせて寝ないことが原因です。だからいくら寝ても身体が修復しない。壊れたままで次の日も次の日も生きないといけない。寝るのはいくらでも寝られるけど、ポイントは身体が修復するかどうかです。それが充分でないと、睡眠欲というものが出てくる。正しい時間に寝て、正しい時間に起きるなら、睡眠欲は出てこないのです。たとえば、食べて眠くなるのは睡眠欲ではありません。食物という「異物」を身体に入れたから、それを消化するためにエネルギーが必要なんです。緊急事態のときは落ち着いていなさいという、命令です。その時ちょっと寝ても10分15分で起きます。睡眠欲というのは、身体の疲れが無くなってないから現れます。夜中まで起きているので、身体にダメージを治す機会を与えてない。人間は進化したといっても体内時計は原始時代のままなんですから。

心を活発に保ちましょう

次に、くだらないことを妄想しないこと。それでどうしても妄想が割り込んでくるなら、面白いものを読んだり、豆知識になるものを読んだり。面白さが現れるものを読んだり見たりして、脳(心)を明るい状態に保つことです。脳が明るければ、修復に時間がかからないのです。つねに心が明るい人には、寝ないでも生活できます。煩悩なく悩むことなく生きているなら、寝る必要はなくなっているのです。お釈迦様もほとんど寝ないで活動されたそうです。心がつねに活発だから、身体はつねに自動修復したのです。それは私たちには無理ですから、一定の時間は寝ないといけない。それでも、心がつねに明るく活発になるように努めれば、睡眠欲の問題は無くなります。

 

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執着の捨て方

執着の捨て方

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~