ゴータミー精舎パーリ経典講義 相応部カッサパ相応7第二教戒(スマナサーラ長老の法話より)

Saṃyuttanikāyo Nidānavaggo 5. Kassapasaṃyuttaṃ相応部 因縁篇 5.カッサパ相応

7. Dutiyaovādasuttaṃ 第二教戒

王舎城因縁。

(※6と同じ。釈尊はマハーカッサパ尊者に近くに居て欲しがったが、尊者は釈尊とあまり一緒に居たがらなかった。森の洞窟に隠れていた。二人が瓜二つだったから、間違えられがちだったため、と注釈書にある。私も修学旅行の中学生なんかに捕まると「ガンジーガンジー」と言われますが……)

(※この経典シリーズでハイライトしているのは、「比丘たちに何かアドバイスするならば、私かあなたですよ。比丘たちに真理の話をするならば、私かあなたですよ。」という一言だと思います。これは大変な言葉なんですよ。禅宗いがい、すっかり忘れてしまっていますが、マハーカッサパ尊者はお釈迦さまの次に大切な存在なんです。)

摩訶迦葉尊者「……(いまどきの比丘たちには)善法(善いこと)に信(信頼)が無い(※善いことをやってみようという意欲がない、という意味)。善法に慚hiri(恥)・ 愧ottappa(恐れ)が無い(※善を行うことに心理的なブレーキが掛かっている、という意味)。善法に精進vīriyaが無い(※善は自動的に自然にできるわけではない。善を行うためにはちょっと踏ん張らないといけない。自然には、皆、悪いことをするんです。勇気を出して踏ん張らないといけない)。善法について智慧paññāが無い(※惰性のシステムに乗ってはいけない。生命の心は悪が本能であって、悪が自然であって、悪が本来の生き方です。どんな生命もその既存の生き方のシステムに乗ってしまいます。それに乗らないということが智慧なんです。嘘つくことも、殺生することも、無駄話することも、皆、自然な行為なんです。それには乗らないという態度を取らないといけない。これは自分の心とのものすごい戦いになる。感情に乗らないために必要なパワーが智慧です。それは観察能力ということ。観察すれば心が何者だか見えてきます。)。もし誰かのこころに、善法に信・慚・愧・精進・智慧がないならば、日夜その人には(善からの)堕落が見えますよ。

(※人類を見れば分かります。年取れば取るほど、日夜、善から遠ざかっていく。だから、人には信・慚・愧・精進・智慧が必要なんです。仏教は日々、成長することを教える。日々、成長しなくてはいけない。そのためには性格を変えなくてはいけない。この五つは、変えられるポイントです。この五つを心に入れれば、毎日、成長していけるんです。)

例えば黒分の月は昼であろうが夜であろうが減る、増えることはない-美しさが減る、光輪が減る、光も減る、恰幅も減る-ように。信が無い、と言えばその人にとっては衰退・退化を意味しますよ。慚が無い、…愧が無い、…怠けている、…智慧がない、と言えばその人にとっては衰退・退化を意味しますよ。

(※これに加えて三つの教え)怒りっぽいならば、…恨みを忘れられないならば、…(※人間は教えられたことはすぐ忘れる。親切にされたこともすっかり忘れる。恨みだけはきめ細かくそれだけはジーッと憶えておく。人間の心とはいったいどういう心かと。)教えてくれる人のない(アドバイスしてくれる人がいない)[ならば]比丘は、衰退・退化を意味しますよ。(※見込みがない。)

逆に、信・慚・愧・精進・智慧があって、怒りっぽく無い、恨みを抱え込まない、教えてくれる人がいる比丘は、白分の月のように成長していきますよ。

(2012年1月20日 ゴータミー精舎パーリ経典講義メモより)

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瞑想経典編 (初期仏教経典解説シリーズII)

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