人の人を思ふ、心をつけて見れば、実に人を思ふにはあらず、(沢庵和尚の法語より)
沢庵和尚「東海夜話」より抜き書きしました。「他のためを思って」という名目でなされる行為も、その実はエゴイズムを基礎にしているのだと喝破します。さらに、親が子を思うことと仏祖が衆生を思うことの違いを対照させて、仏恩の尊さを強調します。
一、人の人を思ふ、心をつけて見れば、実に人を思ふにはあらず、人を思ふことのまことを云はゞ、親の子を思ふなるべし。然るに子を愛する人を見るに、毒物を食して忽ち病ひを起すといへども、彼れに食せたしと思ふ、我心の欲に忍びずして、病ひを起すべきことを言はず、これを与えてくはしむるときは、則ち子を思ふ心に、我欲勝て毒をあたへて病しむるなり。我子随意にくらひ、遊山翫水して身を費やして死に及べども、これを責むることあたはず。然れば彼を実に愛するにあらず、子のこのむ所にしたがへば子これをよろこぶ、これを喜ばしめて己れが楽みとす、これ子のためにあらず、己れ愛におぼるゝなり。佛祖の衆生を思ふは、親の子を思ふ如しと云へども、愛におぼれて、子に毒食をあたへて病ひを起し、愛に溺れて子を放逸ならしめて、身を喪するに至るに非ず。佛祖は魚肉は人のこのむ所なれどもこれを制し、邪婬は人のこのむ所なれどもこれを戒しめ、飲酒は人の甘んずる所なれどもこれを制す。五戒を禁じ十善をすゝむ、これ寔と(まこと)の大慈大悲と云ふ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション - 禅門法語全集 : 詳註邦文. 第1巻
~生きとし生けるものが幸せでありますように~