浮かれない生きかた(スマナサーラ長老の法話より)

Q先日の経典解説で仰っていた「褒められると調子に乗る」以外に、日本社会のウイークポイントは何か?

 

A別にそういうことをわざわざ調べていない。興味もない。ただ困っている人がいたら、何とかしてあげたいと思うだけ。あるかもしれないけど、そんなに私は気にしない。日本、ではなく人間一人ひとり違うし。そんなの放っておけばいい。ほんとうにダメになってくると国民が自ら気づくんです。われわれはこういう所がまずい、なんとかしなくちゃ、と自分たちで行動するのが正しい。ただアメリカに言われたから、私に言われたから、というのは良くないんです。

 

以前、ミャンマーで修行した女性が、現地のことをあれこれ私に批判してきた。女性は差別されているんだと。でも、ミャンマーに比べても、日本の女性には何の立場もないのに。それを棚に上げて外国の批判をする。「ミャンマー人に任せてください、あなたがミャンマーで革命を起こす必要はないんだよ」と。アメリカ人が日本の批判をギャーギャー言うのは失礼。日本人が自ら気づいて行動すべきです。私も困った人がいたら助けますけど、いちいちリストは作ってないんです。

 

 

Q褒められて調子に乗ってはいけないとわかっていても、やはり浮かれてしまう。なかなか心の反応パターンが取れない、というのはどういう仕組み何でしょうか?

 

Aそれは大きな問題ですね。人間は弱いんですね。だから褒めて欲しいと思う。褒められると元気になる。批判されると立ち上がれないくらい壊れてしまう。ですから、もともと自分が精神的に弱いということ。そこを治さないといけない。そのための方法を仏教はずっと教えている。

 

質問に即した答えを出します。

 

1)自分に素直、自分に正直に生きる。頼まれたことはしっかりやりますよ、しっかりやらなくては自分のプライドが傷つきますよと。よい意味でプライドを持って、人から頼まれたことをしっかりやる。他人の評価ではなく、自分に素直に、自分に正直に生きる。

 

2)人から評価されるかどうか、というのは、相手の性格による。あまり人を褒めない性格の人もいる。「私が批判された」「私が褒められた」ではなく、この人はよく褒める性格なのだ、あの人は何をしても何か批判するという性格なのだ、と相手の性格によって評価しているのだと理解すること。純金を差し出しても「なんで銀が入っていないんだ」と批判する人もいます。

 

3)社会に評価されるようにと生きることは成り立たない。社会は好き勝手に持ち上げたり批判したりする。いい加減なもの。釈尊は「社会にではなく、理性ある人に非難されないように気をつけなさい」と仰った。それでいい加減な社会のことを気にせずとも、しっかりした人間として生きることができる。人の話を聞く場合は、本当に自分のことを心配してくれる人、両親や、学校の先生、職場の先輩などのいうことを聞いてください。それでうまく行きます。

 

まとめ。人から言われることで心は揺らいでしまう。それはもともと心が弱いということです。

1)自分に正直になる、よい意味のプライドを持つことで心は強くなる。それから。

2)人からほめられたり批判されたり何かを言われる場合は、言ってくる相手の性格であると客観化する。自分でぜんぶ受けて悩んで、被害者にならないでもいい。

3)社会にではなく、理性ある人に、自分のことを心配する人に批判されないようにと気をつける。

それでその問題は解決します。

 

 

Q仏縁というのはあるものなのでしょうか?

 

Aそういうことは、あまり気にしないんですけど……釈尊の時代、祇園精舎の近くに住んでいたがまったく仏教に興味を持たず、お釈迦様の説法を聞こうともせず、残酷に動物(家畜)を殺していた人もいた。現代のヨーロッパでキリスト教文化に育っても、これは何かおかしいと、仏教になって出家までする人もいる。ユダヤ人でもけっこう出家して立派なお坊さんになったりしている。また、仏教国に生まれてもイスラム教になったりキリスト教にある人もいる。そういう性格は過去(過去生)から持ってきたものだと思います。過去の経験で仏教にどうしても出会っちゃう人もいますよ。

(冥想会での質疑応答メモ 2011年12月03日東京・ゴータミー精舎にて)

 

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仏教は宗教ではない~お釈迦様が教えた完成された科学~ (合冊版)

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~