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気にいらない教えとの付き合い方(スマナサーラ長老の法話より)

Q一年前くらいに初期仏教知った。書店で見ると大乗仏教が主流で、お釈迦様が貶められているようで怒りを抱いてしまう。大乗仏教と付き合っていくにはどうしたらいいのか?

 

A気に入らんものがいらんと思ったら、この世で生きていられない。この世は嫌いなものばかり。いろんな理由があって、いろんなものが起きているんだから、落ち着いているしかないんです。仏教が中国や朝鮮半島、日本などまったく違った環境で生き伸びていかないといけなかったんだから。モンゴリアなどの仏教も全然違うし。それらはお釈迦様の教えと比べたら違うというだけで。世の中は気に入らんものだらけですよ。それにいちいち怒っていたら自分が潰れてしまう。

 

仏教の『慈悲の冥想』で培うのは、それぞれの生き方を認めて放っておくということ。たとえばお化粧好きの男性がおかしい、と腹を立てることはない。相手からかかってこない限り放っておけばいい。関わり合いにならないのが一番だけど。

 

私も大乗仏教の人が変なこといって批判して来たら対応しますけど。世の中では悪いこととされることをしてる人も、「悪いことしてる」と思ってない。麻薬やってる人も、コンビニ強盗する人も、それなりに自分を正当化する理屈がある。「これはよくない」とホントに思っていたら、できないんです。

 

人がやっていることに、これは正しい、間違っていると突っかかると自分が潰れる。勝手にやってください、私は知りません、という態度でいるしかない。バイクに乗って暴走する人がいる。迷惑だけど、スピード出したければ、人がいない山でも行ってハチャメチャやればいいでしょう。暴走族を完全に禁止する、とかまで行かなくてもいい。彼らは無茶スピード出して走るのがかっこいい、と思っている。周りはハタ迷惑。それを理解してくれれば、何とかなるんですけど。

 

世の中観たら、気に入らないものがたくさんある。役柄として批判する役周りの人がいるし、黙っている人もいるし。私は大乗仏教とお釈迦様の教えを比較して、これが間違っているとかいうかもしれないが、それは私の仕事であって、皆さんの仕事ではない。暴走族を取り締まるのは警察の役割。我々の役割は「なんとかしてくれ」と苦情いうだけ。

 

世の中の間違いを正すべきと断言的には言えない。みんな間違いを犯しているんだから、きりが無くなる。しかし大勢に迷惑かけている人がいたら、それに対処する役割の人がいるんですね。自分が警察官になる必要はない。子供が悪いことしたら他出すのは親の役で。我々は自分の役柄を理解すること。世の中みんな間違いを犯しているんですから、まぁまぁ、勝手にやってくださいと、穏やかな気分でいないといけないんですね。

 

大乗仏教が気持ち悪い、許せない、と思っても、大乗仏教が世の中に迷惑をかけているわけではない。彼らは彼らの伝統を大切に守ってやっているだけで、もっと現代的に分かりやすく仏教を教えようと思っても、本山に怒られて手足を縛られているだけで。世界のどこを見ても、大乗仏教が社会に迷惑をかけているということはない。社会に迷惑をかけているなら、対処しないといけない。カルト宗教や新興宗教を作って若者を誘っているなら、親たちが立ち上がらないといけない。

 

大乗仏教も、教えはおかしいところたくさんあるが、社会には迷惑かけない。真言密教から出てくる怪しい坊さんはいるが、個人的にやっている。真言密教の本山(高野山)が認めているわけではない。個人が悪いだけ。高野山ではふつうに自分たちの修行して、伝統守って頑張っているだけ。基本的には社会に迷惑かけてないんだから、その辺は評価すべきです。イスラム教キリスト教がどれだけ社会に迷惑をかけてきたかと。それと比較すると、大乗仏教はずいぶん人間には優しいんです。

 

時々、葬儀で高額のお布施を取る坊主もいる。その個人の坊主を批判すればいいだけ。本山で高額の布施を取れと言っているわけではないんです。「布施は気持ちです。気持ちは500万円です」とかねw それは大乗仏教でもテーラワーダ仏教でも、教えに反している。自発的に差し上げるものでなければ、布施にならない。商売になってしまう。出家の僧侶は人々の役に立つために無償ではたらく存在であって、在家の人々も自由な気持ちで、布施をする。自分でこれだけ差し上げます、と決めなければ布施ではない。相場を気にしたら、それは商売です。どこかの宗派の本山が布施の額はこれだけ、とか決めたら、それは布施ではなくなってしまう。でもそんなことはしていないんです。

 

世の中では自分の気に入らんことがほとんどです。気に入ることは本のわずか。それにいちいち腹を立てたら自分が潰れますよ。だから、それぞれの生き方を認めて放っておく、ということが大切なんです。

(冥想会での質疑応答メモ 2011年12月03日東京・ゴータミー精舎にて)

 

Facebookのノートにメモしていた文章をブログで順次公開していきます。

 

テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え

テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え

 

ブッダの教えを自らの導きとして生きる「在家仏教徒」のあり方について、詳しく解説されているスマナサーラ長老のロングセラー。 

電子書籍新刊です。高野山大学での講演録など、初期仏教における「真理の見方」を示した三つのテキストを収録しています。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~