仏教から見た「社会的成功」とは?・他(スマナサーラ長老の法話より)

Q:一ヶ月前からDVD購入してヴィパッサナー冥想。睡眠障害に。やり方がマズイのか?

 

A:気にすることはないと思います。眠れなくなったって別に……私はほとんど寝ない状態で生きていますから。問題なのはちょっとした変化が起きても心配しちゃうこと。あ、そうか、くらいで終わっちゃえばいいんです。

 

Q:30代。社会的成功というのは仏教でどう考えているのか?

 

A:論理的に考えたほうがいい。社会の人間が失敗だらけだったら、その社会はどうなるんでしょうか?皆が失敗だらけの社会は成り立たない。仏教から見れば、人間には心の余裕が必要。収入がないと、ろくに食べ物も買えない、住む所ないと、心に余裕がなくなってしまう。あるいは平和が無くなっちゃうと(中東の国のように)。そういう状態になると人間はどう生きればいいのか。心の余裕がないでしょう。短い人生、心に余裕があって、心配少なく悩み少なく生きていた方がいいでしょう。そのためには社会が安定していないと困るでしょう?社会が平和で経済が安定していて、人々が優しくて、犯罪が少なくて。一人ひとりの人間がそれに貢献しなくてはいけないんです。欲で考えている社会的成功、成功ということではなく、もっとスケール大きく考えて、一人一人が貢献しないとおけない。平和のために、豊かに生きるために、悩み事心配事少しでも減らして生きるために貢献するのが、一人ひとりの義務です。

 

経典にはないが、仏教教理学的には、在家者が仕事しないのは罪だと思います。そういう人数が増えると社会がどうにもならなくなる。一人ひとりの人間が自分の食べる分は自分で確保するという義務があるんです。食べ物・衣服・食べるもの・医薬品。それを自分で得るのは義務であり、社会への貢献でもある。社会がちゃんと安定するように自分の分を貢献する。そうすると個人に自由があります。そこでブッダの説く真理を学んだり修行したりということができる。仕事止めたり、仕事のことで悩んだりするのは周りを見過ぎ。社会は周りも混乱状態にいますから、周りを見るんじゃなくて足元を見れば、いい仕事ができます。みなどんな仕事しても関係ない。自分が食べるためのものを確保するためにどうすればいいかと考えれば。周りを見れば、ちっちゃな子供もタレントとして儲かっている。それは自分に何の関係もないでしょう。そのように自分のことを理解するのは、仏教で理性と言うんです。

 

*40代の娘に過干渉し続ける親に対して

 

あなたのしていることは精神的虐待。人間は自分の道を切り開いて生きていきたいんです。どんな人間でも。それが間違ったことじゃないなら(犯罪でなければ)なんで邪魔するんですかね? 一人ひとりが自分で自分の道を切り開きたいと願っている。それは人権です。それを奪おうとすると、お互いにかなり苦しむんです。こういう問題は親子関係で起こること。切っても切れない関係だから。気をつけて、我が子が自分の生き方を切り開いて生きることは放っておいてください。たいしたことではない。放っておけばいいんです。

 (スマナサーラ長老との質疑応答メモ 2011年11月23日ゴータミー精舎にて)

 

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