読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

子供は自分の研究課題/関心・無関心と「関係性」(スマナサーラ長老の言葉より)

●子供は自分の研究課題

子供が言うことを聴かない、というのは間違っていますよ。
子供は(親や大人の)1)言っていることの意味が分からないんです。それから、2)言葉が分かっても、なぜそう言われるのか、なぜ止めなければいけないのか、という理由が分からないんです。それで、どうすればいいか分からなくて何かやっちゃう。親は怒りますが、怒る理由がないんです。
1)言っていることの意味。2)止めなければいけない理由 が揃えば、子供も言うことを聴くんです。『(階段で走って)転んで痛くなってもお母さんは知りませんよ』と言えば、痛みは子供の世界でも知っている言葉。だから階段で走ってはいけないとわかるんです。子供の分かる言葉で分かる理由で言えば。
子供を育てることで、自分が親にならなくてはならない。新しい命が家に入ったら、自分が自分を変えなくてはいけない。世の親は親になっていない。『自分の修行』をしていない。子供は、ひとが親になるための先生なのです。大人の学校だから授業はない。大学院と同じで、自分が作った課題を自分ひとりで研究しないといけない。
子供は自分の研究課題です。子供が何かああしろこうしろと教えてくれるわけじゃない。どうすれば子供は理解するのか、どの範囲で言えば理解するのか、何が好きで何が嫌いなのか、興味の範囲は何なのか、と研究するんです。例えば、イタズラしている子がピーマンが嫌いだとする。『そんなことしたら、今夜の食事にピーマンいっぱい入れますよ!』それだけで、その子は止めますよ。 
子育てする時も「因果法則」で教えたらどうですかね?「こういう行為をしたら、あなたはこういう結果になりますよ。」「あなたがどんな人間になりたいか、自分で決めなさい」と。私の国ではみんなそうしていますよ。人は信仰でなくて、行為で判断するのです。

●関心・無関心と「関係性」

自分と関係あるか、関係ないか、という判断基準がある。関心・無関心ということではなく、「関係の有無」で考えることです。自分をとりまく関係の中でマズイことがあると自分が生きているシステムが壊れてしまう。だから会社でも自分の日常と関係があるところで問題が起きているならば、何か言ってそれは変えなくてはいけない。
(例えば会社の社長が不倫していたとしても、それは自分とは関係ないこと。しかし自分の部署で不倫している人がいたら、それは職場に影響を与えるから止めるように言わなければいけない。)
そこで問題を指摘する時は、『これは誰にとっても問題なのだ』という普遍的な観点で言うことです。正義の味方を気取って世直しをしようとするものではないんです。
仏教では他人を変えようとするのではなく、自分が変わることだと教えています。自分が変わることで、自分の関係する世界も変わるのです。 
ある一箇所の変化というのは、全体に影響を与えます。日本の禅師様も言っているでしょう。一人が悟りを開いたら森羅万象が成仏するんだと。
関係(半径)の大きさはひとによって違います。自分にとって関係ある範囲で間違ったことは直さなくちゃいけないのです。
例えば作家の村上春樹さんにはたくさん読者がいます。彼が社会に何か訴えたい事があれば幅広い範囲の人々に訴えることができる。それが彼にとって関係ある人々です。たとえ自分の持っている関係(半径)が狭くても、それが世界ですから。
自分の関係にひとりの人間しかいなくても、世界はつながっています。
(2011年11月22日 取材中のスマナサーラ長老の言葉より)
 
 ※Facebookのノートにメモしていた文章をブログで順次公開していきます。 
やめたいことは、やめられる。

やめたいことは、やめられる。

 

紙書籍の新刊です。順を追って読み進めることで「やめたい/やめられない」という心理的葛藤からスーッと解放されることでしょう。

電子書籍新刊です。高野山大学での講演録など、初期仏教における「真理の見方」を示した三つのテキストを収録しています。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~