人みな我飢を知りて人の飢を知らず、(沢庵和尚の法語より)
沢庵和尚の「東海夜話」より。自己中心性に囚われた状態こそ放逸(パマーダ,気づきのないこと)に他ならないと述べています。
一、人みな我飢を知りて人の飢を知らず、ゆゑに人を憐むの心なし。我飢を知りてはなんぞ人を憐まざらん。放逸の人はたゞわれを知りて人を知らず。(巻之一)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション - 禅門法語全集 : 詳註邦文. 第1巻
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
沢庵和尚の「東海夜話」より。自己中心性に囚われた状態こそ放逸(パマーダ,気づきのないこと)に他ならないと述べています。
一、人みな我飢を知りて人の飢を知らず、ゆゑに人を憐むの心なし。我飢を知りてはなんぞ人を憐まざらん。放逸の人はたゞわれを知りて人を知らず。(巻之一)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション - 禅門法語全集 : 詳註邦文. 第1巻
~生きとし生けるものが幸せでありますように~