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ブッダはお父さん(スマナサーラ長老の法話より)

宮崎市明星寺でのご法話

(招待へのお礼と日本の仏教界へのエール。「どんな宗派でも、仏教のお寺は明るい場所。子供たちはぜひ仏教系の幼稚園に入れてほしい。なぜなら仏教のお寺では宗教で洗脳することはしない。のびのびとした良い子に育ちます」という話を導入に……)

 

仏教徒にとってお釈迦さまは父親。スリランカでは“釈迦牟尼父上”と呼ぶ。だからお寺に行くことは自分のお父さんのところに行くこと。自分の家のようにリラックスできる場所です。父は子供が至らないことがあっても見て見ぬふりをしてくれる。しかし何か教えなければいけないことがあったら、厳しく教えてくれる。

 

父親が子に期待するのは、人間として立派に成長すること。ブッダに礼拝したければ、母は自分に何を期待するか、父が自分に何を期待するかと考えてください。私が何をしたら母親が微笑むのか、私が何をしたら父親が微笑むのか、それだけ考えて生きてみれば人生に問題はない。それが仏道を歩むこと。あの世まで待つ必要ないんです。

 

何かしようとするときに、これをしたら母が喜ぶか、父が喜ぶかと考えれば、人生は幸福になります。この世で自分の子供に嫉妬怒り憎しみで生きてほしいという親はいない。いたって簡単です。親が微笑む、親が喜ぶと思うことをして生きてください。それが仏道を歩むこと。

 

お墓参りすることは仏教ではないんです。それは日本の文化であって、仏教は世界のものです。お墓参りはけっこうなことですが、仏教がお墓参りではない。仏教はいかに生きるのか、いかに完璧に生きるのかを教える教えです。ですから仏教はいつでも役に立ちます。24時間、生まれてから死ぬまで、臨終の瞬間まで、人を助けてくれる。

 

何をしたら自分は仏教的になるのか?という疑問が起こるでしょう。難しいお経を引用したってわからない。いたって簡単な方法があるんです。お釈迦様が私たちの父親ですから、父だと思って接すればいいんです。皆さんにも父、母がいる。そのご両親がよかったなぁと思ってくれるような生き方をする。それが仏教を歩むことになるんです。その思いが、24時間我々を守ってくれるんです。

 

お札やお守り、数珠はいらない。おしゃれならいいですけど。お数珠は守ってくれませんよ。お札は守ってくれない。ほんとにお釈迦様が24時間守っているんです。守りが欲しければ、親に入れ替えてみないと。

 

如来様、私を守ってください、とすがるのは失礼なこと。如来様は警備会社ですか?観音様は番犬ですか?私たちは知らず知らず(仏菩薩を)冒?しています。やり方は、ブッダは私の両親です、ということ。皆様の心の中にしっかり両親が住んでいると思います。心の中にいるんだから、両親が嫌と思うことはしないことです。それではっきり守られているんです。

 

私たちは若いころ、親に逆らったりする。それは成長の過程でしょうがない。その時、親は黙っているんです。逆らったって怒りません。反抗期になるのはいいけど、悪いことをしたら困りますよという心配はあるんです。子供が親のダメといった道であっても自分の決めた道を歩んで成功すると、親はホッとするんです。

 

個人的なことですが、14歳の時に村のお坊さんに出家してはどうかと言われて、出家することにした。母親はショックを受けたでしょう。お父さんに訊きなさいと。寝ぼけている時に許可を受けたが、後から事情を知って村をあげて反対ということになった。有名な寺だったので、ニュースでも流れた。それで父親は、これはまずい、息子の顔に泥を塗ってはいけない、と親心を起こして、村の皆で応援しようということで出家式にも来てくれた。

 

その時に母親が言った一言がずーっと残っている。『負けるなよ』と。若い頃出家しても、ほとんどは還俗して帰ってしまう。私には母の『負けるなよ』という一言の意味が分かった。私は67歳になったが、いまだにその一言で生きている。だから私は仏道を極めないといけないんです。だから誰にも負けないように勉強するし、仕事を頼まれたら頼まれた十倍でも仕事をする。大胆なことをしてみせる。母の一言が私の一生を決めているんです。

 

親は子供の成長を喜ぶ。自分の道を歩んで独り立ちすることを喜ぶんです。束縛しようとはしない。仏教は断言的に人間の幸福を祈っているんです。仏教はあまり地獄の話などはしません。悪いことをしたら悪い結果がありますよ、というだけのこと。仏教では、みんな幸福になってほしい、悩んで欲しくない、泣いてほしくない、失敗してほしくない、成功から成功に歩みなさいと。阿弥陀様がすべての衆生を救うというのも、その仏教の精神を示しているんです。

 

釈尊が成道後に出会ったウパカさんのエピソード……ウパカに問われて私は一切勝者と答えた)

お釈迦さまは『勝利者への道』を教えているんです。勝利者への道とは、自分で自分を管理すること。日本でよくあるように、周りをみて自分の行動を決めるのは大失敗の道。自分のことをまじめに心配してくれるのは両親くらい。子供も親のことをそれほど心配していない。周りの人々をキョロキョロ眺めている生き方は情けない。私たちは楽に生きていない。周りを見て自分を管理しようとする。これは敗者の道です。まわりが抜群の人格者だったらOKです。しかし、そうではないでしょう。ガタガタの間違った模範を見ながら人生を生きるものではない。

 

お釈迦さまは人格完成者。何も問題が無い。我々が出家するときはお釈迦さまを模範にする。師匠も模範にはしない。師匠を尊敬するが、師匠のコピーになろうと思わない。我々の仏教では師匠であってもおかしな事があったら、はっきり言う。『師匠、それはちょっとおかしいんじゃない?』と。しかし模範になるのはお釈迦さまです。師匠が反発しても『でも師匠、お釈迦さまはこう仰ってるんですけど』と言ったら終わり。模範とすべきお釈迦様から見ておかしいと思ったら、師匠も批判する。それだから、2500年もお釈迦様の教えが純粋に守られてきたんです。人間的にはだらしない人がいても。

 

その秘密は『モデルはお釈迦様』ということ。それは皆様に難しいから、親をモデルにする。かといって親のすべてをモデルにする必要はない。髪型とか服装とか職業とか、時代によって変わるもの。簡単なこと。『親が喜ぶかどうか』それだけ。親がお百姓さんで子供がタレントになっても構わない。しかしそれで成功しないと。我々は自分の歩む道を究めることが大切であって、その時も親が喜ぶかどうかと考えて生きれば仏道を歩むことになります。それが完璧な生き方、幸福な生き方です。

 

子供は親がいくら手塩にかけて育てても親の事なんかぜんぜん知らない。聴きたくないが、これは本当のこと。子供というのは本当に恩知らずな連中で、逃げることしか考えていない。田舎の親が病気になっても、『休みとれない』と平気で言う。そんなものです。(スリランカの牧師さんの話 略)宗教家でも親のことは手抜きしたがる。

 

動物としての遺伝子の中に、必死になって子育てしなさい、という命令が入っているんです。皆さん必死に子供を育てても、あれは遺伝子がやらせているんです。借金まみれのだらしない息子であっても、借金取りにやられていると我慢できなくなる。ではその息子が恩返しするかというと、絶対しないんです。子育てはそんなに道徳的なことではないんです。犬や猿でも人間より立派に子育てします。皆さんも犬にも猫にもできることを立派なことだと思うのは恥ずかしいんです。

 

道徳というのは遺伝子の命令に逆らうことです。ですから、仏教では親を敬うこと、両親を尊敬すること、大事にすることが道徳であるというのです。お母さんのおっぱいを飲んで大きくなった、おっぱいは血液でしょう。我々は両親にどれだけ借金があるのかと。いくら返しても返しきれないと、わざわざと親を尊敬すべきだと頭に叩き込まないといけない。そうしないと、ぜんぜん親孝行しない。日本社会では、もっとこれを強調して教えてあげないといけない。

 

親が子を心配するのは当たり前で、子が親を心配するのは道徳である。人間を超えること。容易いことではないんだと。何としても親に恩返ししなくてはいけない、という気持ちで生きてみる。どうすれば親に恩返しできるか、といえば親がほっとするような、喜ぶような立派な人間になること。この仕事は我々に一生あるものです。怒ったり、嫉妬したりしてはいけない。いつでも笑顔で明るく生きないといけない。

 

今日は雨が降ってますが、雨が降ったことにも笑っちゃった方がいいんです。お陰で逃げられなくて説法聴くことになっちゃったなぁと。ものの見方によって、私たちは明るく生きることが出来ます。

 

お釈迦さまは自分は医者である、と言っています。お釈迦さまは父親であるだけでなく、医者でもあります。もう一言、誰にも敵わない医者であると。無上の医者であると。この一言多いところがないとブッダじゃないんです。これはありありとした事実です。ブッダは神々を含む一切生命のなかで誰にも敵わない最上の医者なのです。

 

医者は何をするんでしょうか?医者は私たちの悩み苦しみを治してくれる、治療方法を持っているんです。でも、医者に「治す」ことはできませんよ。医者は治療するだけ。治療したら、自分の身体が治ります。同じく、お釈迦様は我々に治療します。治療したら我々が「治ります」。決して「治してくれた」ではないんです。そういうことで毎日、良い立派な人間になりましょうと、昨日より今日はましな人間になりましょうということを憶えておいてください。

 

以上で私の話は終わりです。

 

(2011年11月18日宮崎市明星寺・四十九薬師霊場会の法要にて)

 

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~