やさしさとは?(スマナサーラ長老の言葉より)

お釈迦様さえ、覚りを開かれてから涅槃に入られるまで、決して楽な人生ではなかったのです。生きることは誰にとっても大変です。

「ブッダは無条件に私たち一切衆生に慈しみを持っていた」と言っても、周りの人々もお釈迦様に優しさを返したんです。優しさは誰にでも必要なものであって、しかし誰にでもあるものではありません。

寒空の下、草の上で寝ていたお釈迦様を心配して、アナータピンディカ居士が祇園精舎を立ててあげたのです。それはアナータピンディカ居士のやさしさです。

凡ての生命は他の優しさを期待している、必要としている。しかし、他に優しくする方法を私たちは知らない。皆、自分に優しくしてほしいが、他人は知ったことない、という態度でいる。それはエゴであって、自己破壊になる。だから『優しさを育てる訓練』をしなくてはいけないのです。

そのためには、まず『私が幸せでありますように』と自分の幸せを願う。自分が幸福になりたいということを確認する。それから周りの人々の幸せを願う。それで周りに人々の悩み苦しみを理解できるようになる。

それから、一切生命の幸福を願わなければ仏教ではない。大乗だろうが初期仏教だろうが、一切生命の幸福を願わなければならない。一切衆生の幸福を願う気持ちが完成したら、その人は「すべての生命の燈火」のような人になるのです。

私たちは本来わがままエゴイストだから、心の優しさの訓練しなければならない。優しさの訓練をして、エゴにとらわれた、無明・無知でおおわれた心のプログラムを書き換えないと行けないのです。

心の流れを書き換えるのです。幸福になるようにと。訓練することによって、心は変わっていくんです。『慈悲の実践』は宗教に関係ないんです。ブッダがすべての人類にお願いしている実践なのです

(2011年11月15日 取材中に小耳に挟んだスマナサーラ老の言葉より)

 

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~生きとし生けるものが幸せでありますように~