仏教を知るキーワード【11】業 ~善悪の結果をもたらす人間の行為~

未来に向けてどんな心の流れを作るかは、今の自分にかかっている

業(ごう)とは、「人間が身体・言語・こころでなした行為(身口意の三業)は、その行為の質により自らに善悪の結果をもたらす」という教えだ。ブッダは出家在家男女を問わず、世俗で幸福に生き、解脱に達する方法として、業を観察せよと勧めた。「私は業そのものであり、私が相続しているものは業であり、私を生んだのは業であり、私の血縁・親類者といえば業であり、私の拠り所になるのは業である。私が何か行為をするならば、善であれ悪であれ、私はその結果を相続する」と。

ブッダが業の観察を勧めたのは、止悪作善のためである。自分を業そのものと知り、行為の責任は自らが受けるとみなす人は、当然、悪行為を避けようとするだろう。ゆえに、業を観察することは悪行為をやめる最適の手段とされる。

もちろん、我々には「自業自得」を厳密に証明する手段はない。ブッダも衆生が業を知り尽くすことは不可能と釘を刺す。しかし自分の現状を幸福(楽)とするか、不幸(苦)とするかは、あくまで自分の外界に対する感じ方に依存している。同じ状況に対して感情的に泣き喚いて自暴自棄になるか、あるいは理性的に受け止めて適切な対処を取るかによって人生は大きく変わる。それはまさに「自業自得」である。

仏教では、変化生滅しながら相続される心の流れを輪廻と呼ぶ。心の流れは身口意の行為によって向きを変え、強弱の変化を繰り返す。今の心の流れは、つねに過去の心の流れに影響を受け続けている。未来に向けてどんな心の流れを作るかは、今の自分にかかっている。また、それは、今の自分にしかできない仕事でもある。「私は業そのもの」というブッダの業論は、どこまでも前向きな教えなのだ。

総図解 よくわかる 仏教

総図解 よくわかる 仏教

 

※『総図解 よくわかる 仏教』(2011,新人物往来社)に寄稿した原稿を再編集して掲載していきます。

業(カルマ)に関するスマナサーラ長老の諸著作です。順番に専門的な内容になっていきます。本文で触れた「業の観察」については、施本PDF『常に観察すべき五つの真理 Abhiṇhapaccavekkhitabbaṭhānasuttaṃ』が参考になります。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~