仏教を知るキーワード【06】無常・苦・無我 ~自己観察によって発見される真理~

3つの真理を体得すれば、あらゆる現象への執着がなくなり、さとりの境地に達する

無常と苦と無我は、「三相」あるいは「三法印」と言われ、存在の「ありのまま」を三つの側面から説いた教えとして知られている。しかし、無常と苦と無我はあくまで自己観察によって発見される「真理」であることを忘れてはならないだろう。

ブッダは生命を身体(色)、感覚(受)、概念(想)、感情・衝動(行)、認識・こころ(識)の「五蘊」に分別する。または「眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、身(皮膚感覚)、意(こころ)」という六つの認識チャンネル「六処」に分別する。あるいは一切の存在について、六処にその対象「色と形(色)、音(声)、匂い(香)、味(味)、皮膚に触れる対象(触)、概念(法)」を加えた十二処に分別する場合もある。

初期経典のなかでブッダは、修行僧にこう語りかける。「比丘たちよ、眼は無常である。すべて無常なるものは苦である。すべて苦なるものは無我である」と。分別された他の項目(耳鼻舌身意)についても、無常であり、苦であり、無我であると繰り返す。

無常と苦と無我は、別々に説かれることもあれば、関連付けて説かれることもある。無常とは、一切の現象は瞬間も留まらず変化するという真理。苦とは、我々の感受・認識=生きるいとなみは「苦(ドゥッカ)」そのものという真理*1無我とは、我々の内にも外にも我、本体、魂とみなせるものは成立しないという真理。それらの真理は五蘊や六処といった具体的な観察対象において、見出されるべきものである。自己観察によって真理を発見した人は、「すべての現象(法)は執着に値しない」と明(あき)らめる。しがみつくべきものなど何もないと体得した人は、現象への執着を「解脱」して、涅槃の境地に達するのである。

総図解 よくわかる 仏教

総図解 よくわかる 仏教

 

※『総図解 よくわかる 仏教』(2011,新人物往来社)に寄稿した原稿を再編集して掲載していきます。

無常・苦・無我について知りたいならば、スマナサーラ長老のサンガ新書3部作に尽きると思います。『無常の見方』は最初の一冊としておススメ。

苦(ドゥッカ)については、他の著作でも語られていますが、決定版と言える内容。

初期仏教の無我説について精緻に分析した著作です。これも必携でしょう。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~ 

*1:スマナサーラ長老は苦(ドゥッカ)についてこう述べる。「お釈迦さまはドゥッカという言葉で、この世の真実の姿を表現されました。ではドゥッカというのはどういう意味かといいますと『空しい、不満、不安定、苦しい』というような意味です。つまらないものであって、執着するようなものではない。捨てる程度のものだ、ということです」http://www.j-theravada.net/pali/key-dukkha.html