夜間飛行

火山活動の活発化で話題になる少し前、箱根を観光しました。三歳下の妹が生まれる前に両親と旅行したらしいのですが、まったく記憶はなし。いまは立ち入り禁止の大涌谷で黒卵も食いましたよ。その時に「星の王子さまミュージアム」という施設を見学した流れで、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの代表作『夜間飛行』(光文社古典新訳文庫 二木麻里・訳)を読んでみました。やけに印象に残ったのが、以下の一節。

わたしはあの男の恐怖心を取りのぞいている。わたしが責めていたのは彼ではない、彼の心をよぎったものだ。未知のものを前にしたときに万人の足をすくませる、あの抵抗感のほうだ。もしあのまま話を聞き入れて、相手の気持ちに寄り添ったうえ、冒険譚をまともに受けとめるようなことをしていたら、本人は神秘の国から生還したのだと自分でも思い込んでしまうだろう。だが、ひとを怖がらせる唯一のものが神秘なのだ。誰もが暗闇の井戸の底に降り、また昇ってきて、べつに何もなかったよと言えるようでなければならない。あのパイロットも、夜の懐の最深部にうごめく濃厚な闇の中に降りていき、かろうじて両手や翼を照らす小さな炭鉱ランプもないままに、正面を向いて未知の空間を押し通るようでなければならないのだ。

危険な夜間航路にパイロットを送り出す郵便航空会社社長――事実上の主人公――リヴィエールの独白です。この、仏教とはまったく縁遠いように思える古い小説の言葉から、われわれにヴィパッサナーを指導する長老方の苦労と願いが少しだけ垣間見えたように思えて感慨深かったのです。皆さんの夜間飛行に幸あれかし。

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

 

 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~