広島原爆慰霊碑と天道思想 大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』より

 
大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』勉誠出版,2005を読んでいる。

神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想

神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想

 

同著の序章には、日本における天道思想と災害・戦争天罰論の関わりについて詳しい記述があった。永井荷風内村鑑三と並んで、晩年の森嶋通夫が日本の経済的停滞について呪詛のごとき「天罰」発言を行なっていたことも紹介されており、愕然とした。
 
昨年はもっぱら仏教サイドから論じてきたけれど、日本における天道思想と天罰という問題は根が深いようだ。著者の大橋氏が311後の震災天罰説について、どんなコメントしてたか興味がある。
 
同著の序章には、いろいろ批判の絶えない広島原爆慰霊碑の文について、日本人に深く内面化されたという「天道思想」から論じた一節がある。神田千里の戦国研究も踏まえた、渡辺京二の評論を紹介したものだが、ショッキングな解釈で、一読してかなり凹んだ。以下、省略しつつ、紹介したい。
 
昭和27(1952)年8月6日に建立された広島の原爆慰霊碑(原爆死没者慰霊碑)には、
 
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
 
という言葉が刻まれている。雑賀忠義の撰文・揮毫による、この碑文を初めて目にした人は素朴な疑問を禁じ得ないだろう。「過ちを犯したのは日本ではなく、アメリカではないか」と。
 
「…日本人の手になる原爆慰霊碑文は、きわめて不条理で、かつ正義にもとるものと言わざるを得ない。(中略)ところで、この碑文には、戦前のわが国の間違った軍国主義者らによって引き起こされた悪しき戦争であり、原爆被害はこれに対する応報の罰だというニュアンスがある」
 
「原爆慰霊碑の碑文に、このようなニュアンスが感じられるとすれば、それは儒教の天道思想に基づく、日本古来の天罰観が無意識のうちに表明されている」
 
ここで織田信長が女子供含めた皆殺し(根切)を行った比叡山焼き討ちや長島一向一揆の殲滅と天道思想の普及との関連が説かれる。
 
「信長の「皆殺し」は「領民を敵の殺戮に任せるような領主は、年貢を取る資格もない領主失格者」と民衆の通念に訴えるのが狙い…ダメな支配者すなわち悪王に服従し支持した民衆に対する一種の「罰」として<みな殺し>という残酷過酷な演出が行われた」
 
この種の政治アピールが奏功する為には15世紀室町以降に広まった「領主に対して、領内の平和と秩序を維持することを、その資格条件として求める」政治思想、儒教的徳治主義の存在と民衆への普及が大前提であった。
 
それは「中国儒教古来の禅譲放伐という革命思想=天道思想とセット」で広まった。領主失格の支配者に服従し支持した民衆が被るべき「皆殺し」という罰は、天道思想によって「天罰」として正当化されたのである。
 
天道という観念とセットになったこの政治思想は、秀吉の天下統一を促した。江戸期には天道思想は武士のみならず「お天道様」として庶民一般の規範意識形成にも寄与し広範な影響力を持ったというのである。
 
渡辺京二とそれを引く大橋健二によれば、原爆慰霊碑の「過ちは繰返しませぬ」との文言の意味するものはこうなる。
 
それは、「広島の虐殺は軍国主義的支配者の誤った指導が招いたもので、そのような支配者に従う過ちは繰り返さない」との宣言にほかならない。
 
アメリカは原爆投下で「日本の支配者に失格の烙印を捺すことに成功した」。織田信長が比叡山長島一向一揆に対して行った皆殺し(根切)のように、住民をミスリードして大量虐殺を招くような愚かな支配者を選んだ「過ち」を日本の民衆に思い知らせるアメリカの政治的アピールだった。
 
このような解釈からすれば「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文は、「愚かな支配者を選ぶという重大な過失を犯したために恐るべき「天罰」が下されてしまったという日本国民自身の後悔の念の表明だったことになる。」
 
「…天道思想に基づく「天罰」観が広く民衆に共有されてきたことを思うとき、原爆慰霊碑の不可解、不条理な文言には考案者の意図とは別に、そこには期せずして、天道思想という日本古来の伝統思想が織り込まれてしまったと見るべきだろう。」
 
以上、大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』勉誠出版2005序章16-24pを端折りながら紹介した。
 
大橋氏が紹介している元ネタ評論は渡辺京二『日本近世の起源』さらに渡辺京二が依拠した元ネタ研究は神田千里『信長と石山合戦』である。『日本近世の起源』は苦労して読んだつもりだが、原爆慰霊碑のくだりは記憶にない。頭に入っていなかった。orz
 

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天道思想に引き寄せたこの解釈は牽強付会かも知れないが、原爆慰霊碑文の「思想謎解き」としてはかなりしっくり来るように思えた。原爆投下による大量虐殺が、 国民国家の建前を吹き飛ばし、血腥い戦国の殺戮を通じて日本人の心裡に刻まれた信仰・観念を呼び起こしたのだとしても、不思議はないだろう。
 
芸州門徒が多数を占める広島原爆犠牲者を慰霊する「広島原爆慰霊碑」の背後に、近世武家政権の統治イデオロギーたる「天道思想」の確立の過程で生贄にされた一向一揆の門徒衆(彼らを動員した本願寺が、ひたすら権益維持に門徒を利用した事実は神田千里が明らかにしている)の阿鼻叫喚を幻視させられるのだとしたら、余りにも苦々しい趣向ではないか。
 
日本思想史って、ほんと切ない。
 
繰り返しになるが、大橋健二『神話の壊滅 大塩平八郎と天道思想』勉誠出版,2005序章で紹介されていた広島原爆慰霊碑文と天道思想のついての論考(渡辺京二)を再確認したい。渡辺らの説によれば、
 
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
 
という碑の文言の背後に滑り込んでいるのは、戦争での「皆殺し」を頼るに値しない権力者を頼った民衆への「天罰とみなし、無差別虐殺を天意の執行として正当化する「天道思想」である。
 
この、余りにも酷薄な天道思想ゆえに、信長・秀吉・家康と引き継がれた天下統一=統一政権樹立による「自力救済からの救済」が促された。
 
かくも恐ろしい天道思想を「お天道様」のように親しみ込めて内面化してしまった日本人は、原爆という20世紀の根切に直面して、そうとは意識せず、再び天道イデオロギーに跪いた。
 
原爆慰霊碑文と天道思想。充分に説得力ある解釈だと思うのだが、天道思想の酷薄な実相を認めることは「お天道様」を崇める庶民的な伝統思想のイメージに反する。そのような文化ナショナリズム嗜好のバイアスもあって、なかなか受け入れられにくいのではないか
 
禍々しい妄想の渦・集合体は、暴力のフィードバックを通じて強固な「信仰」として人の心に深く根を張り、私たちを呪縛し続けている。それに気づかせてくれる思想史研究は、切なくも勇気のある、一種の「解脱学」と言えるのではないかと思う。
 
"Emancipate yourselves from mental slavery; None but ourselves can free our minds. " Bob Marley
 
神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想

神話の壊滅―大塩平八郎と天道思想

 
 
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜