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大地震のあと

 

生じて滅びる性質を持つ 諸行はまさに無常である。
生じては滅びるそれらから [こころを]静めるのが安楽である。
(無常偈)

 
 3月11日、東北地方太平洋沖地震が起きた時は、ちょうど勤務先のゴータミー精舎ではスマナサーラ長老へのインタビューが行われていました。大きな揺れで書類・書籍や食器類の散乱精舎の壁面にひび割れが入るなどの被害はありましたが、その程度でした。その晩はお寺は帰宅困難者のための臨時の避難所になりました。私も管理を兼ねて泊まり込み、テレビやUstreamに釘付けになって、東北での津波被害の様子を見つめていました。お寺の避難所としての機能は数日続きました。
 
その二日後には、精舎でスマナサーラ長老の法話と冥想の会がありました。地震と津波による甚大な被害に加えて、東京電力福島第一原発の事故の深刻さもさかんに報道されていたため、会場は切迫した緊張感に包まれていました。法話会のあいだも余震は続いていました。その日、震災についても触れられた長老の法話を、Twitterで実況しました。
 
その夜、法話の音声は『「落ち着き」だけが「私のもの」になる』というタイトルでインターネット上に音声配信されました。

スマナサーラ長老を通じて発せられたブッダのメッセージは、震災で東日本の社会インフラがずたずたに引き裂かれるなかで、唯一、正常に機能していたインターネットを通じて、被災地と被災地を心配する人々の間に広まっていきました。その時の法話を元にしたテキストは『サンガジャパン』誌第6号、震災特集の巻頭に掲載されました。

サンガジャパン Vol.6(2011Summer)

サンガジャパン Vol.6(2011Summer)

席を温める暇もなく、山口県での法要と勉強会のために旅だったスマナサーラ長老に、ひとつのお願いをしました。それは、今回の震災で被災者した人々に向けてのメッセージを出してほしい、というお願いでした。未曽有の震災に打ちのめされ、打ちひしがれている人々、不安に押しつぶされている人々に、仏教者の言葉が支えになるのではないかと思ったのです。
 
スマナサーラ長老は快く受けて下さり、心のこもったメッセージを寄せてくれました。日本テーラワーダ仏教協会の機関誌『パティパダー』発送日である三月十八日にあわせて、『東日本大震災で被災された皆様へ 災害に遭遇した時の心構え』として発表されました。

メッセージの中で、スマナサーラ長老は、「人間にどれぐらい精神力・能力があるか、災難の時に分かる」というブッダの言葉を引いています。これは本当のことだと思いました。
 
震災後、仕事関係でも思わぬトラブルが続きました。精神的にけっこうしんどい日々が続くなか、自分の心の支えになったのは、やはりブッダの言葉、宗派を問わず仏弟子たちが残した言葉でした。
 
震災から四日後、中毒状態で愛用しているTwitterで「写経」のように呟いたのは次のような仏語です。
 

比丘たちよ、森や樹下、あるいは静かな処で正自覚者(ブッダ)をそなたらが念じ続ければ、そなたらに恐怖は起こらないであろう。
もし、世の主であり人中の最上人である仏(ブッダ)をそなたらが念じないならば、その時は(衆生を)輪廻より解脱させる、よく説かれた法(ダンマ)をそなたらは念ずるがよい。
もし、(衆生を)輪廻より解脱させるよく説かれた法をそなたらが念じないならば、その時は、無上の福田である僧(サンガ)をそなたらは念ずるがよい。
比丘たちよ、このように仏・法・及び僧を念ずるものには、恐怖、あるいは硬直、あるいは身の毛のよだちが起こらないであろう。(相応部『旗先経』より)

 
 経題となっている「旗先」とは、戦争の時に用いられる「軍旗」のことです。神々が阿修羅との戦争に挑むとき、混沌とした戦場で恐怖におののいてしまうことがある。しかし、総大将である帝釈天の旗を仰げば、勇気が奮い立って恐怖は跡形もなく消え去ってしまう。そのように、仏弟子は仏法僧を念じることで恐怖から解放されるというのです。混乱する世の中で、私たちが拠り所とすべきは仏法僧である、仏法僧を信頼して、安心して励みなさい、という教えです。
 

比丘たちよ、この道は有情を清め、心配・悲泣をのり越え、苦しみ・憂いを滅し、聖なる道を得、涅槃を見るための一道である。これは四つの念処である。四つとは何か。
 ここに比丘たちよ、比丘が努力し、正しく知り、念をもって[身に関する]世間の貪り・憂いを調伏し、身において身を随観し続ける。
努力し、正しく知り、念をもって[受に関する]世間の貪り・憂いを調伏し、受において受を随観し続ける。
 努力し、正しく知り、念をもって[心に関する]世間の貪り・憂いを調伏し、心において心を随観し続ける。
努力し、正しく知り、念をもって[法に関する]世間の貪り・憂いを調伏し、法において法を随観し続けることである。
(長部・中部『念処経』より)

 
釈尊が説かれた「気づきの冥想(ヴィパッサナー冥想)」に関する根本経典として名高い『念処経(サティパッターナスッタ)』からの一節です。何が起きても、向上のために為すべきことは一つ。気づきこそが覚りへの一本道である、という言葉です。地震が起きても、津波が来ても、原子力発電所が事故を起こして放射能で被曝したとしても、私たちが歩むべき仏道が代わってしまうわけではありません。気づきの実践によって「世間の貪り・憂いを調伏」することが不易の道になるのです。釈尊の次の言葉も、心に染み込みました。
 

 [ローヒタッサ]天子よ、生れず、老いず、死なず、[それぞれの有情の仲間から]変異せず、再生しない世界の辺(涅槃)を、歩いて行って知り、見、到達することができると私は説かない。また天子よ、世界の辺に到達しないで、苦を滅するとも私は説かない。
 天子よ、実は想があり、意があるこの身長一尋(ひとひろ)の肉体において世界と世界の因と世界の滅と世界の滅に至る道と(四聖諦)を私は説くのである。世界の辺に、歩いては決して到達できはしない。世界の辺に到達しないで、苦から逃れることもない。
 それゆえ、世界を知り、世界の辺に到達し、修行を完成した寂静の賢者は、世界の辺を知り、この世とあの世を求めない。
(増支部『ローヒタッサ経』より)

 
これは世界の果てを探して旅を続けたローヒタッサという神に向かって、釈尊が説法したという記録です。どこにも逃げ隠れする必要はない。あなたは今いるこの場所で、この身体をもって、「世界の辺」すなわち解脱・涅槃に到達することができるのだ、私が教えているのはその方法だよ、という釈尊の励ましです。
 
学生時代から幾度となく読み返してきた日本仏教の古典からも勇気をいただきました。曹洞宗の宗祖、道元禅師が宋の国に留学していたとき、師事した天童如浄禅師との対話を記した『宝慶記』というテキストです。
 

宝慶記―道元の入宋求法ノート

宝慶記―道元の入宋求法ノート

 

堂頭和尚、慈誨していわく、仏祖の児孫は、先ず五蓋を除き、後に六蓋を除く。五蓋に無明蓋を加え、六蓋となす。ただ無明蓋をのみを除くも、すなわち五蓋を除くなり。五蓋を離るといえども、無明蓋いまだに離れずんば、いまだ仏祖の修証には到らざるなり。
 道元すなわち礼拝して拝謝して、叉手してもうさく、前来、いまだ今日の和尚の指示(のごとき)を聞かず。這裡の箇々の老宿、耆年、雲水、兄弟もすべて知らず。またかつて説かず。今日、多幸にも特に和尚の大慈大悲を蒙り、たちまちにいまだかつて聞かざる処を蒙るは宿殖の幸いなり。ただし五蓋六蓋を除くに、その秘術ありやいなや。
 和尚、微笑していわく、爾が向来、功夫をなすはなにをはなすや。這箇はすなわちこれ六蓋を離る法なり。仏仏祖祖は階級を待たず、直指単伝して五蓋六蓋を離れ、五欲等を呵するなり。祇管に打坐して功夫をなし、身心脱落し来るは、すなわち五蓋六蓋を離れる術なり。この外すべて別事なし。まったく一箇事もなし、あに二に落ち三に落つる者あらんや。

 
もちろん、旗先経や念処経やローヒタッサ経、宝慶記の身震いがするような覚者の言葉を反芻しても、不安や怒りに駆られてしまう震災後の嵐のような心がぴたりと安定したわけではありません。そんな「さとりすました」気持ちでは、とうてい居られませんでした。しかし、釈尊が説かれた清らかな真理の世界について、ふと思いをよせるだけで、心の混乱はひととき収まって、ようやく息継ぎできたように思えたことも確かです。
 
この「写経」をした3月15日は、東京電力福島第一原発で前日までの1号機、3号機爆発に続けて、2号機の爆発が起こました。後から知ったことですが、東京にも大量の放射能が降り注いだそうです。無意識に危機感をおぼえていたのかもしれません。
 
筆写したのは上記のような言葉でしたが、震災から三ヶ月ほど、肌身離さずは大袈裟にせよ、ずっと携行していたのは『一遍上人語録』でした。この本は高校時代から折にふれて読んでいる本です。震災に際して読み返したことで、元冦によって国の存立自体が揺るがされていた時代、日本全国を遊行し続けた上人の「非常時の仏教」とでも謂うべき迫力を再発見させられました。
 

一遍上人語録 (岩波文庫 青 321-1)

一遍上人語録 (岩波文庫 青 321-1)

一遍聖絵 (岩波文庫)

一遍聖絵 (岩波文庫)

 
最後に、一遍上人の和歌を紹介したいと思います。311のあと、獄中にいる法友へ送った手紙に付したものです。
 

はかなしな しばしかばねの くちぬほど
野原のつちは よそに見えけり
 
世の中を すつるわが身も ゆめなれば
たれをか すてぬ人とみるべき
 
身をすつる すつる心を すてつれば
おもひなき世に すみぞめの袖

 
東日本大震災の被災地の方々の苦労を思うと、詰まらない心の動揺についてゴチャゴチャ言葉を重ねるのは恥ずかしいですが、半年経ったことの区切りとして書いておくことにしました。
 
〜生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように〜