矢田部英正『日本人の坐り方』集英社新書

日本人の坐り方 (集英社新書)

日本人の坐り方 (集英社新書)

矢田部英正『日本人の坐り方』集英社新書、面白い。
 
日本人の正座(正式な坐り方)が現在の形になったのは割と最近で、 歴史的にはもっと多様な「正座」があったという。著者の説はたしか朝日新聞でいぜん読んだことがあったけれど、まとまった文章で論証されると新鮮。「伝統的」とされる立ち居振る舞いも、実は時代精神や社会体制の変化によって形成されてきたものなのだ。
 
日本の着物の寸法は、寛永年間に女性の動きを不自由にする意図で(穿ち過ぎ?)定められたものだという。それまでの着物はもっとゆったり作られ、帯も細く、女性でも立て膝をついて楽に座ることができた。となると、和装に関しては「江戸時代の相対化」が活性化の鍵になるかも知れない。
 
江戸時代の女性が野外で花見を楽しむため、袴を履いた絵も残っている。キモノの身幅が狭くなったことで、袴が重要になったわけか。
 
現在の「正坐」は殿中で主君に忠誠を誓う姿勢であった端坐に由来する。明治10年代、小笠原流の礼法教育に基づき学校教育を通じて全国民に広められた。現人神天皇に忠誠を誓う「臣民」の座り方としては相応しいものと考えられたのだろう。
 
様々な軋轢をへて、「正座」が国民各層に浸透したのは昭和に入ってからのこと。単一の坐り方を「正坐=伝統的な坐り方」とするイデオロギーはまさに「近代の産物」「近代の偶像」だったのだ。
 
伝統文化=正坐という近代イデオロギーにより、伝統文化のフレームから「崩し」「くつろぎ」の感性が排除されてしまったと著者は指摘する。
 
いまさら感もあるが、"「しびれを切らしてでも正坐に耐えることが礼儀である」という歪んだ伝統の呪縛から解放される"ことは、日本文化の次世代への継承のためにも必要だと思う。
 
江戸時代の茶の湯の正式な座り方は立膝だったそうだ。太ってる人は胡座でもよかった。「長時間の正座に耐えるのが茶道の第一関門」と聞いたら利休も失笑するだろう。事実、もっとも有名な利休の肖像画(長谷川等伯画)は安坐である。
 
明治に由来する正座の「偶像崇拝」によって、日本の伝統文化から柔軟性が削ぎ落とされてしまった弊害は案外と大きいかもしれない。
 
もちろん著者も正坐の機能性や普及の必然性は認めている。それが「唯一の正しい坐法」という硬直した思想を批判しているのだ。実際、韓国は今も立膝での座り方が一般的だ。
 
日本の伝統文化の継承をしている(つもりの)人が実はもっとも極端な形で近代国家の統治イデオロギーのブースター役を果たしてしまっている、という逆説は「正座」の偶像崇拝に限らず日本社会のあちこちに見られるのだろうと思う。仏教に関しても同じような検証は必要と思う。
 
そういう反省の契機にもなる良い本だ。
 
仏教関連では、六章「坐の体験世界」で禅の坐法についても触れている。結跏趺坐を強調する禅宗に対して、スリランカの仏像はみな半跏趺坐であることを指摘しているのは、細かいけれど重要。
 
それから、踵の上に座る姿勢でしゃがんで仕事していた昔の日本人にとって、前のめりで足を固定できる下駄は「坐具」でもあったという指摘には目から鱗が落ちた。
 
というわけで、細かいところまで驚きの連続だった。
 
〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜