反原発をやりなおす


東日本大震災で被災した皆さんに心よりお見舞い申し上げます。
亡くなられたたくさんの方々に心から哀悼の意を表します。


ご存知のように、福島第一原発では広範囲への放射能漏れを伴った深刻な事故が進行中です。
この事態を、自分の半生を振り返りながら、激しい後悔の気持ちで見守っています。


チェルノブイリ事故が起きた1986年、僕は14歳でした。それから数年の間、『宝島』などサブカル誌も巻き込み反原発脱原発が盛り上がりました。でも、やがて勢いを失って、収束してしまいました(そのように見えました)。僕も根気が続かず、運動ごっこからは離れました。


その後、いわゆるエコロジーは市民権を得ました。社会の常識になりました。かっこいいライフスタイルとして、ロハスという言葉も流行りました。でも一皮剥けば、「原子力発電はエコなエネルギー」という電気事業連合会のPRを織り込んだ、原発マネーにずぶずぶに浸された道化芝居に過ぎないものでした。


僕はそういうものを嫌悪しつつ、揶揄しつつ、でも積極的に原発が乱立する日本の危険な状況を変えようとはしてこなかった。


こんな事になるなら、もっと根気よく、命がけで運動すべきだったと思っています。若い世代に心から詫びたいです。謝って済むことではありませんが、原発事故という未曽有の「人災」に、不作為によって加担してしまったことの罪は背負っていかなくてはいけないと思っています。


今回、Ustreamなどで久々に広瀬隆の姿を見ました。僕の母校に子供を在籍させていた広瀬隆の講演を母校の講堂で聴いたこともありました。パワーポイント以前のスライドを多用した恐ろしい放射能怪談に震えたことを憶えています。


白髪が増え、肌は老人の色となり、しかし眼光の鋭さと攻撃的な口調だけは磨きがかかった広瀬隆の姿をディスプレイ越しに観て、僕は祖国の滅亡を前にして、預言者をないがしろにし、無視したことを後悔する『旧約聖書』のユダヤ人の気持ちがわかったような気がしました。


むろんそれは感傷に過ぎませんし、広瀬隆のように陰謀論じみた『危険な話』を流布することで、現状を変えられるとは思えない。80年代の反原発運動も、伊方原発の出力調整運転実験という分かりやすい終末論によってガス抜きされた(いま思えば、あれも原発推進派に半ばハメられたのでしょう)ことで、勢いを失った面があります。


日本は覚醒剤中毒のように、原発原発を推進する利権構造に絡め取られています。原発マネーと骨絡みになっていた(略)文化人も、きっとほとぼりが冷めたら、おずおずと良識派ぶって原発はやっぱり必要と言い始めるでしょう。時間がたてば、そっちのほうが「受ける」ようになるでしょう。


直近では、原発推進派だと豪語する差別主義者の文学者が、相変わらず圧倒的な得票で都知事になる可能性もあります。


ですから、福島第一原発の事故がどれほど深刻になろうと、状況は変わらないかもしれない。まったく楽観していません。
どうせ負け戦かもしれません。嘲笑されて、うざがられて終わるかもしれません。


でも、僕ももう数えでは40歳です。平均寿命というアテにならない指標から見ても、人生は半分以上終わりました。あと残り何年あるか分かりませんが、十代の頃に投げ出してしまった反原発脱原発という運動に、もう一度向きあって、出来うる限り参加していきたいと思います。


〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜