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「煩悩」って、いったい何者でしょう

2010年03月02日のつぶやきより。スマナサーラ長老、横浜朝日カルチャー講義「煩悩」って、いったい何者でしょう 講義メモです。

心の中はどうなってるの?―役立つ初期仏教法話〈5〉 (サンガ新書)

心の中はどうなってるの?―役立つ初期仏教法話〈5〉 (サンガ新書)

#jtba 横浜朝日カルチャー講義「煩悩」って、いったい何者でしょう スマナサーラ長老 始まりました。
posted at 15:18:23

#jtba 印象に残ったスマナサーラ長老の言葉をつぶやきます。
posted at 15:20:18

#jtba 長老:どんな大切にしていること、気にかけていることでも、息が止まった瞬間にぷつっと切れてしまう。自分にはどうしようもなくなる。それを覚えておきましょう。
posted at 15:23:04

#jtba 長老:蓮の葉の上に落ちた水滴のように、現世の問題にとらわれないで軽やかに生きる。それが仏教の理想の生き方です。そうは言っても、とらわれてしまう。心配事で眠れない夜もある。
posted at 15:25:59

#jtba 長老: 自分が株で1億円儲けても1億円損しても死んでしまったら自分とは何の関係も無くなります。自分に子供が生まれたら喜びのあまり極度に執着してしまう。蓮の葉の上の水どころか、雑巾に染みついた水のように。それが煩悩です。煩悩とは軽やかに楽に生きる生き方に邪魔するもの。
posted at 15:30:15

#jtba 長老:親の愛着・執着によって子供の成長が邪魔されてしまう。自立の可能性が摘み取られてしまう。成長、進歩がない。煩悩が人間の成長、進歩に邪魔する。これってかなりややこしい問題です。自分のことになると、そんなこと言っても、、、となってしまう。
posted at 15:35:26

#jtba 長老:執着は煩悩の同義語です。執着によって人生にあらゆる問題、悩み苦しみが起こる。しかし執着がないと何もできないと思い込んでいる。執着することは楽しい、と思ってしまう。
posted at 15:37:39

#jtba 長老:執着に引きずられる人は決まったレールの上の人生を歩むだけ。大胆な人間にはなれない。大胆なことできないのは執着があるから。執着のない大胆な人の代表はお釈迦様です。釈尊は日本でけっこうケチつけられます。しかし結果をみれば、あれほど智慧を開発した人は、現れていない。
posted at 15:41:33

#jtba 世界は平らと思われていた時代に生きた人なのに、釈尊の言葉は一言だって時代遅れになっていない。現代の宇宙論に遜色ないレベルで宇宙を語っている箇所も経典にある。時間も宇宙がひとつ現れて消えるカルパ(こう)という単位で語っている。何の科学もない時代にそこまで言えるのかと。
posted at 15:46:04

#jtba 長老:経典では、宇宙について語るのはちょっとした雑談。自分の小さな問題に執着するに値しないことを語る場合の例え。我々は執着を無くすと、限りない解放感を覚えるのです。
posted at 15:48:36

#jtba 長老:釈尊はなぜそこまで大胆に語ること出来たのか。一切の執着を捨てた、という一点によって、無量の智慧が現れた。英語圏で仏教を難ずる人は、神による創造を知らなかった釈尊は愚かという。創造説というのは単なる原始人の思考ですけど。
posted at 15:51:36

#jtba 長老:釈尊は、私が発見した真理を真理ではないと否定できる生命(人間も神々も一切の存在)は、今もこれまでもこれからも現れることはない、と大胆に断言しているのです。
posted at 15:53:58

#jtba 釈尊は王位を捨てたという。釈迦国はコーサラ国の属国だったが、インドの覇者であるコーサラ王は釈尊に額をつけて礼拝した。執着すてた釈尊には誰もかなわなかった。ここまで前ふりです。
posted at 15:56:51

#jtba 長老:人の命というのは、極端に儚いもの。ちょっとしたことで人は死んでしまう。そんな儚いものを永遠不滅だと思い込んでいる。だから大変苦労しています。永遠の魂があるのだとか、妄想観念をつくって。
posted at 16:00:11

#jtba 長老:体という物体の中に、こころという機能が働いているのです。死んだというのはその機能が停止すること。体が本物の物体になること。物体というのは机と同じで何もできません。しかし我々は机を使って様々なことをしている。
posted at 16:03:15

#jtba 長老:すべてに優先するのは、こころです。原爆作ることも、畑耕すことも、こころがやっています。こころが手足を使って様々なことをさせているのです。優先はこころです。育てるべきはこころです。しかし人間はそれを認めない。体だけ育てればいいと思っている。その勘違いで酷い目に。
posted at 16:06:28

#jtba 長老:人間は肉体を育てるがこころ育てることしない。だから、我々はいつでも未熟。こころは自分が偉いと思っているので、こころ育てることは嫌。だから仏教は一番嫌われる。汝は神の子である、汝の魂は光そのものなり、と褒めてあげると喜ぶ。こころは未熟で、制御をいやがる。
posted at 16:10:10

#jtba 長老:その証拠に、何か問題が起こると原因を探す。必ず自分以外の誰かのせいにする。それがこころの性格。こころは「あいつのせいだ」と言いたい。決して自分の方向に指を向けたくない。それがこころの特色。こころは成長を嫌う。
posted at 16:12:28

#jtba 長老:宗教になるともっと酷い。すべて神のせいにする。神の思し召しなどと嘘をいう。人間のせいで世界がハチャメチャになっていることを認めない。
posted at 16:13:50

#jtba 長老:聖書には余りにも恐ろしいことが書いてあるので、誰もそれを文字どおり守っていない。仏教は守れない戒律は言っていないのです。守りやすいものです。
posted at 16:19:03

#jtba 長老:こころの成長というのは、一番嫌なこと。こころ育てようとする人は、聞きたくないこと、見たくないものと直面しないといけない。自分は嫉妬ぶかい嫉妬の塊だと認めたくないでしょう? 我々が聞きたいのは、貴方はいい性格ですね、という褒め言葉。聞きたい話は全部嘘です。
posted at 16:21:58

心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)

心は病気―役立つ初期仏教法話〈2〉 (サンガ新書)

#jtba 長老:こころというのは本来無知で未熟で一寸先も知らない。そのこころが我々の指導者なのです。一度も山登りしたことない人が富士山に登ろうとしているようなもの。
posted at 16:23:48

#jtba 長老:プロの登山指導は、何も知らない素人には不合理に思えることがある。なぜここで休まなくてはいけないの?なぜここで防寒着を着るの?とか。しかし指導者は何度も山に登った経験で指導するのです。
posted at 16:26:26

#jtba 長老:こころの問題、変化を嫌う。変化が嫌ということは成り立たない。成り立たないことを妄想する。永遠の天国、永遠の地獄とか。自分の仲間でない連中は永遠の地獄に堕ちろと。そういう恐ろしい思考をするのもこころです。
posted at 16:29:28

#jtba 長老:仏教では永遠の地獄という残酷な思考はない。浄土教でも、南無阿弥陀仏ととなえないから地獄に堕ちると言わない。
posted at 16:31:30

#jtba 長老:こころに必要なのは、刺激だけ。刺激によってこころを回転させて、生き続けている。
posted at 16:32:41

#jtba 死ぬ思いをしてエベレストに登るのも、楽しいと思っているから。でも何が楽しいんでしょうか? 私もスリランカで巡礼登山しましたが、ひたすら苦しかった。登れたという満足感だけ。こころに必要なのは刺激だけ。楽しいとか苦しいとか関係ない。
posted at 16:37:53

#jtba 長老:ひきこもりの人も刺激を欲している。社会の刺激は嫌だから、自分の妄想の刺激にふけっている。こころとは刺激狂いですよ。
posted at 16:39:25

#jtba 長老:我々はこころで認識している。その認識はありのままではない。あってほしいままに認識する。激しい刺激を受けられるように、工夫して認識する。茶道や華道も激しい刺激を受けられるような工夫。あってほしい認識を捏造する。それでありのままの真理を分からなくなる。
posted at 16:44:01

#jtba 長老:子供を教育する場合もたくさんの刺激を与えておいて、その隙にちょこっと知識を挟む。専ら刺激だけを得られる麻薬やパチンコには簡単にはまる。勉強にはまるのはそれより難しい。闇雲に刺激を求めることは無知という。人間はだれもが無知に突き動かされている。
posted at 16:47:23

#jtba 長老:我々は情報を正しく知っていない。情報を主観で都合で、汚すことを煩悩というのです。
posted at 16:50:18

#jtba 長老:我々は事実を捻じ曲げるのに、よい結果を期待する。捏造したデータでいい結果は出るはずがない。それは勘違い。我々は生きる上でよい結果を期待するが得られない。こんなはずではなかったと。
posted at 16:54:04

#jtba 長老:こころには目の前の刺激にふけれれば充分、という特色がある。こころには目の前のことしか見えない。
posted at 16:56:56

#jtba 長老:宗教修行で煩悩はきえません。かえって増えるだけ。断食したりしても、傲慢が増す。善い行為をすれば善い結果があるだけ。我々は捏造して認識しているのだ、ということには誰も気づかない。(その捏造を止めることが修行だということも知らない)。
posted at 17:02:20

#jtba 長老:煩悩は1500というが、それは仏教の勉強の話。大きく分ければ貪瞋痴の三つ。欲、怒り、無関心。皆様の言葉で言えば、ネガティブ感情が煩悩。しかし皆様の世界で考えているポジティブ感情も、仏教から見ればネガティブなんです。
posted at 17:05:32

#jtba 長老:俗世間のネガティブ思考は怒り。ポジティブ思考は欲。仏教ではそれもネガティブ。仏教では欲の代わりに、貢献する、役に立つ、という思考に入れ替えろと言う。ヒット商品開発した人は開発した瞬間には欲がなかったのです。これは役にたつぞ、という貢献の思考があった。
posted at 17:09:21

#jtba 長老:怒り・落ち込みの代わりには慈しみを育てる。生きとしいけるものが幸せでありますようにと。
posted at 17:11:09

#jtba 長老:無知の代わりには智慧を育てる。どうでもいいや、の代わりに、どうなってるの?と考えることです。
posted at 17:12:07

#jtba 長老:こころは本来煩悩まみれ。だから不貪不瞋不痴をあえて育てて貪瞋痴と入れ替えないといけない。刺激を求めて生きている限り、煩悩は生まれ続ける。それはたいした問題ではない。気をつけるべきは思考の煩悩。妄想にふけることで人は破滅に導かれる。
posted at 17:15:13

#jtba 長老:こころは老病死をないことにしたい。好きな人と別れたくない、嫌な人とは出会いたくないと思っている。でもその思考は成り立たない。そういう無理なことを期待して泣き喚くのが人間。期待できない不死を期待する。頑張っても期待外れ。
posted at 17:18:55

#jtba 長老:期待すればするほど、煩悩の悪循環が続く。悪循環を断ち切るために不貪不瞋不痴を育てるしかない。そのためのプログラムが、無常の観察なのです。無常を観察することで捏造が破られる。捏造を破ればありのままの真理を発見する。執着がなくなるのです。
posted at 17:22:33

#jtba 長老:煩悩が強い人は笑えない。自分が拘ってることなんかどうってことないんだと思える人は笑えますね。笑顔で笑って生活できれば煩悩がかなり抑えられます。ですから笑顔を絶やさずに! 終わり。
posted at 17:27:39


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