2009年最後のダンマパダ講義twitterメモ

pamAdo maccuno padaM(放逸は死の道)を地で行く感じでうっかり足を捻挫して、今日は一日寝てました。ただ、ネット中継でダンマパダ講義を拝聴しながらtwitter実況したので、以下まとめます。


本日のダンマパダ講義
92:彼らに、蓄積が存在せず、彼らが、食のことを知り尽くしているなら――彼らの、解脱の境涯が空(空性)にして、かつまた、相なきもの(無相)であるなら――彼らの赴く所は、虚空における鳥たちの〔足取り〕のように、捉えどころがない。 #jtba
posted at 16:02:06

#jtba スマナサーラ長老:(ダンマパダ7:阿羅漢の章について)ここで阿羅漢に達する人とはこんなものだと、釈尊が語る。一般人に理解できない。阿羅漢に達するというのは、人間に絶対ない経験です。まるっきりない経験について説明してもわからない。
posted at 16:08:57

#jtba 長老:ですから、我々知っている世界から説明するしかない。「知ってる世界と違う」という話。説明できない。それを目指して頑張るしかない。この偈も阿羅漢の境地を説明している。キーワード:空性 suJJato 、無相 animitto
posted at 16:13:56

#jtba 長老:無相とは?あらゆるものには、「相 nimitta 」がある。ものの特相=特徴がなくなると困る。自分の子供の特相が判らなかったら、群れの中でわが子を判別できなくなる。生きられなくなる。
posted at 16:16:54

#jtba 長老:この特相ということを理解して欲しい。仏教は宗教ではないのだから。 どんなものにも、いかなるものであっても、特相がある。
posted at 16:17:29

#jtba 長老:無相についていきなり勉強しても解るハズない。まず特相について学んでください。あらゆるものには特相ありと。阿羅漢に覚った人には特相なしと。無相であると。それでインスピレーションある人には解るはずです。
posted at 16:21:39

#jtba 長老:特相は次から次へと変化し続ける。コップの中の一杯の水であっても、特相を刻々と変えていく。これはH2Oという科学知識の問題ではない。認識の問題です。認識の変化によって、人生に関わってくる。認識の仕方によって、我々の人生が変わる。そこが仏教の管轄です。
posted at 16:22:57

#jtba 長老:特相という概念は日常にも活かせる。そのものにどこまで興味を持てるのか、によってどこまで学べるかが決まる。(対象の)特相を取ると興味が生まれる。特相を取ると興味が生まれるならば、キャパシティはいくらでも伸ばせる。(その対象について)どこまでも学べる。
posted at 16:23:46

#jtba 長老:人間は勉強すればするほど面白くてどこまでもやるオタクグループと、ちょこちょことやって簡単に醒めるタイプとに分けられます。頭がいいのは前者。「熱しやすく冷めやすい」というのは、無知であること。しつこい、というのは日本語では貶し言葉。本当は頭がいいという意味。
posted at 16:24:28

#jtba 長老:簡単には諦めない、ということですから。
posted at 16:25:37

#jtba 長老:無相について解る、というのはおかしい。わかるのは特相ですから。無相が解る、という言葉は成り立たない。無相であることなんです。空であることなんですね、すべての現象は。
posted at 16:26:07

ニッシン・ドルチェのチョコマシュマロうまー!
posted at 16:28:45

#jtba 長老:空性と無相は人間に理解できない。解脱はまだわかりやすい。自由ということだから。イメージ的に、経験的に、なんとなくわかることです。終身刑だった人が、いきなり恩赦を告げられるようなもの。ものすごい安らぎの波が現れてくる。
posted at 16:30:18

#jtba 長老:ものすごい安らぎの波が現れてくる。束縛からの自由=解脱、という一言だけはなんとなくわかる。過去世を思い出しているならば、即座に解る。輪廻のなかで、無限の苦しみを味わってきたことを思い出すのだから。
posted at 16:31:39

#jtba 長老:覚りとは絶対的な自由なんです。覚ってからどうするの?という問いは成り立たない。ああします、こうします、はない。我々は束縛の身だから、覚りなんて詰まらないでしょ?最悪でしょ、と思ってしまう。
posted at 16:34:56

#jtba 長老:解脱という言葉さえも、結局は判らなく終わってしまう。(空性、無相に比べれば)比較的わかり易い言葉だけど。
posted at 16:35:26

#jtba 長老:空であること、無相であることが、彼(覚った人)の管轄。それでは判らないのだから、もう一つ喩えをもってくる。……空を飛ぶ鳥たちが足跡を残さないように、彼らが赴くところは推測もできない。
posted at 16:39:27

#jtba 長老:推測すらもできない、ということ。データを元にシミュレーションもできない。特相あると認識が生まれる。特相取れないと見えない。対象と自分の間にある空気が見えないようなもの。特相をとりっぱなし思考しっぱなし。瞑想指導で言っている「思考停止」とは大変なことなのです。
posted at 16:52:49

#jtba 長老:「思考止めれば覚りだ」というのは、完璧な言葉ではない。思考引き起こす原因を取り除かないと、思考は止まらない。原因は現象の特相です。特相を取って認識を組み立てると、実体論に陥る。認識そのものに無明がインクルードされている。
posted at 16:57:26

#jtba 長老:「特相がある」という前提で、無明を前提にして科学者も研究している。しかし特相は刻々と変わってしまうもの。あるものの特相が変わっただけで、我々の性格まで変わってしまう。仏教心理学で延々と言っているのは(この無明の循環を破って)智慧を開発することなんです。
posted at 16:59:13

#jtba 長老:空であること、については説明を控えます。今日は無相について。同義語といえば同義語なんです。蓄えは一切なし(蓄積が存在せず)という言葉には、皆さん気持ち悪くなるでしょう(笑)。蓄えとはなんでしょうか?皆さん研究してないでしょう。
posted at 17:02:59

#jtba 長老:蟻たちはひたすら土を練って蟻塚を作る。どこまで作るかキリがない。適量は考えない。各々が仕事を続けるだけ。すごく忙しく塚を築き続ける。蟻塚を作っては放棄する。作っては放棄する。蟻塚の土は農業には最悪。死んだ土になる。
posted at 17:08:33

#jtba 長老:我々の人生もシロアリと同じ。ひたすら蓄えたものをそのまま放棄して死ぬ。跡に残したものはなんの役にも立たないゴミになる。
posted at 17:09:37

#jtba 長老:蓄える、というのはどんな心理状態でしょうか?(会場:将来に不安があるから)将来というのは知り得るものではないんです。将来を知っている生命はいません。それは適切な言葉ではない。
posted at 17:11:12

#jtba 長老:なんで蓄えるのか?(いろいろ会場から意見が出てますがイマイチのようです。)一応、答えは出ているんです。そういうヤヤコシイことなんです。やってはいるんだけど、なぜやっているの?と訊かれたら、「そんなこと訊かれても困りますよ」が答えなんです。
posted at 17:15:25

#jtba 長老:誰でも蓄えます。必死に蓄えますが、なぜでしょうか?と聞かれるとそんなこと訊かれても困ります、ということになる。だから治療もややこしいんです。例えば怒りならば、はっきりした原因のある怒りならそれに対処すれば怒りが消える。
posted at 17:17:28

#jtba 長老:原因がある場合は解決策をとりやすい。原因がわからない場合は対処方法が出て来なくなる。怒りの例でわかりやすいです。好きな子がはっきりしている場合は、ターゲットへのアプローチが具体的に出てくる。誰でもいいから付き合いたい、となると何をしていいか分からない。
posted at 17:19:45

#jtba 長老:なぜ蓄えるのか?についてお聞きしてはっきりした答えが帰ってこなかった。それが答えなんです。ブッダの答えがあります。「いまの瞬間に不満を感じているから」なんです。不足、足らない、という意識があるからです。解決策も簡単「いまの瞬間において、不満を感じないこと」です。
posted at 17:22:55

#jtba 長老:それはすごい精神的境地です。現象は不満を感じるように出来ている現象・物事は。無常ということは、不完全ということだから。不完全なものに、満足はできないでしょう。我々はおのずから、瞬間瞬間、不満を感じる。そこで、満足したくなるのです。
posted at 17:23:53

#jtba 長老:我々にとっては、どんな瞬間でも不満がある。これだけでは困りますよ、という。将来のことはさっぱりわからないんです。現在に対する不満を、我々は将来に対する不安だと勘違いしているだけ。将来への不安というのは、現在に対する不満でしかない。
posted at 17:27:41

#jtba 長老:将来について考えすぎる人は、精神的病気。だれも将来は知りません。知り得ません。現世利益を説く宗教というのは、現在への不満をどんどん煽り立てる。宗教は、現在への不満を煽って人類を地獄に駆り立てている。あ、日本は昨日までキリスト教でしたからね(笑)。
posted at 17:30:35

#jtba 長老:神を愛せと説く宗教の言葉に、慈しみの一欠片もない。彼らのメッセージ自体が、地獄に堕ちるような汚れた心の産物。……ポイントに戻ります。釈尊が苦諦を発見したのはいまだかつてないこと。それで究極の安らぎを感じた。いま現在が苦なんです。それが真理。
posted at 17:32:10

#jtba 長老:蓄える衝動を、釈尊は、渇愛というんです。渇愛が生まれるのも苦があるから。そこを発見しないと、この偈は理解できない。「蓄えがない」というのはすごく難しいところ。いまの瞬間については不満を感じない、という意味なんです。
posted at 17:34:04

#jtba 長老:その人は、居間の瞬間は無常である、と知っている、無相である、空であると知っている。だから「蓄える気持ち」というのは生まれない。
posted at 17:37:32

#jtba 長老:食べ物については知り尽くす(食のことを知り尽くしている)というのは料理の研究家になるという意味ではないんです(笑)。命とは支えられて一時的に成り立つものであって、極限にもろいものなんです。
posted at 17:38:22

#jtba 長老:この命が尊いとか神に作られたというのは妄想。徹底して無価値で、無意味。しかも必死で支えないといけない。一瞬も休めないんです。ただ、倒れないように支えてあげるだけ、どこまでも。我々にはまるっきり余裕がない。暇がない。
posted at 17:38:30

#jtba 長老:暇があると思って、実質的に暇がない。命に、休みというのはありえない。呼吸のような派手な現象を見れば一分間に何回と言えるが、実際は瞬間瞬間、仕事をしないといけない。蓄える作業、機械的にやっている。細胞一個のレベルで不満を感じています。
posted at 17:39:55

#jtba 長老:この(死なないように命を)支える機能がボージャナ(食)という。ただ食べ物のことではないんです。これは生きるとは何かと発見すること。……覚りというのは、かなり大変な境地なんですよ。
posted at 17:40:52

#jtba 長老:知識で話すのはくたくた疲れるほど大変なことで、ブッダの教えというのはそういうことなんです。このように人間が語れますか、という。短く語る、完璧に語る。何も欠けていない。これを言語を使用してやるのは、不可能ですからね。
posted at 17:44:03

#jtba 長老:ブッダの言葉は俗っぽいレベルで理解することも出来る。しかしそれが全てではない。俗っぽい解説だと、ところどころ引っかかってしまう。例:もし食べ物の適量を知っている人なら、家に食べ物が溜めてあっても問題ないしょう。微妙に論理があわなくなる。
posted at 17:47:50

#jtba 長老:注釈書の解説では、そういうところは触ってないんです。
posted at 17:48:19

#jtba 長老:瞑想する人は、特相(特徴)を発見することは誰よりも上手。俗世間でも特相を見つけられる人は、勉強ができる。瞑想の達人は、誰も気づかない特相まで取ることができる。俗世間では頂点に達している。次に、解脱の世界。俗から聖。特相はない、と発見することで解脱に達する。
posted at 17:51:21

#jtba 長老:ブッダは「無相」という境地も知っているが、俗人と話すときは特相を的確に捉えてものの見事に話す。覚った人は世間で一切、問題起こさない。気づかれることさえもない。
posted at 18:12:39

喬太郎が「源氏物語」で新作 CD発売 http://www.asahi.com/showbiz/stage/rakugo/TKY200912250262.html
posted at 18:23:05

#jtba 長老:「蓄えがない」というのは超越的な覚りの境地。「今の瞬間に一切の不満を感じない」ということですから。一般的な蓄えのない生活をしなさい、という勧めではない。「蓄えがない」とは覚りに達した人の心境の説明なんです。修行中の我々にとっては雲の上の話。
posted at 18:29:18

#jtba 長老:釈尊が在家の人に一般的に説法する場合は、「蓄えなさい」と言うんです。緊急時に備えて、いくらか蓄えなさいと。シガーラ経にもはっきりあるでしょう。借金するのは仏教は反対。借金反対だったら、現実的にはいくらか蓄えないといけない。
posted at 18:29:27

#jtba 長老:蓄えると言っても理性をもって、計画的に蓄える。貯金するばかりで全然使わないとか。それはおかしい。
posted at 18:30:06

#jtba 長老:使い道の無い金があるなら、意欲のある貧しい人に分け与えないといけない。しかし、俗世間的な仏教道徳は「蓄えなさい」なのです。そこは勘違いしないでください。蓄えるときは理性が必要です。
posted at 18:33:14

#jtba 長老:(インドは清貧な社会では?という問いに)インドは実際はものがありすぎ。ものがないのは、むしろ日本です。インドはただ取って取って、溜めこむだけ。インドでは高級ホテルにもほとんどインド人が泊まっている。金がありすぎ。同時に理性がない。牛を拝んだり猿を拝んだりしてる。
posted at 18:40:07

#jtba 長老:日本では何とか社会を均等にして生きていこうとする。それが豊かに見えるんです。インドでは金がいくらでもあるが、貧乏です。人生を楽しむことを知らない。ただ蓄えることを仏教は批判する。そこで中道が成り立つ。蓄えるけれど理性・目的をもって蓄える。
posted at 18:40:57

#jtba 長老:目的が見つからないなら、その金は配りなさいと。それが仏教の道徳の俗バージョンです。
posted at 18:41:32

#jtba スマナサーラ長老のダンマパダ講義(2009年最後)が終わんぬ。小西会長の挨拶。比丘サンガによる祝福読経。
posted at 18:43:46

#jtba サードゥ!サードゥ!サードゥ!長老:それではよいお年をお迎えくださいますように。実況メモは随聞居士naagitaでした。
posted at 18:48:23


原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟

原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟


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