ゴータミー精舎法話と冥想の会 スマナサーラ長老Q&A twitter まとめ

ゴータミー精舎 スマナサーラ長老 冥想と法話の会 質疑応答の実況 ハッシュタグ#jtba にてお届けします。
posted at 14:32:32

長老:質問しないで遠慮していると、遠慮だけで人生終わってしまう。一般の宗教と違う頃を教えようとしている。釈尊の純粋な教え、人々を束縛しようとするものではない。一人ひとりがいかに心清らかに人格完成するかと。 #jtba
posted at 14:34:22

Q 冥想、家でひとりでやっていいものか? #jtba
posted at 14:34:49

長老:冥想はある種こわいものでもある。ヨーロッパでは特にファッションになっている。インドなどで組み立てられたグルの教え。いい加減なことを教えて金儲けをしている。心の世界、人間はほとんどわかっていない。心は何かと。わかってないのに語っても良いことにはならない。 #jtba
posted at 14:37:11

長老:こちらでは釈尊の冥想を教えている。間違わないようにきちんとガイドラインを付けている。びっくりするほどシンプルだが、冥想自体はシンプルだと思わないで下さい。深い理論に基づいて語られている。釈尊のとかれた教え、間違っていると証明すること、誰にもできなかった。 #jtba
posted at 14:39:19

長老:危険なことは全く起こらない。それは保証できます。不安が起こるのは感情の世界。それはどういう事かと説明できる。釈尊の世界は宗教ではない。宗教なんか大嫌い、私は何も信じませんよ、という頑固な方でも構わない。冥想はシンプルな科学的なプロセスです。 #jtba
posted at 14:40:46

長老:実践すれば本人が知る。これで私は、死んでからも大丈夫ですよと。安心して実践して下さい。本でも書いていますが、生で一度やり方を聞いた方がよい。それから、ひとりで冥想するんです。これは束縛する世界ではない。師匠と弟子の絶対的関係がないといけないとか、仏教ではない。 #jtba
posted at 14:42:04

長老:チベット仏教のように、グルと弟子の関係は絶対的、生まれ変わってもその関係が続く、というようなことは言わない。グルの生まれ変わりだと言って子供に礼をしたりと、そういう神秘的な世界ではない。自分がひとりで自分の心を清らかにして覚りに達する。 #jtba
posted at 14:43:17

長老:しかし知らないことは教えていただく。でも教えてもらうことは奴隷になることではない。学校でも、先生に教えてもらったからと言って、生徒は先生の奴隷ではなかったでしょう? 教えてもらったら、冥想は一人でするものです。何か疑問が起きたらその都度教えてあげますので。 #jtba
posted at 14:44:32

Q 最近、自分が死を怖がっていることに気がついた。俗っぽく言えば、死に至る苦痛が怖いということ。冥想が進むと、死の苦痛への恐怖も薄らぐと期待できるのでしょうか? #jtba
posted at 14:45:43

長老:死の恐怖というの特別なことではない。生命は死を恐れる。コワイと思う。それは普通です。世界はまるっきり死を考えてない。「自分が死ぬ」ということを。それを疑問に思うこと。死をまるっきり考えないことは「無知」というのです。 #jtba
posted at 14:47:26

長老:死を考えない人々は極限な無知。無知な人々は人類に迷惑。私は死ぬものである、とまず理解しないといけない。では、死ぬまで私はどうすればよいか?と考えれば、しっかりした生き方が現れる。自分の生きる道がサッと現れてくる。極限に死ぬのが怖い怖いというのも話にならない。 #jtba
posted at 14:48:50

長老:俺は死なんか気にしない、というのも話にならない。中道的にならないと。死ぬことは確実。では死ぬまでどう生きるかと考えることです。人に迷惑かけてまで生きるのか、人に損害与えてまで儲けていいのか、自分の好き勝手に殺してもいいのか、という疑問が出てくる。 #jtba
posted at 14:50:11

長老:私の家、私の土地、私の財産、という強烈な執着消える。人を許す気持ちになる。人を思いやる気持ちが出てきて、柔軟な素晴らしい生き方が現れてくる。死ぬことは死ぬ。自然の流れだから、問題ない。管轄外の自然法則。私の管轄とは、「死ぬまでどう生きるのか?」ということ。 #jtba
posted at 14:51:31

長老:毎日、責任をもって生きる。すること、しゃべること、考えること、自分で責任をもって生きる。私たちが生きている時間は短い。その短い時間をしっかり運転する。死んでから、何か持っていけるのか?具体的に考えてみて下さい。「自分の家」と言っても、そこで過ごすのは短い時間。 #jtba
posted at 14:53:06

長老:「自分の家」と言っても、自分のものになってない。しかし自分自身はいつでも自分自身です。2週間アメリカに旅行すれが、旅行中は一時的にアメリカの法律に管理されるアメリカ人になる。日本人であることも、仮のあり方に過ぎない。しかし、自分の性格は変わっていない。 #jtba
posted at 14:55:16

長老:人生はいつでも仮、一時的。服装もその場その場で変えないといけない。僧侶のようにいつでも袈裟というわけではない。でもどこに行っても自分は自分。環境によって、体も変わる。自分の性格は、持っていけるんです。ちょっとしたことで怒る人は、アメリカに行こうが、 #jtba
posted at 14:56:46

長老:アメリカに行こうが、トラブってしまう。だったら、どこに行ってもスムーズに生きられる性格を育てましょうと。仏教はもっと高いレベルのことを言っているが、その前にこのレベルを通って欲しい。立派な性格になる、というステップを飛ばしては、先に進めない。 #jtba
posted at 14:58:18

長老:「我は死ぬんだ」ということを常に念じていると、よい性格の人間になる。そうなると釈尊は、人間の性格も刻々と変わっていくことを教えてあげる。結局、性格もこくこく変わっていくのだから持っていけないのです。だから、何者にもとらわれない無終着の精神を育てなさいと。 #jtba
posted at 14:59:37

長老:これは釈尊の説かれた修行のステップ。時々、私は覚りましたと言う人がいますが、性格が最悪なんです。それは措いておいて「覚った」と。調子に乗りすぎです。そういう態度自体が、覚りの道を完全に閉ざしているんです。極限な自我思考です。「覚りなんて簡単だ。それで全部チャラ」 #jtba
posted at 15:01:09

長老:自分が覚ったぞ、皆に見せてやるぞ、という態度なんです。話にならない。そういう人が修行しても、一歩も成長できない。性格悪い人が覚りを目指しても構わない。でも、修行の過程ですこしずつ性格を直しながら、そのご褒美として覚りが得られる。 #jtba
posted at 15:02:21

長老:修行しているのに性格が悪くなっているというなら、その人は仏道を実践していないのです。逆のことをしている。覚りに達したいと思っても、それは人格完成した人が達する境地なんです。だから、日々どう生きているのかというのが冥想に必ず関係する。冥想は逃げる世界ではない。 #jtba
posted at 15:03:21

長老:奥さんと上手く行っていないんだからと部屋に篭って冥想したとしても、それは逃げているだけ。落ち着くかもしれないが、成長はしない。日本でよくあることで、社会的に問題起こすとお寺に逃げる。半年位隠れて、またのこのこ出てくる。それでも自分の性格を直していないならばダメ。 #jtba
posted at 15:04:50

長老:瞑想修行すると同時に、自分の毎日のトラブル、問題、欠点にも気をつけて、それを直していかないといけない。例えば一日30分慈悲の瞑想する。でもちょっと人に言われただけで激怒する。意味が無いでしょう? #jtba
posted at 15:05:43

長老:性格で表せないならば、何の冥想ですか?自分に智慧があるかないかは、自分のキャラクターで表していますよと、ブッダがおっしゃっています。自分が何者かと自分の生き方で表しています。冥想は「免罪符」にはなりませんよ。自分の性格・キャラクターで、自動的に現れるんです。 #jtba
posted at 15:07:17

長老:慈悲の瞑想をしているのに、感情的になってしまうならば、それは自分の性格で表していますね。人には弱みがあるんです。それを直していかないといけない。性格を直した先に、覚りの境地があるんです。 #jtba
posted at 15:08:35

長老:質問した人への答え。死が極端に怖いというのは、自分への愛着の表れ。心配することではない。「あれ、自分はすごく愛着を持っているんだぞ」と事実を発見しただけ。わざわざ愛着を捨てようとしても無理。「執着捨てる」と言っても、そう簡単に捨てられませんよ。 #jtba
posted at 15:09:52

長老:できません。お母さんに「子供への愛着ありすぎ。捨てなさい」と言っても出来ない。なぜ?我々はモノに価値をつけているんです。例えばここにゴミ箱を持ってきて「財布をここに捨てなさい」と言われたらやりたくないでしょう。理由は?財布に価値を付けているからでしょう。 #jtba
posted at 15:11:05

長老:これが無くなったら困るという価値をつけている。この価値観を捨てない限り、執着は消えません。クレジットカードをすてろと言われても、真面目に考えれば捨てられない。いろいろ捨てられない条件が出てくるんです。 #jtba
posted at 15:12:13

長老:成人した子供が母親に迷惑をかけている場合、正しい態度は「出て行け」でしょう。家に戻って親を殴ったり、何様ですかと。しかし、そう言ってもやってくれない。いろいろ理由をつけて「出て行け」という一言が言えなくなる。親には子に対して価値がある。価値があるから愛着がある。 #jtba
posted at 15:14:01

長老:執着を捨てなくては、などと屁理屈で開発しないで下さい。我々は智慧を開発するんです。智慧開発すると、どんなものにも価値がないんだと、すべて無常で価値がないとわかると、愛着・執着なくなるんです。その人は普通の人ではないんです。 #jtba
posted at 15:15:21

長老:昔は在家の方も在家のままでたくさん覚った。覚ったけれど、そのまま商売して、家族を養ったんです。家族や財産にみじんも愛着ないけれど、すごく気をつけて大切に管理する。正しく考えて管理する。管理するには「オレのもの」としなくても、できる。他人の子供でも預かって #jtba
posted at 15:16:49

長老:育てられる。自分の命に対する愛着捨てなさいといっても、単純な話ではなく、冥想で智慧を開発するんです。どんなものにも価値がないと発見する。それで精神的な自由を感じるんです。 #jtba
posted at 15:18:19

Q きっかけは坐禅。いままでの話で『道徳を守れ』ということは分かる。10の道徳があるというが、日々の生活で全部は守れていない。どうすべきか? #jtba
posted at 15:19:31

長老:それも理解すべき。なぜ道徳があるのか?どうして守らないといけないのか?など。理解して守るべき。ロボットのように守ってもあまり意味がない。道徳を守ることで頑固な人間になる場合もある。例:菜食主義者。付き合いたくない人々になってしまう。形にとらわれている。 #jtba
posted at 15:20:39

長老:菜食主義というのは、戒律ではなく、釈尊の禁止した変な「行」になる。釈尊仰っているのは、生命にやさしくしなさい、と。生命にやさしくしていいのか、悪いのかと自分で確かめられるでしょう? 自分はやさしくされたいから、他人にもやさしくすると。それで「殺してはいけない」 #jtba
posted at 15:22:32

長老:などの戒律ができる。自分が守っている戒律項目をいう人は、あまり頭が善くないということ。エッセンスで戒律を捉えている人は、戒律項目の数など数えない。「生命にやさしくしなさい」というエッセンスを守った方が遥かに範囲が広くなる。 #jtba
posted at 15:24:12

長老:できればみなさまも、戒律項目ではなくエッセンスで守って欲しい。その方が幅広い人格者になれる。テキストを開けてみて、調べなくてもいいように。質問の直接の答え。自分が守っていない項目があったら、なぜ守れないのか、破りたくなるのかと学んで欲しい。理性を育てて欲しい。 #jtba
posted at 15:26:11

長老:戒律をカルト的に、儀式的に守って欲しくないんです。仏教では禁止している。性格の弱い人がカルト的に戒律を守ってもありがたいけど、あまり価値はない。よい性格になるというのは挑戦です。自分がよい人間になってみる、というのは自分への挑戦です。 #jtba
posted at 15:27:07

長老:よい性格になろうではないかと挑戦するだけで、すごく明るい人間になります。自分に対して、捨てたもんじゃないんだ、という気持ちが生まれてくる。欝になる暇なんかない。脳がしっかり回転してくれます。我々は時々、道徳違反をしますが,その時は明らかに怠けています。 #jtba
posted at 15:28:13

長老:あるいは自分の自我。俺が好きだからやっちゃう、という状態。あるいは感情に囚われて自己管理できなくなる時。道徳をまもるということは、一人ひとりに人格成長の挑戦になります。試合中なんです。グラウンドにいるんです。欝になっている暇はない。道徳をまもるということは、 #jtba
posted at 15:29:31

長老:自分を24時間グラウンドに入れることです。試合ですから、勝ったり負けたりです。野球で一試合負けたからと言って逃げる?それはプロではない。その敗北から学んで次の試合に生かすんです。相手の投球を一球ごとに研究する。それで次の準備をする。 #jtba
posted at 15:31:00

長老:将棋でも、勝ち試合も負け試合もぜんぶ覚えている。道徳というのは、自分が他の生命とどういう関係を結ぶのか、ということ。やってみると全然大変ではないんです。気楽になるんです。道徳守っている人からすると、なぜ世の中の人はわざわざ苦しい世界に自分を追い込むのかと思う。 #jtba
posted at 15:32:20

長老:芸能人が麻薬で捕まったりしても、一般人から見れば「なぜそんなことするのか?と思うでしょう。なぜそんなバカなことするのかと。道徳守る人から、守ってない人を見てもそう思うのです。道徳守ることはすごく楽。守らないよりは守る方が楽なんです。 #jtba
posted at 15:34:01

長老:道徳がめんどくさいと思うのは、理解していないんです。形で、カルト的に見ているんです。人間をいじめるのが宗教だと思ってるのです。宗教は人をいじめますが、仏教はいじめていない。釈尊は、自分は幸福の道を説いていると一貫して説いている。 #jtba
posted at 15:35:00

長老:嘘つきたい人には、嘘つくなかれ、という戒律は難しい。でも、つきたい放題嘘をついて、幸福になれる?ということ。世界は、俺は思う存分嘘を付くけど、おまえらはつくなよ、杜いう態度でしょう? #jtba
posted at 15:35:51

長老:そこで、その人は勉強する。なぜ自分が嘘をつきたいのかと。それで、自分がいい人間ではないのだと気づく。誤魔化したいことがある、人の信頼を裏切っている云々と。だから嘘をついているのだ。そこで、その人は自分の中身を直そうとする。自然に嘘をつけなくなる。 #jtba
posted at 15:36:55

長老:道徳の秘訣は「理解」である。これだけ覚えておいて下さい。 #jtba
posted at 15:37:29

長老:例えば酒を止めて、また飲みたくなったとする。飲みたくなった自分を観察してみれば,何かを発見するはずなんです。自分にはこれこれという問題があって、飲みたくなったのだと。そこで、自分が弱かったから、という答えが出てくる。自分は芯が弱いんだと。 #jtba
posted at 15:39:08

長老:くやしいから、その弱さに次は負けないぞ、となる。道徳は理解、納得に基づいて日々実践するべきものです。日々、グラウンドで自分の性格と試合中なんです。 #jtba
posted at 15:40:29

Q 病院勤務。延命治療についての疑問。 #jtba
posted at 15:42:16

長老:医療の専門家達は毎日、死をみている。しかし一般人にとっては自分ひとりだけの死なんです。自分には命はひとつしかないし、愛着もあるし、一日でも命を伸ばしたいと思っている。そこには、はっきり言って答えが無い。医療関係の方々は冷静に死を見ています。 #jtba
posted at 15:43:39

長老:でも、専門家が、冷静な見解を述べると、感情だらけの一般人に非難される。しかし、医療者が延命装置を開発したことで起きた問題もあるのです。矛盾が生まれる。ポイント:医療関係者はいつでも死をみていて、一日、死を延ばしてあげても、何だコレとわからなくなる。 #jtba
posted at 15:45:30

長老:しかし、患者本人と家族にとっては別世界。そのへんで話は終わりますよ。解決策というのは、みんな自分の死について考えて欲しいんです、元気なうちに。どうせ死にますからね。だったら、生きることに義務が生じるんです。ただ、自分はかっこよく呼吸しているんだ、というだけでは。 #jtba
posted at 15:46:38

長老:人間らしく、かっこよく生きないと。延命治療の状態になると、ただ機械で生かされることになる。自分の命は、自分の意志ではっきり生きていられる間だよ、勝手な延命治療をするなよと、自分から言っておかないといけない。そうすれば、助けるべき人のために医療資源を使える。 #jtba
posted at 15:48:11

長老:本人がはっきり表明しておけば、医療者もすごく楽になる。この問題は社会全体的に、死を考える、ということをしないと解決しません。現場の医療者がジレンマに陥ってしまうことになります。医療者でも、他人の命を勝手に止める権利はない。 #jtba
posted at 15:50:14

長老:人間は簡単に死ぬものです。「死にたくない」という執着に対応するために、延命治療ばかり発達して、病気を治す治療はない。「薬が」病気を治すことはないのに、治療の場合は体の治癒力の応援だけなのに、延命となると機械を入れて強引にしてしまう。 #jtba
posted at 15:52:00

長老:医学は、延命治療ではなく、世の中にあるあらゆる病気をなくすように努力した方がいいんじゃないと思います。死をなくそうと無駄な努力をするのではなくて。延命治療に何の意味があるのかと思っても、他人の命を絶つ権利はないんです。命は自然に、簡単に死ぬんです。 #jtba
posted at 15:53:30

長老:命は尊い、というのは感情的な言葉でしかない。智慧の言葉ではない。ブッダの言葉は「命は脆い」ということ。極限的に脆いのだから、我々はなんとか守ろうとする。気をつけて気をつけて命を守るのです。命は脆いのだから、一人ひとり責任もって命を守っている。 #jtba
posted at 15:55:09

長老:正しい言葉は「命は尊い」ではなく、「命は脆い」なんです。自殺しようとする連中にもいうべきなのはその言葉です。「人は簡単に死ぬでしょうに。生きること自体が挑戦でしょう。でも長生きしたって別に意味はない」とはっきり良います。 #jtba
posted at 15:56:30

長老:でも、注意しないで簡単に死んでしまったらカッコ悪い。よく「ゲーム」という言葉を使うでしょう?ゲームは必ずいつか負けるんです。必ず負ける、必ず死ぬ。あなたはどこまでもつ?ということ。わざわざ自分で持ち時間を短くするのは、阿呆なんです。 #jtba
posted at 15:58:25

長老:命を簡単にゲームオーバーにする人は恥ずかしい。命は尊い、というのは証明出来ない感情的な言葉。「命は脆い」というのはブッダの言葉です。だから、どう生きるのか?ということがどうしても出てくる。何歳まで生きるのか、ではない。どう生きるのかと。それは個人の問題。 #jtba
posted at 15:59:48

長老:医者に説教する権利はない。医者は機械の修理屋さん。機械と違うのは、(医者には)命を処分する権利もないということです。有意義に生きる人は、延命装置のことなど考えません。延命にやっきになる人は、生きるとはどういう事かと、一生で一度も考えたことのない人なんです。 #jtba
posted at 16:01:55

長老:医者には患者が死ぬことはどうしようもない。しかし病気の激痛を何とかしてあげる事は出来ます。でも、意識朦朧となったとまた文句言われる可能性もある。意識はっきりして激痛を感じて死ぬか、意識朦朧として痛みを和らげるか、ふたつにひとつしかない。 #jtba
posted at 16:03:43

長老:仏教には答えがありますが、誰にでもできることではない。冥想で心を成長している人にとっては、身体の痛みというのは大した問題ではない。だから、冥想成功するしかないんです。 #jtba
posted at 16:04:28

長老:自分の母も、末期ガンで激痛を味わっていたが、痛み止めの薬を頑として拒んで亡くなった。最後まで意識をしっかりして死にたかった。でも、そこまで人生を決めるには、長い勉強が必要だった。普通の人には、そこまでは無理でしょう。 #jtba
posted at 16:07:30

長老:ちょっとした痛みでも泣き叫ぶのだから。ですから、常日頃から、死についてしっかり考えて、人格向上して生きるしかない。仏教では、ただ生きるだけならばまったく無意味で、ほんの少しでも人格向上したならば、それは有意義な生き方なんです。 #jtba
posted at 16:08:52

長老:誰の一生も、無意味です、ただ生きているだけでは。犬は犬の、人は人の、生のサイクルをただ廻っているだけ。ただ決まりきったことをして死ぬ、というだけ。有意義に生きて欲しいんです。有意義とは人格向上であると、仏教ははっきりしています。金儲けでも、権力とることでもない。 #jtba
posted at 16:10:30

長老:たとえ権力とっても、簡単に消える。人格向上こそが有意義な生き方です。 #jtba
posted at 16:11:23

Q 輪廻転生について。永遠の魂が輪廻すると思っていたが……。 #jtba
posted at 16:12:14

長老:二三分では話出来ない。輪廻というのはもっとも理解し難いことだと言われている。魂がないから、輪廻転生が成り立つんです。すべて変化するから、輪廻が成り立つ。生命に輪廻転生のはたらきがあるけれど、理解は難しい。 #jtba
posted at 16:15:40

長老:ものが完全に消えてしまうということはありえない。しかし激しく変化し続けます。実体たるものが何も無いからこそ、変化が可能なんです。魂論持ってくる人は、極限に頭が悪い連中です。永遠の魂という話と、輪廻転生とはまったくかみ合わない話なんです。 #jtba
posted at 16:17:06

長老:物質はエネルギーだから変化していく。こころもエネルギーだから変化していく。仏教の輪廻論は遊びではない。高度な智慧で発見された真理です。人は死んだらすべてキレイさっぱり無になるというのは危険な思考。道徳が消える。何をやっても死で終わるなら、 #jtba
posted at 16:18:45

長老:「俺は人を殺したいから殺したんだ」という開き直りも成り立つ。輪廻はわからないけどあるんじゃない?というペンディング状態のほうがいい。もしあったら気をつけないと、いまの生き方で次の生き方が構成されるから、必ず善い生き方をしないといけないことになる。 #jtba
posted at 16:19:54

長老:(カーラーマ経のたとえ)輪廻があろうがなかろうが、道徳的に生きるべきことは論理的に考えれば答えは決まっている(悪を犯す人は来世がなくても現世で非難される。来世があれば来世でもの報いを受ける云々)。その程度で理解して下さい。 #jtba
posted at 16:23:01

だいぶ時間が押しましたが、質疑応答終了。最後の輪廻の答えはかなりはしょった感じだったので他の長老の著書などでご確認下さい。以上、実況は随聞居士@naagita でした。 #jtba
posted at 16:30:21


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