『仏陀再誕』は成り立たない


これまでいくつかのエントリで、いわゆる『仏陀再誕』という言説について、検証してみました。結論から言えば、「仏陀は再誕しない」のです。どのように考えてもそれは「あり得ない」、上品に言うならば「成り立たない」話です。

「仏陀(ブッダ)が再誕する」ということはありえない話です。

仏陀は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天(欲天+梵天)という輪廻の世界から「解脱(げだつ)」を果たした方です。

ですので、絶対に「再誕」などしません。この世界が何次元構造になっていようが、その一切から完全に解脱している(のりこえている)から仏陀なのです。

乗り越えていないならば、仏陀ではありません。

仏陀が「よっしゃ、またちょっくら生まれてくる」などと言って、この世界に戻ってくることはあり得ません。


また、その常識的にあり得ない『仏陀再誕』という成り立たないはずの言説が成り立ってしまう、日本的な事情についてそれなりに分析してみました。


ついでに、あまり知られていないお釈迦様にまつわる神話的な伝承の意味についても考察してみました。


日本宗教の構造の触れ幅として、『仏陀再誕』というような言説がわいて出る「可能性」は否定できません。しかし、それは仏教の教義上は「成り立たない」ことであって、仏教の知識が社会的に共有されている限り、一顧だにされない非常識でしかありません。


ですから、仏陀を開祖とする伝統仏教の立場から、『仏陀再誕』という言説を批判するのは当然のことなのです。


しかし、この問題について仏教関係者の発言は少ないようです。ブログを検索すると自称僧侶の方が『仏陀再誕』を唱える宗教に嵌ってしまったケースもあるようですが、おおむね無視、珍奇なネタとして見守る、といった態度だと思われます。


確かにこういう非常識なものいいには「反応したら負け」かもしれませんが、テレビCMなどを含めて大々的な宣伝がなされているなか、仏教者が沈黙し続けるのはいかがなものかと思います。


先日、某出版社の編集者と話をしたのですが、『仏陀再誕』を唱える新興宗教は大衆動員や訴訟による出版社への圧力がきついので、他団体に比べても取り上げにくいそうです。またこの出版不況、マスメディアの地盤沈下著しい中、大盤振る舞いで広告出稿してくれるところはたとえどんな宗教でもありがたいのでしょう。


でも、金のために、金さえ払えば、これまで日本が千数百年かけて育んできた仏教国としての良識・常識をぜんぶ明け渡してしまっていいものなのでしょうか? 私はそうは思いませんね。


なぜ『仏陀再誕』という言説が成り立つのか(法身思想と日本宗教)『仏陀再誕』はやっぱりあり得ない(「天上天下唯我独尊」の続き)でも触れましたが、現代日本で『仏陀再誕』などという言説が横行してしまう元凶として、伝統仏教の影響力の低下、仏教を通じて培われてきた日本人の宗教知識の空洞化があると思うからです。


この悪循環は、いい加減、断ち切らなければなりません。


というわけで、沈黙しないのは少数派かもしれませんが、私は一仏教者として社会的な責任を果たすためにも、『仏陀再誕』は成り立たないことを引き続き発信していく所存です。


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