仏陀は再誕しない


新宿を歩いていたら、『仏陀再誕』という映画のポスターを見かけました。


この間の総選挙でたくさんの候補者を出して一人の当選者も出さないという離れ業を演じてみせた、某新興宗教のつくった映画のようです。


でも、これっておかしいですよ。


「仏陀(ブッダ)が再誕する」ということはありえない話です。


仏陀は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天(欲天+梵天)という輪廻の世界から「解脱(げだつ)」を果たした方です。


ですので、絶対に「再誕」などしません。この世界が何次元構造になっていようが、その一切から完全に解脱している(のりこえている)から仏陀なのです。


乗り越えていないならば、仏陀ではありません。


仏陀が「よっしゃ、またちょっくら生まれてくる」などと言って、この世界に戻ってくることはあり得ません。


また生まれる、再誕する、というならば「菩薩(ぼさつ)」です。


菩薩は仏陀になるために無限の輪廻の中で十波羅蜜(じっぱらみつ)と呼ばれる修行課題を完成させます。波羅蜜の完成の直前まで修行すると、兜率天という天界に生まれ変わって、人間として母胎に入るまでの期間、待機するのです。


それで頃合いを見計らって兜率天から、いよっと人間の女のお腹に入って(ちなみに両親はちゃんと性交するんですよ)*1、十か月後に生れてから、やがて出家し、あれこれやって修行を完成し、世尊(せそん)であり阿羅漢(あらかん)であり正自覚者(しょうじかくしゃ,三藐三仏陀 さんみゃくさんぶっだ)であられるところの仏陀となるのです。


それが、私たちのよく知っているお釈迦さま(釈迦牟尼仏陀です。


生まれ変わる(再誕する)のは、仏陀になろうと修行してる菩薩です。


仏陀になったら、もう決して生まれ変わりません。再誕しません。


仏陀は再誕しませんが、私たちは別にさびしくないんです。教えがありますから。*2


ついでに言えば、お釈迦さまの教えが残っている限り、「新しい仏陀」となる人が現れる必要もないのです。


パーリ経典*3の隅の方には、仏陀の教えが完全に消え去って途方もない時間が経った未来に、弥勒仏陀(みろくぶっだ)とゆー仏陀が現れるよと、チラッと書いてあります。でも、あまりはっきりしていません。


細かいことを言い出すといろいろありますけど、以上は仏教の基礎知識です。


というわけで、お釈迦さまの教えを誰かがほんの少しでも覚えている限り、


「仏陀再誕」はあり得ません。*4


…………


もう一つ付け加えますが、


お釈迦さまが誕生された時、ある仙人から「彼には将来、仏陀になるか、あるいは転輪聖王(てんりんしょうおう,全世界の支配者)になるか、という二つの道がある」と予言されたとゆー伝説があります。


伝説は伝説ですが、世俗の支配者であることと、人々と神々を導く精神的な師であることは両立しないという教えです。


某新興宗教の教祖様は、自分は仏陀の生まれ変わりだ(この言い方自体矛盾してますけど)と言いながら、政治進出をして世俗の支配者たろうともしたのです。


で、失敗しました。


転輪聖王が現れると、その徳の力で、おのずと全世界の人民がその支配下に入りたがると言います。


そういう慶事も起こりませんでした。


以上のことから、ひとつだけ、確かなことが分かります。


世俗に未練のある人は、仏陀ではありません。


凡夫*5です。


菩薩かも知れませんが、二つの道で迷っている時点で、「最後の生まれ」ではあり得ません。


これからも生まれ変わって失敗ばかりするやつなのです。


週刊 ダイヤモンド 2009年 9/12号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2009年 9/12号 [雑誌]


【追記】いくつかの注釈を加えました。興味のある方はご覧ください。(2009/09/10)


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*1:パーリ経典には「正念・正知をもって母胎に入る」とある(長部16,中部123,増支部4集127,他)。状況を想像すると、ちょっとユーモラスな感じがする

*2:[http://d.hatena.ne.jp/ajita/20081225:title=2008-12-25 『大般涅槃経』に記された「正法」の見分け方] 参照のこと

*3:[http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090206:title=2009-02-06 パーリ三蔵の世界にようこそ] 参照のこと

*4:厳密に言えば2つの意味であり得ないのである。1:「仏陀が再誕する」という事態は仏陀の定義に照らして成り立たないこと。2:釈尊に続く「現世で仏陀となる菩薩」が出現する客観的な条件がないこと

*5:経典ではbaala, duppaJJa(バーラ、ドゥッパンニャ)。愚者、愚人、闇者、小兒、癡眷属などと訳される。蔑称ではなく、悟っていない限り愚か者という意味