天上天下唯我独尊

はてなハイクhttp://h.hatena.ne.jp/ajita/)の方に載せた、アルボムッレ・スマナサーラ長老法話メモを転載。「天上天下唯我独尊」について。4月18日に開催された名古屋での花祭り記念法話をAdvanced/W-ZERO3 esでメモしたもの。

天上天下唯我独尊
(1)お釈迦さまが生まれたときに述べたと言われるコトバ「天上天下唯我独尊」について。
「これってたいへんなことだ、どうしよう」という心配のコトバです。決して傲慢なコトバではありません。なぜ心配か?:生命は行儀よく、目上の人々に礼をして生きることは気楽なのです。親の言うこと聞く、目上の人々の言うことを聞く。経験のある人からいろいろ聞けば、自分がどうすればいいかが見えてきます。わがまま奔放に生きることは人生の失敗者ということです。社会から潰されるのです。目上の人々のいうことを聞いて生きるのは楽で、心配ないのです。……続く。

(2)それが楽なのに、そう知っていたのに、お釈迦さまには、これが法則としてはできないことになっている。他人の話を聞いても仕方ない。その人にお釈迦さまが真理を教えてあげないといけない。これが大変だ、どうしようかというコトバ。「天上天下唯我独尊」は、世の中にあるPR文句ではないのです。釈尊は、父親から宝物のように育てられた。父親は息子を完全完璧に信頼していた。しかし、釈尊は自分の父親に頭を下げて土下座して礼を出来ない。これは釈尊には苦しい。人類の模範になる父親と言えば、釈尊の父親なのに、(インド文化でそうするように)朝晩、両親に礼をできなかった……続く。

(3)いくらしっかり説かれた教えを聞いても、実践になると「明日やります」となってしまうのが人間。恵みは降ってこない。自分の努力しかない。お釈迦さまはただ、「正しい努力の仕方を教えてあげますよ」というのです。
生命は平等です。恵みをたれる絶対者はいないのです。私たちは打ち出の小槌がほしい。私たちは怠け者、頑張りたくない。夜寝て朝目覚めると、枕元に金貨の山があってほしい。そういうのって、かっこいい生き方でしょうか?いまだに誰かが打ち出の小槌を売ってくれたことは一度も無い。すべて自分の努力でやったこと。一つも証拠無いのに、頑として「神の恵み」を信じると言うのは随分理性的だこと。アベコベ思考がどれだけひどいか……続く。

(4)お釈迦さまは救済者ではない。偉大なる師匠です。道を指し示す方です。釈尊に伸ばした手は、もう他の人に伸ばす必要はない。本格的に修行しても、それだけでは「仏教徒」とは言えない。修行して真理を発見していくと、「なるほど、これしか道がないのだ。他のことは無意味で結果が出ないことだ」という智慧が生まれる。それを[道が現れた」と言うのです。その人がほんとうの仏教徒です。「道の人」「道が現れた」人なのです。お釈迦さまに手を伸ばせば、その道が現れるのです。(完)
スマナサーラ長老 20090418名古屋にて)

その他。判断。輪廻。悟り。折々のメモから。

判断
Q 判断に迷ったときは?
A 自分が幸福になるか、相手が幸福になるか お互いにwin win condition にするにはどうすべきか。そう考えて判断すればうまく行く。
行為のはじめも、途中も、終わった後も。自分と相手のためになったのかとチェックすること。釈尊は息子(ラーフラ)にそう教えた。
スマナサーラ長老の法話より)

輪廻
Q不滅の霊魂はないが輪廻があるってどういうこと。
A変わらないものが何もないからこそ輪廻が成り立つ。輪廻というのは変化の流れ。
スマナサーラ長老の法話より)

悟り
凡夫:怒らないように頑張る 欲張らないように頑張る
聖者:怒れないようになる 欲張れないようになる
スマナサーラ長老の法話より)