タイの女装僧侶?(出家は形にあらず)

ピンクのバッグ、化粧で托鉢=女装僧侶に苦悩−タイ仏教界


バンコク5日時事】厳格な戒律で知られるタイの仏教界が、同性愛などの若い僧侶の振る舞いに頭を悩ませている。僧侶の象徴である黄衣を女性風に着こなし、化粧もするなど、人目をはばからぬ行動は社会問題に発展。仏教学校が年少者向けの特別講座を開設するなど対策が始まった。

タイでは、仏教を攻撃する目的でキリスト教系のメディアがこういう僧侶を揶揄する記事を流す例もあるというから、どこまで真に受けていいのかわからないが……。テーラワーダ仏教の戒律では、性別がはっきりしない人は出家できないはずだ。その点は出家儀式の際に訊かれる。あと、龍(ナーガ)が人の姿に化けて出家しようとしても、許されない(笑)。


ただ、タイでは功徳行として一時出家するケースが多いので、同性愛傾向のある人でも親孝行のために出家して、しかしどうしても「乙女心」がうずいておかしな行動をしてしまう、ということもあるだろうね。「仏教国」ならではの、仏教文化とダンマとの現代的なせめぎあい、という感じがする。まぁ、たいした問題ではなかろう。


ちなみに出家というのは出家の戒律を受けて守る存在で、だからこそ出家なわけで、事実上「無戒」状態である日本の大乗仏教の僧侶たちに向かって一般人が手を合わせないからといって、「日本には敬虔な仏教徒が少ない」わけではない。


日本の僧侶は長らく、お上から「度牒」を受けて身分をいただく公務員みたいな立場だった。江戸時代には常民たちの生活を監視する戸籍役場のような役割を幕府から与えられていた。その権威は必ずしも三宝から来ていたわけではなく、時の権力を笠に着ていたところも多分にある。だから、そういう三宝と無関係の飾り物を引き剥がされたところで、僧侶が尊敬されないと嘆くのは、バカもいいところである。お前ら、そもそも尊敬される条件をそろえてないYO!


明治以降だって、釈雲照律師村雲日榮尼のような持戒堅固の本物の出家は、広く日本国民の尊敬を集めていたのである。本物の出家がほとんど絶えている現在、一般人が出家に手を合わせなくてもいいのである。それが自然な姿だ。*1


日本にもこれから本物の出家が増えれば、出家とは尊敬に値する人々だという共通認識がよみがえって、たとえだらしない出家であっても「この人も出家者だから、あの方々のように尊敬に値する人に違いない。手を合わせよう」と、人々が手を合わせてくれる余慶にあずかれるかもしれない。


五戒も知らない無戒の僧侶が戒を受けようと思えば、五戒を守っている在家者に向かって手を合わせて、五戒を授けてもらわなくてはならない。いまの日本であれば、僧侶が在家から戒を授かる、ということも不思議ではない。出家というのは、形ではないのだ。


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*1:もちろん一般常識にのっとって礼儀をもって接するべきだよ。