ウィルスの心配をする前に
特定の誰かを批判したいわけではないんだが……。新型インフルエンザ流行のニュースに興奮しておかしな質問をしてくる人がいるとかいないとか。
「新型インフルエンザが世界的に流行していますけど、仏教徒としては、この事態にどんな態度を取ればいいんでしょうか?」
『まぁ……混乱してパニックにならないように行動することでしょうね。情報に冷静に接して、行くなと言われている地域には旅行しないとか、家に帰ったら手洗いうがいをきちんとするとか、専門家の言葉に従って、理性をもって落ち着いて対応すればいいんじゃないでしょうか』
「しかし、インフルエンザの予防や治療をするということは、そのウィルスを殺すことにならないんでしょうか? インフルエンザウィルスだって、生命ですよね。生きとし生けるものの幸せを願う、“慈悲の瞑想”をしている仏教徒としては……」
『あのね、それは順番がおかしいですよ。いま、新しい伝染病に感染して、苦しんでいる人がたくさんいるんですよ。慈悲を実践するなら、そういう人々の悩み苦しみがなくなるようにと願うことが先でしょ? ウィルスなんか、知識として知っているだけで、いるかいないかの実感もないんだし、そもそも有情(satta)と言えないだろうし。そんなおかしな妄想をしないで、苦しんでいる人々のことを心配すべきでしょう。』
と言ったところで(中略)時間の無駄でしかないことが多いのだが……。
- 作者: アルボムッレ・スマナサーラ
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私は幸せでありますように
親しい人々が幸せでありますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
と同心円状に自分から一切衆生にまで、徐々に慈悲喜捨(友情・心配・随喜・平等)の気持ちを広げていくのが慈悲の瞑想。目の前で、病気で苦しんでいる人の心配もせずに、ウィルスがどうだの微生物がどうだのと余計なことを考えることは、慈悲の瞑想と何の関係もないただの妄想だ。高尚なことを考えているつもりで、頭の上から糞をかぶっているのと同じことだ。
〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜