「感謝の心」私達は何を学ぶべきですか?


那覇市立銘苅小学校・幼稚園 創立5周年記念講演会
講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老
『「感謝の心」私達は何を学ぶべきですか?』
2009年4月11日(土)13:00開演



小学校の入り口にはスマナサーラ長老を歓迎する言葉が



会場へと向かうスマナサーラ長老とお出迎えの自治会長さん



講演に先立って勇壮なエイサーが披露された



獅子舞も



講師紹介をされた沖縄大学のディリープ・チャンドララール教授。スマナサーラ長老とはケラニヤ大学以来のご縁



会場となった銘苅小体育館には約300名の父兄や子供たちが集まった



講演されるスマナサーラ長老。その場で取ったメモからさわりを紹介すると……

いのちの秘密の言葉があります。それは(誰かの・何かの)「役に立つ」ということです。
幸福の鍵はどこにあるでしょうか? 「役に立つ」の四文字にあるのです。


幸福のために、いつでも心にとめるべきチェックポイント:それ、役に立つの?
自分のやっていることは、みんなの役に立つか? みんなの迷惑になっていないか?
いつでもそれをチェックしてください。


大人が子供に何かやってもらおうとする場合でも、「これ、あなたの役に立ちますよ」と言えるものを教えてあげることです。人間は、自分のしたことが誰かの・何かの役に立つと、すごく元気になるのです。


人生の「楽しみ」は役に立たないと生まれてこないのです。閉じこもって一人でゲームする楽しみは悪です。「人の役に立つ楽しみ」こそが、善なる楽しみなのです。


細胞は断食不可能です。外から与えられなかったら、自分の身体を食べるだけです。一瞬でも栄養を接種摂取しなかったら人間は死ぬのです。我々は外の世界のお陰で生きています。一秒でも私を助けてくれないと私は死にます。


心も同じです。
まわりが自分を認めてくれるとすごく元気になる。
感謝のひとことは、価値を計り知れない心の栄養です。それがないと生きていられません。


ペットを飼うのも、自分が(ペットの)役に立っているという実感が欲しいからです。でも、犬と人間は世界が違う、ということを理解しないで飼っている人がいます。自分に喜びを与えてくれる動物のことをなにも考えずに、人間の都合を押し付けるのです。一方的にかわいがるのと、相手の尊厳を認めることとは違うのです。


明るく生きるためには周りの栄養が必要です。
周りへの「感謝」の気持ちがないと、周りからいただけないのです。


私たちは一分一秒でも独立して生きられません。
秒単位で、無数に、他のお世話になっているのです。
……が私を生かしている。……には主語がないのです。主語は成り立ちません。
(強いて言えば)「一切生命と自然が私を生かす」なのです。


酸素を吸っても自分では、一つも酸素を作れない。私たちの人生は、借金だけの人生です。感謝の心がないならば、生きる資格はないのです。


そこで、借金を返す呪文があります。


「生きとし生けるものが幸せでありますように」といつも念じることです。


神様を称える宗教の言葉をいくら唱えても、借金が増えて不幸になるだけです。仏教はべつに、宗教に反対ではないのです。でも、宗教家もこの言葉に反対できないのです。この言葉から、ライバルのない、敵のない生き方が現れます。


「生きとし生けるものあ幸せでありますように」と願うことが、「感謝」の実践です。



講演会の後、花束贈呈をする子供たちに祝福の言葉を述べるスマナサーラ長老



講演会の後、校長室でチャンドララール教授、自治会長と歓談されるスマナサーラ長老。この後、校長先生を交えて教育や子育てに関する熱心なお話があった。子供を学校などの社会に送り出す際の親の心構えについて語られた、長老の以下の言葉が印象的だった。

親は子供にはっきり言うべきです。
私にはおまえが世界一。
でも世界にとっては、お前はただの一人でしかないんだよと。



講演会の後、首里城を見学した。


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