『方丈記』と『法句経』……廃仏毀釈の残滓を乗り越えて

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

からはじまる鴨長明方丈記』はひろく知られている日本語の古典文学の随一だろう。この文章の出典が、東洋の聖書とも称される超有名な初期仏教経典、『法句経』の一節から取られているということをご存じだろうか? 私はこの説を佐竹昭広萬葉集再読asin:4582352316』ではじめて知った。

万葉集再読

万葉集再読

佐竹氏が校注を担当された岩波新日本古典文学大系方丈記 徒然草asin:4002400395』では、「ユク河ノナガレハ、絶エズシテ、シカモモトノ水ニアラズ。」に次の註が添えられている。

往く川の流れは瞬時も留ることなく。「河の駛流(しる)して、往きて返らざる如く、人命も是の如く、逝く者は還らず」(法句経・無常品)に拠る。「ユク水」と言わず、用例の稀な「ユク河」の話を用いているところから、法句経に依拠したと推測する。
(岩波新日本古典文学大系方丈記 徒然草asin:4002400395』3頁)

また同書の解題である「方丈記管見」にはもっとはっきり、

(前略)方丈記はいちはやく多数の愛読者を持った。
 長明没後三十七年、十訓抄(建長四年成)の著者も、東山の草庵に「方丈記とて仮名に書き置けるもの」(九ノ七)を写し持っていた一人に数えられよう。著者が方丈記冒頭文の典拠に文選・歎逝賦「世閲人而為世、人苒々而行暮、川閲水以成川、水滔々而日度」を挙げて以来、これと論語・子罕篇「子在川上曰、逝者如斯夫、不舎昼夜」などを出典に擬する注釈が主流を占め、何故か仏典に目を向けてはいけないような雰囲気が出来上がってしまった。十訓抄の儒教的解釈から脱け出しさえすれば、方丈記の思想に一層ふさわしい典拠は法句経・無常品に見出されるであろう。


   如河駛流、往而不返、人命如是、逝者不還。


 それはさて措き、方丈記の普及はかくも迅速であった。
(岩波新日本古典文学大系方丈記 徒然草asin:4002400395』362頁)

とある。日本で『法句経』が本格的に知られ始めたのは西欧のパーリ経典研究が輸入された近代に入ってからのこと。特に昭和初期に「真理運動」で一世を風靡した友松円諦によるラジオ講話asin:4061585339が『法句経』大衆化の嚆矢とされている。しかしそれより700年以上前(西暦1212年)に、『法句経』に想を得た随筆がひとりの出家歌人によってものされ、争うように読まれ、書き写されていたのである。


鴨長明が参照したという、

如河駛流、往而不返、人命如是、逝者不還(河の駛流(しる)して、往きて返らざる如く、人命も是の如く、逝く者は還らず)

の句は、漢訳『法句経』無常品の四偈にある。*1部派仏教時代に様々なバージョンで編纂された『法句経』のなかでも比較的ポピュラーな詩句であり、サンスクリットの原文は説一切有部系『ウダーナヴァルガ』1-15で読むことができる。*2残念ながら、現行のパーリ『法句経(ダンマパダ)』には該当の偈は存在しないが、インド仏教の最初期から伝承されてきた古い偈であることは間違いないだろう。*3

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

新国訳大蔵経 インド撰述部―本縁部〈4〉法句経

新国訳大蔵経 インド撰述部―本縁部〈4〉法句経

私がちょっと気になったのは、方丈記の出典に関して、「何故か仏典に目を向けてはいけないような雰囲気」があったという佐竹氏の文章である。実は「儒教的解釈」に呪縛されてきた方丈記のそれに限らず、日本の古典文学への仏教の影響を軽視する風潮は最近まで根強かったという証言がある。雑誌『在家佛教』2009年1月号に再録された増谷文雄の講演録(初出:同誌1966年10月号)「日本人の宗教心」では、こんな悲憤慷慨が語られている。

在家仏教 2009年 01月号 [雑誌]

在家仏教 2009年 01月号 [雑誌]

廃仏毀釈は慶応四年三月に始まり、数年にして終わったものではけっしてなく、それはまだ終わっていない。それ以来今日までちょうど百年になるが、なお終わっていない。(中略)
 この前もある文学者と話しているうちについその話が出て、向こうのほうから廃仏毀釈はまだつづいているなんていう。それは文学の世界においてもそうだという。たとえばいろんなところで日本古典文学大系とか古典文学全集などというものがでているが、そのなかには仏教と名のつくものはぜんぶ排除されています。よくよく考えてみると、ある時期以後の日本文学は仏教の影響をほかにしてはほとんど考えられないようなものになっている。徒然草はいかにしてできたか。正法眼蔵随聞記がなかったならばあの形式はできなかったと教えられた。それであるのに今昔物語は文学であるけれども、日本霊異記は文学ではないことになっている。どこがちがうのか。そういうぐあいにして仏教は文学のなかからほうりだされてしまっています。ところが、その文学者は、「おれがいままだの廃仏毀釈に一つだけピリオドを打った。それは古典文学大系のなかに仏教物をはじめて入れたことである」といっていました。
(『在家佛教』2009年1月号92-93頁)

むろん増谷が憂いていた1960年代後半に比べれば、「文学の世界における廃仏毀釈の残滓」はいよいよ薄らいでいるだろう。ただ数年で破棄された政策とは別に、現代まで日本文化を覆ってきた廃仏毀釈的な雰囲気の実相について、対象化して分析する作業は充分になされているとは言えないと思う。


それにしても、『萬葉集再読asin:4582352316』を読めば、あまたの秀歌をものした万葉歌人たちの背景にあった仏教的教養の深さに驚かされるばかりである。「ある時期以後の日本文学は仏教の影響をほかにしてはほとんど考えられない」どころか、日本文学はほとんど誕生の瞬間から、仏教という触媒なしに存在し得なかったようなのである。


かくも深く長い日本文化と仏教との関係を臆さず認めることは、「日本人が広大な世界へと自らを“開いてゆく”窓、普遍への回路*4」の何たるかをはっきり自覚するに他ならないことだと、私は思う。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。(方丈記

河の駛流(しる)して、往きて返らざる如く(法句経・無常品)


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*1:漢訳経典の本縁部『出曜経』『中本起経』『大莊嚴論経』などにも「如河駛流……」の偈とそれに因む因縁物語が採録されている。

*2:サンスクリット原文からの訳は南伝の『ダンマパダ』と北伝の『ウダーナヴァルガ』の全訳が併せて収録されている中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば [asin:4003330218]』(岩波文庫)に収録。

*3:鴨長明が果たしてそのものズバリ法句経から「如河駛流……」を引いたか解らない。同じ偈を収録した本縁部経典、たとえば活き活きとしたジャータカ(本生)物語が読み物として抜群に面白い出曜経あたりをつらつら眺めているうち見つけた可能性もある。

*4:拙著『大アジア思想活劇[asin:4901679953]』序文より