「自分」を手なずける工夫

はてなブックマークで、松下幸之助氏の以下のエピソードがちょっとした話題になっていた。

松下幸之助氏が京都駅からある料亭へ打ち合わせに向かっているときのこと。

隣に乗っている、最近松下電器にはいったばかりの秘書にこう言った。

「あのな、ここらへんは実はわしの土地なんや」

さすが大企業の社長、と秘書が驚いていると幸之助氏はさらに続ける。

「今からゆく料亭も、実はわしのもんなんや」

はあ、料亭も!と秘書が驚いていると突然幸之助が笑い出した。

「面白いやろ、君!そう考えたらなんか気が大きくならんか?」

これは冗談だったわけだが、幸之助氏は続けて秘書にこう諭す。

もしここらへんの土地が自分のものだったら、前を走る車も邪魔には思わないだろう。

自分の料亭の酒や料理は大事にしよう、と思うだろう。

自分の土地だからタバコを捨てたりしないだろう。

そして突き詰めて考えると「みんなのものは自分のもの、自分のものはみんなのもの」という哲学にいきつく。

私心一色になりがちな企業経営もそう考えると会社は社会のもの、という考え方ができるのだ。

秘書はこの一件で彼の経営哲学を聞いたのだった。

幸之助氏の指導にはこうした「こう考えるといいですよ、こう考えると楽ですよ」というものが多かったという。

私は、こちらの記事のブックマークで知ったのだが、ネットの初出は、

のようだ。エピソードの出典として、『松下幸之助の実践心理術―「無」から「有」を生み出す究極の心理テクニック』という本も挙げてある。

松下幸之助と言えば、ラジオからの耳学問などを通じて仏教思想からかなり影響を受けていたことが、坂本慎一氏の研究によって明らかにされている。

ラジオの戦争責任 (PHP新書)

ラジオの戦争責任 (PHP新書)

また、松下は創価学会池田大作と対談した際に「最も強い影響を受けた人」として聖徳太子を挙げたそうだ。*1現代では日本古代史のヒーローとして評価が定着している聖徳太子だが、明治の廃仏毀釈運動によってその評価は地においていた。その名誉回復に尽力したのが新しいメディア「ラジオ」を通じた国民教化に努めた仏教思想家・活動家の高島米峰だったことは坂本氏の著作に詳しい。

しかしそんなことよりも、今回この松下幸之助のエピソードに触れて思い出したのは、昨年一月に逝去された宮崎奕保禅師(みやざきえきほ 曹洞宗大本山永平寺第78世貫首)の次の言葉だった。

いわゆる わたくしが 永平寺

わたしは 宮崎奕保やけども 

永平寺さん」言うたら

「はい」言うんや

永平寺とわしと一つや

自分ぐらい大事なものはない

自分ぐらい大事なものはええけども

人はどうでもええではなくて

環境もみな自分だから

わたしが永平寺やから

永平寺を大事にすることは

自分を大事にしておる*2

2004年放送のNHKスペシャル『永平寺 104歳の禅師』で語られていた。DVDの他に、NHKオンデマンドで視聴できるのでぜひご覧になっていただきたい。

仏教では、「何一つ自分のものはない。一切は無常であり、“自分のもの”など成り立たない。愛着すべき“自分”すら、無いのだ」という冷徹な客観的真理を説く。しかしその一方で、「(すべての生命にとって)“自分”より愛しいものは誰もいない」(相応部有偈品)という実存的な真理からも離れることはない。

生命を苦しみの輪廻に縛りつける「我執」から解き放たれるために、無常・苦・無我という真理の三相を修行を通じて徹底的に明らめるアプローチがある。それは、いわば仏道修行の王道である。

無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福    お釈迦さまが教えたこと1

無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福 お釈迦さまが教えたこと1

それと同時に、「みんなのものは自分のもの、自分のものはみんなのもの」「自分ぐらい大事なものはない……環境もみな自分だから」と考え続ける(随念する)ことによって、我執の毒を和らげてゆく、「自分」という概念のこだわりを解(ほぐ)してゆくアプローチもある。*3

ブッダが教えた本当のやさしさ (宝島SUGOI文庫)

ブッダが教えた本当のやさしさ (宝島SUGOI文庫)

もっとも、インド主流派宗教の「我」論イデオロギー*4と厳しく対決してきた初期仏教の経典には上記のような文学的表現は見られない。しかし中国を経由した大乗仏教文化においては、仏教では否定の対象にすぎない「自分」「自分のもの」という概念をあえて用いつつ、自我意識のこだわりをほぐし、解毒しようという「工夫」も為されてきたのである。それを純度100%「仏教」とみなすことは難しいにせよ、御しがたく毒を振りまく自我意識を手なずける方便としては、なかなかよくできた文学だと思うのだ。

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*1:[http://research.php.co.jp/column/s_07/thinker/028.html:title=思想家・松下幸之助の読み方第28回 『人生問答』松下幸之助池田大作(上下2巻、潮出版、1975年)─聖徳太子の名誉回復と先人の努力─]

*2:http://www.geocities.jp/aikidokayama/houwa/houwa1.htm

*3:テーラワーダ仏教の修行法であえて類似のものを見出そうとするならば、[http://www.j-theravada.net/3-jihi.html:title=慈悲の冥想]になると思う。

*4:過去未来現在を貫く常住不変の自我・真我が存在するという思想。仏教の立場からは救いがたい邪見である。