パーリ三蔵の世界にようこそ(清浄道論は「論」じゃない?)
id:touryuuuanさんが、続・東龍庵雑事記にて、品切れになっている『お経の基本がわかる小事典』 松涛弘道 (PHP新書)の内容紹介をして下さっている。
- 作者: 松涛弘道
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2004/10
- メディア: 新書
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第三回では、ブッダゴーサ(Buddhaghosa)の『清浄道論』(visuddhimagga ヴィスッディマッガ)について触れられている。
上座部仏教の教学のテキストとして用いられているものに、「清浄道論」がある。これは仏音(ブッダゴーシャ)が五、六世紀頃にセイロン(スリランカ)でつくったものであるが、釈迦の教えの中心はその悟りにあるとし、この本はそれに至る道を示しているので、南方の比丘は必ず僧院でこの本を勉強する。
ところで、同書では清浄道論を「論(Abhidhamma,Abhidharma)」のカテゴリーに入れているようなのだが、実は清浄道論はパーリ三蔵(Pāli Tipiṭaka)には収録されていない。あくまで三蔵(Tipiṭaka)の外に置かれた蔵外仏典という扱いをされている文献なのだ。
- 出版社/メーカー: 大蔵出版
- 発売日: 2005/04
- メディア: 単行本
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清浄道論をまとめたブッダゴーサ長老は西暦5世紀頃に南インドで生れ、後にスリランカに渡来したという。当時のスリランカには、現在のスリランカ上座仏教のルーツである大寺派の他に、無畏山派と呼ばれる大乗系の教学にも寛容な宗派が勢力を誇っていた。その宗派でも清浄道論に対応する修道マニュアル「解脱道論(vimuttimagga)」(ウパティッサ作)がまとめられており、パーリ語原典は散逸しているものの漢訳(中国にはパーリ語に精通した訳者がいなかったため、かなりいい加減な訳)が残されている。漢訳の大蔵経では解脱道論も「論」のカテゴリーに収められている(大正蔵論集部)。
しかしパーリ三蔵では、経と律はもちろん、後から成立した論(アビダンマ)についても厳密に範囲が決められている。いわゆるパーリ七論と呼ばれる、作者不詳の出家サンガの集合智の如き文献だけが、「論(アビダンマ)」と呼ばれる資格を持っているのだ。清浄道論のように著者名のある注釈書(Aṭṭhakathā)、複註書(Tīkā)、また有名な『ミリンダ王の問い』なども、三蔵の外に置かれている。*1
ミリンダ王の問い―インドとギリシアの対決 (1) (東洋文庫 (7))
- 作者: 中村元,早島鏡正
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1963/11
- メディア: 文庫
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スマナサーラ長老が『ブッダの実践心理学』シリーズで用いている摂阿毘達磨義論(アビダンマッタサンガハ)も、アビダンマそのものではなく、アヌルッダ長老という著者名を冠した「アビダンマの教科書」である。同書は10世紀から12世紀ごろまでのアビダンマ注釈書を前提としてまとめられているので、パーリ論蔵(Abhidhammapiṭaka)の7つの論書にはないキーワードも駆使されている。
ブッダの実践心理学 (アビダンマ講義シリーズ―物質の分析) (アビダンマ講義シリーズ (第1巻 物質の分析))
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,藤本晃,Alubomulle Sumanasara
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2005/11/01
- メディア: 単行本
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パーリ三蔵(Pāli Tipiṭaka)という単語は、以下のように分解できる。
Pāli パーリ……線、転じて聖典を意味する。「パーリ」だけで三蔵全体を指す。
Ti 「三」の意。
piṭaka 篭(かご)、蔵。経・律・論それぞれのセットに「蔵」 piṭaka と言う。
参考までに、パーリ三蔵の範囲の全体を示すならば、、
上記のサイトで、Tipiṭaka (Mūla)とされている範囲ということになる。我々がよく親しんでいる『スッタニパータ(ブッダのことば)』や『ダンマパダ(法句経)』にしても、それがパーリ仏典全体の中でどう位置づけられているかについては、ご存じでない人も多いのではないか。以下、簡単にまとめてみよう。
パーリ三蔵の全体
- 経蔵 Suttapiṭaka
- 長部 Dīghanikāya
- 中部 Majjhimanikāya
- 相応部 Saṃyuttanikāya
- 増支部 Aṅguttaranikāya
- 小部 Khuddakanikāya(法句経,スッタニパータ,長老偈,長老尼偈,ジャータカ,etc)
- 律蔵 Vinayapiṭaka
- 波羅夷 Pārājika
- 波逸提 Pācittiya
- 大品 Mahāvagga
- 小品 Cūḷavagga
- 付録 Parivāra
- 論蔵 Abhidhammapiṭaka
- 法集論 Dhammasaṅgaṇī
- 分別論 Vibhaṅga
- 界論 Dhātukathā
- 人施設論 Puggalapaññatti
- 論事 Kathāvatthu
- 双論 Yamaka
- 発趣論 Paṭṭhāna
ここまで。以下は三蔵以外のパーリ仏典。
- 蔵外
- 注釈書(Aṭṭhakathā)
- 複註書(Tīkā)
- 清浄道論(visuddhimagga)
- ミリンダ王の問い(Milinda Pañha)
- 摂阿毘達磨義論(Abhidhammatthasaṅgaha),等々
『南伝大蔵経総目録』はパーリ三蔵原典(PTS版)の巻数頁数と対応した目録なので、パーリ仏典に興味のある方は持っておくと便利。
- 作者: 大蔵出版編集部
- 出版社/メーカー: 大蔵出版
- 発売日: 2004/04
- メディア: 単行本
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一方、漢訳の『大正新脩大蔵経総目録』にも、漢訳阿含経典の下に関連するパーリ経典が付記されている。こちらも手元に置いておいて時々眺めると楽しい本だ。
- 作者: 大蔵出版編集部
- 出版社/メーカー: 大蔵出版
- 発売日: 2007/08
- メディア: 単行本
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律蔵 Vinayapiṭaka と論蔵 Abhidhammapiṭaka について説明は略す。経蔵 Suttapiṭaka はいわゆる「お経」の全集で、三蔵の中でもっとも重要なところだから、少しだけ説明しておきたい。
- 長部 Dīghanikāya 文字通り長編の経典が34収録されている。大般涅槃経 Mahāparinibbānasuttaṃ(中村元訳、『ブッダ最後の旅』岩波文庫)がもっともよく知られているだろう。他にも、梵網経(大乗経典の同名経とは無関係)、沙門果経、大念処経など重要経典が数多くある。長部経典は、春秋社から複数訳の、大蔵出版から片山一良博士の個人訳による現代語訳の全集が出ている。一般的な読みやすさでは前者を、注釈などの充実度では圧倒的に後者を推したい。
- 作者: 森祖道,浪花宣明,中村元,岡野潔,渡辺研二,入山淳子
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2003/11
- メディア: 単行本
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- 作者: 片山一良
- 出版社/メーカー: 大蔵出版
- 発売日: 2003/05
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- 中部 Majjhimanikāya こちらも文字通り、中くらいの分量の経典が152収録されている。1根本法門経から152根修習経まで、完成度の非常に高い経典が目白押しだ。パーリ経典の教えの完成形を知りたいと思うのであれば、中部経典を全読破することをおススメしたい。中部経典も長部と同じく、春秋社から複数訳、大蔵出版から片山一良博士の個人訳による現代語訳の全集が出ている。欲を言えば、浪花宣明氏(春秋社『原始経典』主要訳者)による中部経典の個人全集を読んでみたいものだ。
- 作者: 中村元,森祖道,浪花宣明,及川真介,羽矢辰夫,平木光二
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2004/07
- メディア: 単行本
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- 作者: 片山一良
- 出版社/メーカー: 大蔵出版
- 発売日: 1997/07
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怒りの無条件降伏―中部教典『ノコギリのたとえ』を読む (「パーリ仏典を読む」シリーズ)
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,日本テーラワーダ仏教協会出版広報部
- 出版社/メーカー: 日本テーラワーダ仏教協会
- 発売日: 2004/07
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- 相応部 Saṃyuttanikāya テーマ毎に関係する(Saṃyutta)経典を収録している。縁起、四諦、五蘊、十二処、四念処など、仏教思想の全体を網羅した五篇五十六相応から構成されており、経典の総数は3000近い。形式的にみえて、実は釈尊の説法や対話のエッセンスが凝縮された比較的短い経典も多く、初期仏教の息吹を生々しく伝えている。全訳は文語体の『南伝大蔵経』しかないが、中村元が古層経典として評価する有偈品Sagāthāvagga のみを全訳しており、増谷文雄も相応部経典の全編から重要な経典を抄出した四巻のアンソロジー『阿含経典』を出している。増谷は相応部をブッダの直説にもっとも近いと評価していた。絶版だが、古書で比較的入手しやすい。
ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ1 (岩波文庫 青 329-1)
- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/08/18
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ブッダ悪魔との対話――サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2)
- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/12/16
- メディア: 文庫
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- 作者: 増谷文雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1979/03
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- 作者: 増谷文雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1979/05
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- 作者: 増谷文雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1979/07
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- 作者: 増谷文雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1979/09
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- 増支部 Aṅguttaranikāya 1(一集)から11(十一集)までの「法数」によってまとめられた、数え方によって異動があるが一説には7000以上の経典が収録されている。覚えて念じれば瞑想に使えそうな超短い標語のような経典から、深い物語性、思想性をたたえた経典まで、バラエティ豊か。法数でまとめたと言っても、小目次は相応部と同じくテーマ毎になっている。残念ながらまとまった現代語訳がないが、超有名なカーラーマ経(増支部三集)など重要経典も多く、『南伝大蔵経』を苦労して読み進める価値は大いにあると思う。ちなみに南伝大蔵経は昭和9年(1934)から昭和16年(1941)にかけて、『大正新脩大蔵経』の姉妹編として刊行されたパーリ三蔵の日本語訳(文語体)である。はっきりいって訳文のクォリティにはかなりムラがあるが、水野弘元や赤沼智善など錚々たるメンバーも翻訳に参加している。現在、オンデマンド版で購入可能なので、文語体&旧仮名に抵抗感ない方は相応部、増支部以下を揃える価値はあるだろう。
- 出版社/メーカー: 大蔵出版
- 発売日: 2002/10
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- 小部 Khuddakanikāya 長部・中部・相応部・増支部には形式的に収まりきらなかった経典群がすべて放り込まれている。スッタニパータ(経集)やダンマパダ(法句経)、テーラガーター(長老偈)、テーリーガーター(長老尼偈)など最古の経典と呼ばれるアンソロジーの他、スッタニパータの注釈書である大義釈(Mahāniddesa)・小義釈(Cūḷaniddesa)、清浄道論の原型となった修道マニュアル無礙解道論(Paṭisambhidāmagga)、ジャータカ(本生経)まで品数豊富だ。ゆえにパーリ三蔵成立にあたってテキストが確定するまでの「揺らぎ」がもっとも色濃く刻印されているとも言えるだろう。*2
- 作者: 友松圓諦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/03/06
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- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/01
- メディア: 文庫
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- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/03/16
- メディア: 文庫
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- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/04/16
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慈経―ブッダの「慈しみ」は愛を越える (「パーリ仏典を読む」シリーズ (Vol.1))
- 作者: アルボムッレ・スマナサーラ,日本テーラワーダ仏教協会出版広報部
- 出版社/メーカー: 日本テーラワーダ仏教協会
- 発売日: 2003/11
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- 作者: 藤本晃
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2007/10
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- 付記:ジャータカ「物語」について ちなみに、大乗経典の下敷きになったという説もあるジャータカだが、正確には、パーリ三蔵に収められているのは「詩偈」のみで、それにまつわる「物語」部分はすべて注釈書(Aṭṭhakathā)扱いになっている。ジャータカ物語の伝承自体は古いものだったが、サンガの結集で伝えられてきたわけではなく、それを注釈書の形でまとめたのはブッダゴーサ長老の功績に帰せられる。ジャータカは当時のインドの社会通念や価値観を色濃く反映しているので、普遍的な仏説に加えるには相応しくないものもある。強烈な政治批判、露骨な性描写、スプラッター展開など、経典だと思って読むとびっくりする内容も多い。(そのうち、「大人のジャータカ」シリーズをまとめてみたい気もする。)実際、ジャータカ「物語」的な世界観に依拠した大乗経典は、ヒンドゥー教にのみ込まれて仏教の独自性を失ってしまうことになる。ただし、パーリ三蔵に収録されているジャータカ「詩偈」はパーリ語としても古い形を保存していることも事実で、バラモン教の思想を完膚なきまでに叩きのめす論争的な詩など、単独で鑑賞しても充分鑑賞に堪えるものもある。ジャータカ「物語」の日本語訳だが、南伝大蔵経もここだけはなぜか口語訳になっている。読みやすいのは最近オンデマンド復刊された春秋社『ジャータカ全集』(全10巻)だろう。
- 作者: 中村元,藤田宏達
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2008/10
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以上、甚だ簡単だがパーリ経蔵の紹介にかえたい。折を見て、他の蔵外パーリ仏典や、律蔵、論蔵についても解説してみたい。
パーリ三蔵を通読してひしと感じるのは、釈迦牟尼ブッダの教えをいかに純粋な形で後世に伝えるかという、編集者たちの強い意志の存在である。その意志がはたして「釈尊の純粋な教えをつたえる」目的にいつでも叶ってきたか、ということは議論の余地があろう。しかし良くも悪くもおおざっぱな大乗仏教圏の三蔵に比べて、パーリ三蔵の編集に込められていた「正典性」への強固な意志は、テーラワーダ仏教が「正典宗教」と言われるひとつの由縁なのだろうと思う。
パーリ三蔵の大注釈者、清浄道論の著者であるブッダゴーサ長老の著作を通して、テーラワーダが世界宗教として飛躍する過程を描いた馬場紀寿『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』(春秋社)は、パーリ三蔵の成り立ちを考える上でもぜひ目を通しておいて欲しい一冊だ。
- 作者: 馬場紀寿
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2008/07
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最後になったが、パーリ仏典(三蔵と蔵外仏典)の全体像について、もう少し深く知りたい方は長部と中部の個人訳という偉業を成し遂げ、現在、相応部の個人訳に取り組んでいる片山一良氏の『ブッダのことば パーリ仏典入門』(大法輪閣)をぜひ一読していただきたい。パーリ経蔵(五部)の主要経典の分かりやすい解説が掲載されおり、一般向けには類書がないだけに、たいへん貴重なお仕事だと思う。
- 作者: 片山一良
- 出版社/メーカー: 大法輪閣
- 発売日: 2008/06
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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜