観音さまはどこから来たの?(ragarajaさんの「読んだふり」誤解を訂正する)

id:ragarajaさんからトラックバック付きで久々に反論があった。

昨年末から書き込みが途絶えていたので、お灸が効き過ぎて落ち込んでいるかと心配していたが、お元気な様子で何よりである。

ただ、内容となると酔った勢いで書き殴ったかのようなひどい文章だ。ここまで話の通じない、理解能力のない御仁だとは思わなかったが……。私個人への人格攻撃、クソと味噌を一緒にする俗流相対主義、資料に対する見解の相違、グルイズム云々のトンチンカンな言いがかり等々は措いておくにしても、以下のくだりはあんまりひどい。少々長くなるが、証拠を出して反論するために引用する。

これには驚いた。では訊くが、例えば『大智度論』の作者はその「みんな」に入っていないのであろうか。同書には観音菩薩ら大乗経典の菩薩の来歴について詳細に解説されている。

大乗八宗の祖と尊敬される龍樹菩薩(では無いかもしれないが)たるものが、

まじめな大乗経信者である読者を騙すために菩薩の設定資料を書くものだろうか。私は大乗仏教の学侶たちがそこまで悪人だったとは思えないのだが……。*1

え?どこに?

菩薩とは大乗用語では、ほんとは涅槃に入れるような高みにまで上り詰めたが、民を救うために現世にある人を言います。

日本では行基が行基菩薩と呼ばれておりましたが、そのように大乗では高僧などを菩薩とすることもあります。大乗の阿羅漢のような意味の場合もあります。もしかしてそういうの言ってる?

中には実在の高僧がモデルの菩薩も居ると考えられておりますから、来歴が具体的な人間臭いものもあります。

弥勒菩薩なども過去に実在した高僧を死後慕って神格化したものとも言われますが、そういうのをピックアップしても。

それを言ってるだけじゃーないですか。『大智度論』読んだのならなんでそういう発言になるのか理解に苦しみます。読解力無いのでしょうか?

般若経に出てくる菩薩や如来が智慧の象徴で方便なのは、『大智度論』見ても龍樹は理解してると思います。

観音菩薩の来歴に実在の人物として書いてるなんてあるかい?そんなの無いと思いますが…

大智度論と同じ頃に成立したとされる般若心経では舎利子(舎利弗)を主人公に、観自在菩薩が真の智慧の道を説き、成長します。こういうのを方便と分からないのはちょっとどうかと思います。

要するに未熟者が観自在という法に導かれ、悟りを得るということです。

観自在が実在の誰それだなんて誰も思ってないし、実際の人間として舎利弗と出合ったとも、誰も考えておりません。(舎利弗が観自在という「法」の真理に触れて、ゆえに悟ったのだという思想はあったにしても)

変な曲解を広めないで欲しいもんです。大乗経典の菩薩や如来は方便でしかないし、法の化身です。そんなことはみな理解してきたはなしです。

あなたのおかしなバイアスで歪めた読み方を根拠に大乗批判されても困惑するばかりです。

このくだりは他の人が誤解するといけないので、『大智度論』著者の名誉の為にも証拠を出しておきたい。大正蔵検索にて『大智度論』の該当箇所(初品中仏度願釈論第十三)を示す。こちらも前後関係が分かるよう、少々長めに引用した。ご容赦願いたい。

0110c21: 經其名曰颰陀婆羅菩薩。(秦言善守)剌那伽羅菩
0110c22: 薩。(秦言寶積)導師菩薩。那羅達菩薩。星得菩薩。
0110c23: 水天菩薩。主天菩薩。大意菩薩。益意菩薩。増
0110c24: 意菩薩。不虚見菩薩。善進菩薩。勢勝菩薩。常
0110c25: 勤菩薩。不捨精進菩薩。日藏菩薩。不缺意菩
0110c26: 薩。觀世音菩薩。文殊尸利菩薩。(秦言妙徳)執寶印
0110c27: 菩薩。常擧手菩薩。彌勒菩薩。如是等無量
0110c28: 千萬億那由他菩薩摩訶薩。皆是補處紹
0110c29: 尊位者。論如是等諸菩薩。共佛住王舍
0111a01: 城耆闍崛山中。問曰。如是菩薩衆多。何以獨
0111a02: 説二十二菩薩名。答曰。諸菩薩無量千萬億
0111a03: 説不可盡。若都説者。文字所不能載。復次
0111a04: 是中二種菩薩。居家出家。善守等十六菩薩。
0111a05: 是居家菩薩。颰陀婆羅居士菩薩。是王舍城
0111a06: 舊人。寶積王子菩薩。是毘耶離國人。星得長
0111a07: 者子菩薩。是瞻波國人。導師居士菩薩。是
0111a08: 舍婆提國人。那羅達婆羅門菩薩。是彌梯羅
0111a09: 國人。水天優婆塞菩薩慈氏妙徳菩薩等。是
0111a10: 出家菩薩。觀世音菩薩等從他方佛土來。
0111a11: 説居家。攝一切居家菩薩。出家他方亦如
0111a12: 是。問曰。善守菩薩有何殊勝。最在前説。若
0111a13: 最大在前。應説遍吉觀世音菩薩得大勢菩薩
0111a14: 等。若最小在前。應説肉身初發意菩薩等。
0111a15: 答曰。不以大不以小。以善守菩薩是王舍
0111a16: 城舊人。白衣菩薩中最大。佛在王舍城。欲
0111a17: 説般若波羅蜜。以是故最在前説。復次是
0111a18: 善守菩薩。無量種種功徳。如般舟三昧中。佛
0111a19: 自現前讃其功徳。問曰。若彌勒菩薩應稱
0111a20: 補處。諸餘菩薩何以復言紹尊位者。答曰。
0111a21: 是諸菩薩。於十方佛土皆補佛處

他の諸菩薩の出自と並んで、「観世音菩薩等は、他方の仏土より来れり。」と明言してある。これで、id:ragarajaさんが原典を読まず、いい加減なことを語ったことが証明された。さらに言を左右にするならば、うっかり者にとどまらない「不誠実な人間性」を自ら吹聴することになる。

『大智度論』が著述された時代の大乗仏教徒は「他方の仏土」から飛来した超人的な能力を持った菩薩の実在を信じていたのである。近代文献学を通過した現代人のように、「方便」云々という概念処理で済ませていたわけではない。それを踏まえなければ、大乗仏教が何故に「宗教運動」として拡がりえたかが説明できないだろう。

id:ragarajaさんが大威張りで言っている、

「自ら考える」これが最上位にあって、その下の過去の高僧らの説や考えを参考にする、それが仏教徒のあるべき姿だというのに、

最上位に他人の考えを置いてしまっている。ブッダが戒めたのはそういうことでしょう。

ブッダの教えすらも「自ら観察し、思索し、練る」の下位にあるべきもので、他人を己の思索より最上位に置いてしまう。嘆かわしいことです。

というのは、結局その程度のことなのか。「自ら考える」ことと「自分勝手に考える」こととは、慎重に峻別されなければならない。id:ragarajaさんにその自覚があるようには、どうしても思えない。現代人の価値観がへばりついた「自分」を横に置いて客観的に考える能力(如理作意)は、努力もせずに身に付くものではない。我々は自分自身の「考える」プロセスに潜むバイアスに警戒しながら、資料に即してものを調べる訓練をしなければならない。断章取義を勝手な思い込みでループさせて居丈高にくだを巻くくらい、酩酊したバカにもできる。酩酊者の言説を真に受けて、智慧が生じるという法はない。

同じく、id:ragarajaさんの言説から「仏法」と呼べるものの片鱗でも見つかることはなさそうである。

以下、参考までに関連するエントリを並べておく。
水掛け論的なやりとりが嫌な人にも役に立つよう、有意義な情報を練り込んでおいたつもりである。

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*1:http://d.hatena.ne.jp/ajita/20081225