妬む・怒る・愚痴るは「仏教の三毒」ではありません

いろいろ楽しいことが続いて心洗われる数日間だったのだが……パティパダー原稿作成その他でなかなか記事をかけない。忘れていなかったら後日まとめて。

amazon.co.jpに件の勝間本のレビューを投稿した。「都合の悪いレビューが消える商品」タグがつけられているが、僕は別にアンチではないので大丈夫だろう。レビューの内容は、これまでのエントリの繰り返し。復習代わりにお読みいただければ幸い。

妬む・怒る・愚痴るは「仏教の三毒」ではありません, 2009/1/26
By satta (東京都渋谷区)

本書で印象的なキーワードは「三毒追放」です。勝間氏は「妬む・怒る・愚痴る」の三項目を「仏教の三毒」として紹介されてます。しかし仏教の三毒は「貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴(無知)」です。

仏教経典を隅々まで見渡しても、「妬む・怒る・愚痴る」を「三毒」とした用例は見当たりません(もしご存知の方がいたらご教示ください)。

勝間氏が「三毒追放」の出典として紹介しているのは中山正和氏の著作です。中山氏は晩年仏教に傾倒していたようですが、独学の弊害なのか、仏教学の常識とはかけ離れた用語の理解が散見されます。「妬む・怒る・愚痴る」を三毒とした説明はその最たるものでしょう。

そのような中山氏の本をそのまま参照して「仏教の三毒」を語ることは、勝間氏が他の著作で提唱している「3点観測の読書術」の原則にも反するのではないでしょうか? どの仏教書を読んでも、中山氏の著作以外はおそらく全て、仏教の三毒は「貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴(無知)」として記されているはずだからです。勝間氏が、これから著書などで「三毒」に言及される際には、その点を踏まえて、注記されるべきかと存じます。

ただ、「妬む・怒る・愚痴る」を止めることは、仏教本来の「三毒」である「貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴(無知)」のうち、「瞋恚(怒り)」カテゴリーの煩悩を制御する修行としては効果があると、伝統仏教の立場から評価することは可能です。

「梅は三毒を断つ」というように、「三毒」という言葉自体は様々な意味に使われてきました。ですので、三つの側面から怒りに立ち向かう「三毒追放」は大いに賛成ですが、「仏教の」とする場合には、仏教本来の「三毒」を踏まえなければ、故意に間違った情報を広めたことになります。

仏教用語由来の「三毒」の正しい意味については、『広辞苑』や『大辞泉』など中型の辞典にはふつうに掲載されています。勝間氏やカツマーの方々には、必携グッズに電子辞書を加えること、ググるだけでなく普通に辞書を引いてから文章を書くことも同時におススメしたいと思います。

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