名古屋初期仏教デー/勝間和代氏と仏教的なるもの

名古屋市笠寺の日本ガイシフォーラムにて名古屋初期仏教デーに参加。今年最初となるスマナサーラ長老の法話&瞑想指導の会。質疑応答も活発でたいへん充実感あふれる幸先のよいひと時となった。明日はゴータミー精舎の新年祝福法要。

往路の新幹線で聞いたポッドキャスト。

復路の新幹線で読んだ本。

『起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術』勝間和代ダイヤモンド社

昨年末に2008-12-27「三毒」をめぐる混乱 勝間本より役立つ?怒りの分析を書いた行きがかりで読んでみた。なかなか面白く、勉強になった。書評は後日に譲るが、巻末のカラー頁「勝間グッズ」中の「もし今日で命が終わるとしたら読む3冊の本」のうち2冊が、ジェームズ・アレンの『「原因」と「結果」の法則』と金子みすゞの童謡集というのはびっくりした(あと1冊は家族のアルバム)。

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

大ベストセラーとなった本書の冒頭に出典なしに引かれている詩が、初期仏教経典『ダンマパダ(法句経)』の1,2偈であり、同書の主張がその注釈書のように展開されていることは、以前メルマガで指摘したことがある。

それにしても、最近バカ売れした『「原因」と「結果」の法則』は明らかにダンマパダ1,2偈、まさに最初に書かれている内容を展開した本であるにも関わらず、そのことをはっきり指摘している人がほとんどいないのは不思議です(スマナサーラ長老は講演で何度も楽しげに指摘してますが、活字にはなっていないので…)。

呉智英氏の著書『現代人の論語』に、論語が「読まれざる古典」であるとして「須磨源氏 公冶長論語」という言葉が引かれていますが、それに倣うならば、ダンマパダ(法句経)は友松円諦その他先師の奮戦空しく、いまだ「一行も読まれていない古典」であり続けていると言えるでしょうか。もったいない!

まだ東洋の異教に対して偏見が強かった19世紀にあえて経典からの言葉であることを伏せてダンマパダの偈を引用したアレンの気持ちはそれなりに理解できるものがある。しかし現代においても、そのことをスルーしたままアレンの思想についてあれこれ語るのは、(少なくとも訳者や編集者のレベルでは)知的怠慢と言われても仕方ないのではないか。まぁ、とにかくジェームズ・アレンの本はかなり仏教濃度が高い。

原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

ちなみに、法句経(ダンマパダ)1,2偈のスマナサーラ長老による注釈は佼成出版社『原訳「法句経」一日一話』に載っている。それから、

わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集

わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集

金子みすゞは敬虔な浄土真宗門徒の家に生まれ、その詩は仏教色が色濃いとされている。実際、そのような視点から書かれた以下のような解説書も刊行されている。

金子みすゞの詩と仏教

金子みすゞの詩と仏教

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浄土真宗編と日蓮宗編があるのはなぜ???金子みすゞの詩には、スリランカ留学僧のスダンマ師もいたく感銘を受けていたから、アジア仏教圏に暮らす人々の琴線に響くものを持っていることは確かなのだろう。こうやって見ると、勝間和代さん仏縁ありすぎ。

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