「五戒」を改竄するなかれ

唐突だが、仏教の五戒とは以下の項目である。

  • 不殺生戒 生き物を殺さない
  • 不偸盗戒 与えられていないものを取らない
  • 不邪淫戒 淫らな行為をしない(夫婦以外のよこしまな性関係を持たない)
  • 不妄語戒 いつわりをかたらない
  • 不飲酒戒 放逸の原因となり、(人を)酔わせる酒類、麻薬などを使用しない

参考:礼拝のことば(日本テーラワーダ仏教協会)


近々、法友の木下全雄師(高野山真言宗)が、「五戒を守る僧侶の会」を立ち上げるそうだ。五戒とは本来、在家仏教徒の戒だが、伝統仏教の僧籍にある方々が、まじめな仏教徒として生きることを確認しあうことから仏教復興をはかろうとしているのはたいへん頼もしいことではないだろうか。

しかし油断してはいけない。日本の仏教界においては、仏戒の基本中の基本たる五戒(paJca siila)さえも曲解・改竄して宣伝している例があるからだ。別に糾弾するつもりはないが、参考までに挙げておきたい。

牧宥恵・画僧
 日本の地名は善良な市民たちの手で、民主的な手続きを経て、公然と大規模に破壊されている。これはある意味、バーミヤンの大仏破壊より恐ろしい。」(片岡正人『市町村合併で「地名」を殺すな』より) この中にある地名を憲法に置き換えて読んでみる。正にこういう時代に立っている状況が見えてくる。笑止千万と言われようが時代錯誤と言われようが僕は「非武装中立」を唱えて行こうと思っている。憲法の改悪の嵐の中でこの非武装中立を根本に据える「九条」こそが仏教徒としての理に叶っているからである。それ以外の何物でもない。釈尊の非暴力主義、不戦主義を貫いてこその仏教徒であると自覚している。大義名分の「自衛(専守防衛)」を「軍」に変えてまで「国際支援」という名で交戦をしようと思わない。仏教徒であるならば国家間に限らず武力のない平和共存を目指すべきであろう。仏教徒が守らなければならない五戒 (パンチャ・シーラ)は全くもって平和五原則を遵守している。 一.不殺生(生き物を殺さない)―相互の領土の保全・主権の尊重。 二.不偸盗(ふちゅうとう。盗みをはたらかない)―不可侵。 三.不邪淫(男女の道を乱さない)―国内問題不介入。 四.不妄語(嘘をつかない)―平等と共生。 五.不邪見 (正しい智慧)―平和共存。特に不殺生戒は釈尊の言葉にあるように、「自分(あらゆる生物)の命が殺められるのが誰でも嫌なようにそれを他人にしてはならない。」(『法句経』)と説く。「この国を守る為」という美名の為に武力で生命を奪ってはいけない。その為に作った憲法「九条」を僕らが壊してはいけない。仏教とはこの教えと覚悟を持って布教すべきであろうと僕は考えている。「死んで神様といわれるよりは生きて馬鹿だと言われましょうネ。」(加川良「教訓?」より) 僕も恰好好い戦い方より、恰好悪いかも知れないけれど生命を守る教えを採ります。

言っていることは立派かもしれないが、そんな五戒は、「仏教の五戒」ではないと思うぞ。
「邪見」は十悪の一つで、十善十悪の思想から発展した「十善戒」(慈雲尊者や明治の釈雲照が広めた。現在も真言系寺院で教化に用いられている)には「不邪見戒」があることはあるが、五戒に入れるのは文脈無視であり、デタラメが過ぎる。五戒の五番目は断じて「不飲酒戒」である。不飲酒戒を社会倫理の文脈で拡大解釈して「麻薬取引禁止」とするならばそれなりの見識と言えるだろう。それにしても、不邪淫戒を「国内問題不干渉」とする超絶解釈にはおったまげた。


またもう一つのケース。

僧侶になろうと出家して、仏門に入るときは、「三帰五戒」を授かります。
「三帰」とは 「仏・法・僧」の三宝に帰依するということです。
ふせっしょうかい
「五戒」とは 不殺生戒 …生き物に危害を加えたり殺生しない
ふちゅうとうかい
不偸盗戒 …他人のものを盗まないこと
ふじゃいんかい
不邪淫戒 …淫らな性関係を持たないこと
ふとんよくかい
不貪欲戒 …深酒・飽食・無駄な買い物をしないこと
ふじゃけんかい
不邪見戒 …嘘をつかない、よこしまな考えを持たないこと

こちらもまた、かなりおかしな「五戒」を説いている(両者に共通する削除項目が、「不飲酒戒」だというのも面白い)。仏教の五戒でもないものを五戒だと言って宣伝することは、「不妄語戒」には抵触しないのだろうか……と思ったら、有難いことに、後者にはそれも抜けている。


自分が五戒(とりわけ不飲酒戒)を守れないというならば、それはそれで別にかまわないと思う。日本の仏事で酒がつきものだということも承知している。しかし、自分が守りたくないから、自分の生き方を正当化したいから、他の思想の宣伝に使いたいから、仏祖の教えの方を強引に捻じ曲げて、ありもしない五戒を勝手に作り上げて流布するというのは、どういう了見なのだろうか? そういう正直ではない態度が、仏弟子に相応しいものとは思えない。


繰り返し述べるが、釈尊によって定められた、在家仏教徒のための五戒とは以下の通りである。

  • 不殺生戒 生き物を殺さない
  • 不偸盗戒 与えられていないものを取らない
  • 不邪淫戒 淫らな行為をしない(夫婦以外のよこしまな性関係を持たない)
  • 不妄語戒 いつわりをかたらない
  • 不飲酒戒 放逸の原因となり、(人を)酔わせる酒類、麻薬などを使用しない

守るか守らないかは、あなた次第である。自分の欲や主観によって好き勝手に変えられた教えは、もはや仏教とは言えない。ちっぽけな自分の欲と主観だけでは誰も認めてくれないから、それに「仏教」という権威を被せているだけである。しょーもない「権威主義」の産物である。

五戒をセットで守ることの意義については、2008-12-14の日記に引いたスマナサーラ長老の解説(僕のうろ覚え)が参考になると思う。

五戒を「戒論」的に分析すると、二つに分かれる。

  1. 生命との関係を定めた戒:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語
  2. 自己破壊を防ぐ戒:不飲酒

1と2は土台と屋根のような関係である。家を建てる時は土台から建てなければならない。その意味では不殺生〜不妄語までの四戒が先にある。

しかし、屋根が無ければ家とは言えない。飲酒によって自己破壊すれば、生命との関係もすべて崩れてしまう。よって、五戒はひとつのセットとして実践することが勧められている。云々。

「五戒を守る僧侶の会」の五戒が「仏教の五戒」であり続けることを切に願いたいと思う。

ブッダのやすらぎの声 (<CD>)

ブッダのやすらぎの声 ()

『ブッダのやすらぎの声』スリランカで録音されたパーリ経典読誦CD。三帰依五戒も収録されている。


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