『大般涅槃経』に記された「正法」の見分け方(ragarajaさんへの回答を兼ねて)

ragarajaさんから再々反論をいただいた。

いろいろ親切に教えて下さるのはありがたいが、大乗教徒の言説の矛盾については労をいとわず批判しておくべきだろう。

まず、大乗仏教の平等主義云々について。

文献考古学といった分野では、尼さんが出てくる部分は後世の付加という見解が大勢です。
散文と韻文があって、だいたい散文のほうが古い内容であることが知られていたり(その限りとも言えないですが、大勢として)、散文の部分にはぜんぜん尼さんが出てこないなどがあります。
内容的に古いと思われるスッタニパータにも全く尼さんは出てきません。
そりゃそうですよね、森林で猛獣と対峙したり、穴倉生活などをしてる部分で尼さんが1人や2人で暮らすなんて現実的に不可能ですから。
ですので、尼さんが出てくるような部分は、教団の性質が変容して、開けた場で祇園精舎のような集団生活施設ができたりする時代に挿入された説話と言われます。

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釈尊の時代に比丘尼僧団が存在したことについて、否定する説があることは知られている。しかし、最古層と推定されるスッタニパータ4章5章(ハードコアな修行者文学の色彩が濃い)を前提に、在家信者とも積極的なかかわりを持っていた初期仏教教団の実態をイメージするのは的外れに過ぎるだろう。私は経典の記録のとおり、釈尊在世の頃に比丘尼教団が成立していたという立場をとる。

釈尊は社会情勢を鑑みて女性の出家に難色を示したものの、女性が出家しても悟れれないということがあるのかというアーナンダ尊者の問いに、「そのようなことはない。女であっても悟れる」と明確に答えている。それ以外の答えは初期経典のどこにもない。異論の成り立たない唯一の回答である。「在家だったり女性だったり、悪人だったり、そんな者すらも悟れる」*1云々はそもそも大乗仏教と関係の無い、初期仏教時代からの一貫した特徴(悪人という言葉は曲者だが常識的に過去罪を犯した人間と理解する)であることははっきりしている。大乗経の偏見に引きずられて、ありもしない問題を捏造することは不毛の極みであろう。

次、菩薩道と差別思想について。

私はガンダーラ・マトゥラー仏マニアなので考古学寄りの見解に寄りすぎかもしれませんが、信者と言えど、そういう客観的視点で見ていくことが必要ではないでしょうか。キリスト教ならともかく、己の智慧を信じるべき仏教なんですから。

ともかく学術的にはそういう見解でパーリ仏典の考古学的研究は進んでおります。

>菩薩道を持ち上げてしまったおかげで、女性が悟ることが教理学的に難しくなったのは大乗の方だろう。
>部派仏教時代に正等覚者の定義がかっちり出来てしまってから、菩薩道こそ本道なんてことを言い出したものだから、もともとの仏教にあった平等思想が壊れてしまったのだ。
>悪人が改心して、阿羅漢になるのも釈尊の時代から。アングリマーラのエピソードを知らないのだろうか。自分の心を向上させずに悟るということは、話にもならない妄語である。

意味が分からないですね。
どう平等思想が壊れたのか、女性が悟ることが教理学的に難しくなったのか、根本的に大乗仏教を全く理解してないか、曲解してるように思います。

上記エントリの「■大乗仏教が組み込んだ差別思考」の節ですでに論じた。大乗経典をつくった人々は重々承知していた問題を、raganagaさんは知らないらしい。成仏を目指す菩薩道で「女性が」修行を完成することは論理的に成り立たない。何劫にもわたって、男根のある肉体にしか生まれ変わらないように波羅蜜を積むのだと、大般若経の注釈書の形で大乗仏教思想を集大成した『大智度論』に明記してある。

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多仏思想について。

そもそもブッダの境地は一人だけという上座部の思想こそが平等思想に反してるわけですよ。私を神格化するなと言ったブッダの意思を理解していない。

>これもこじつけだ。「多仏思想」は、部派仏教で釈尊が別格化された後に出てきた論点でしかない。論破済みなので繰り返さない。

ごまかさないでください。論破ではなく多仏説を矮小化して話をすりかえてるだけでしょう。
多仏思想で生まれた過去仏・未来仏の観念は、そもそもブッダの境地に到達しえるのは彼1人なのか?という上座部との対立点です。
上記でも述べたブッダの己の神格化否定に関する話であり、民間信仰としての菩薩信仰などに矮小化すべき話ではありません。

矮小化と言われるが、どうしてそんな問題を針小棒大に語らなければならないかが分からない。ブッダの称号の第一は阿羅漢である。苦の滅尽に至る教えを最初に発見した釈尊に従って、釈尊と同じく煩悩から解放された聖者も阿羅漢である。「自分も最初の発見者になれないのは不平等だ」などという理屈がどうしたら成り立つのだろうか。そういうおかしな難癖がまじめに議論されて、多仏説が主張されるに至るまでには、それなりの前提条件がなければいけない。釈尊と阿羅漢たちとの差別化が合理性を逸するレベルまで進み、かつ修行の目標である阿羅漢の地位低下が起こらない限り、多仏論というトピックが議論される土台が成り立たない。まして、以下の文章に描かれる「方便としての多仏」など、もっともっと後世に発達したレトリックであろう。

ちゃんと経典読めば、多仏は方便として法の人格化として描かれていることが分かります。法が語っているのです。

多仏思想は、つまり法(縁起の世界観)>ブッダということであり、法の各要素を人格化してありがたい教えを説いてくださるという分かりやすい形式で経典が描かれているわけです。

その後民間信仰として、そこに描かれる菩薩をありがたや〜と拝む民衆もいたでしょうが、経典ではその後もずっと法の方便として多仏は描かれ、

あなたが指摘するような幼稚な多仏信仰に意味を狭めるのは認識がおかしいですよ。

さらに……

大乗経典読んで、「菩薩なんてほんとは居ないんだよ!」と言われても、そんなことはみんな分かってるがな!って話なんです。

これには驚いた。では訊くが、例えば『大智度論』の作者はその「みんな」に入っていないのであろうか。同書には観音菩薩ら大乗経典の菩薩の来歴について詳細に解説されている。大乗八宗の祖と尊敬される龍樹菩薩(では無いかもしれないが)たるものが、まじめな大乗経信者である読者を騙すために菩薩の設定資料を書くものだろうか。私は大乗仏教の学侶たちがそこまで悪人だったとは思えないのだが……。

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法の教え・理論を説明する存在として如来や菩薩が、各法の法則の化身として、それぞれ担当する理論を説くという形式に大乗の多仏経典はなっているのです。

そしてその根幹は法>ブッダというブッダ相対化の理屈です。

ブッダは自身が生まれようと生まれて居なかろうと、法は法としてあるのだというようなことを述べたといいます。ブッダを神格化することは平等性を本当に説くならばやはりおかしいのです。

釈尊が、自分が生まれようがいまいが法は法である、と述べたことと、その法を見出した正等覚者の教えを特別視すべきではない(その辺の凡夫の言葉と平等視せよ?)という理屈とがどうつながるのだろうか。ブッダの出現に関わりなく法は法だとしても、それを見出して衆生に説示しなければ、無明の闇に沈む凡夫がどうやってそれを知り得るのか。ご親切にも瞑想すると異世界から闖入してくださる「法則の化身」など、架空のキャラクターに過ぎないのだから、正等覚者の残された教法がなければ修行道も悟りもないではないか。

ここから先でragarajaさんがら開陳されている考古学的な話は、パーリ経蔵に描かれたエピソードの史実性について諸説がある、と留意するにとどめておこう。

我々が仏教を学ぶのであれば、より信頼度の高い教えの伝統に就きたいと思うのは、当たり前のことだ。それは「権威主義」でも「舶来信仰」でもない。オウムだの何だのネガティブなレッテル張りで俗情を煽ろうとする態度、無自覚な文化ナショナリズムの垂れ流しに気づかない迂闊さをこそ恥じるべきではないか。『大般若経』では、人々が大乗経典を捨てて初期経典に戻ることを「魔事(悪魔の仕業)」と憎み恐れたが、その伝統は現代の大乗の徒にも立派に受け継がれているようで興味深い。

現代日本人が仏教を学ぶにあたって真っ先に相対化すべきなのは、長きにわたる「大乗仏教文化」のなかで染み付いた様々な条件づけではなかろうか。

釈尊の晩年の教戒(自燈明、法燈明)についても反論があった。

>「己の智慧を信じよと残して入滅したブッダ」とは、どこの誰だろうか。
>釈尊は、己を洲として真理を実証せよ、と述べただけである。意訳にしてもおかしい。

どこが?

中村元氏訳を引用します。
「アーアンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、
誰でも自らを島とし、自らを頼りとし、他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとし、
他のものをよりどころとしないる人々が居るならば、彼らは我が修行僧として最高の境地にあるであろう。」
その数行前にも延々、自ら考え、自ら感じ、自ら進む必要性をとくとくとアーナンダに語っております。
己の智慧によって進みなさい、私が無くとも誰であれ涅槃の境地に至りうるはずだ、と明確に述べてると思います。
法(この世の法則=縁起)を正しく見抜き、それに従う生き方をしていきなさい。それぞれ自分で考えて、というはなしを死を目前にして語っているのです。
ブッダ亡きあとの仏教徒の在り方を述べていると思います。

では、『大般涅槃経』のなかで、上記の言葉(誤記があるが……)に続けて釈尊が「自灯明・法灯明」について解説した箇所を引用しよう。

では、アーナンダよ、どのように比丘は自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、法を依り所とし、他を依り所とせずに、住むのか。
 ここに比丘は、身体について、身体を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。もろもろの感受について、感受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。心について、心を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。もろもろの法について、法を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて、住みます。このように、アーナンダよ、比丘は自己を島とし、自己を依り所とし、他を依り所とせずに、法を島とし、法を依り所とし、他を依り所とせずに、住むのです。(長部第16大般涅槃経第二章より 片山一良訳)

この前節では、「完(まった)き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は存在しない」(中村元訳)とも述べている。釈尊が繰り返し繰り返し弟子たちに指導したのは四念処の観察であった。一連の流れで釈尊の説法を読めば、自燈明・法燈明の実践として四念処を示す記述を簡単に「後世の付加」として捨てることはできないだろう。ragarajaさんの「断章取義」的な理解が妥当なものかどうかは、上の経説と照らし合わせて、読者がそれぞれ判断していただきたいと思う。


長部(ディーガニカーヤ)大篇〈1〉 (パーリ仏典)

長部(ディーガニカーヤ)大篇〈1〉 (パーリ仏典)

教条主義じゃやはりダメなんですよ。この世の法に従った正しい生き方こそが必要。眼前にある「法」こそが、あなたがたの師であると述べていると思います。

のちの高弟がまとめたバイアス入り経典より法を信じるというベクトルを取ることは決して異端ではありません。

法がまずあり、その参考として経典がある。そう考えるべきなのです。順序が逆なのです。

幸いなことに『大般涅槃経』には、釈尊が、釈尊の名を用いてかたられる教えの真偽の見抜き方についても、明確なポイントが説かれている、四大教法と呼ばれる法門であるが、以下にさわりを引用しよう。

比丘たちよ、ここに比丘が、つぎのように語ったとします。『友よ、私は世尊から、<これが法である、これが律である、これが師の教えである>と直接聞き、直接受けました』と。比丘たちよ、その比丘が語ったことは喜ばれるべきでもなく、非難されるべきでもありません。喜ぶことなく、非難することなく、それらの文句をよく学び、経(仏語)に引き合わせ、律に照らし合わせるべきです。もしそれらが経に引き合わされ、律に照らし合わされて、経にも合致せず、律にも一致しないならば、そこで結論すべきです。<確かにこれは、かの世尊の言葉ではなく、この比丘が誤って理解したものである>と。比丘たちよ、そのような場合、これは捨てねばなりません。しかし、もしそれらが経に引き合わされ、律に照らし合わされて、経にも合致し、律にも一致するならば、そこで結論すべきです。<確かにこれは、かの世尊の言葉であり、この比丘が正しく理解したものである>と。比丘たちよ、これが、第一の大教法であり、銘記されねばなりません。(長部第16大般涅槃経第四章より 片山一良訳)

何も付け加えるべきものはないだろう。パーリ経典は、妄信や思い込みとは無縁なクールな態度で編纂された。大乗経典とは端的に言えば、「確かにこれは、かの世尊の言葉ではなく、この比丘が誤って理解したものである」と、釈尊の定めた基準によって、サンガから捨てられた欠陥品なのである。

また釈尊は入滅の直前、異教の修行者スバッダと次のような問答を交わしている。

(スバッダ)「ゴータマ尊よ、教団を統率し、集団の師としてよく知られ、誉れが高く、創唱者であり、多くの人々に善人として尊敬されている沙門・バラモンたち(中略)この者たちはすべて、自己の主張通りに悟ったのでしょうか。すべての者は悟っていないのでしょうか。それとも一部の者は悟っており、一部の者は悟っていないのでしょうか」と。
(釈尊)「やめなさい、スバッダよ。『この者たちはすべて自己の主張通りに悟ったのか。すべての者は悟っていないのか。それとも一部の者は悟っており、一部の者は悟っていないのか』ということは、そのままにしておきなさい。スバッダよ、そなたに法を説きましょう。それを聞き、よく考えなさい。話しましょう」
「わかりました、尊師よ」と、遊行者スバッダは世尊に答えた。世尊はつぎのように言われた。
「スバッダよ、聖なる八支の道が見られない法と律においては、そこには沙門が見られることはなく、そこには第二の沙門も見られることはなく、そこには第三の沙門も見られることはなく、そこには第四の沙門も見られることはありません。しかし、スバッダよ、聖なる八支の道が見られる法と律においては、そこには沙門が見られ、そこには第二の沙門も見られ、そこには第三の沙門も見られ、そこには第四の沙門も見られます。スバッダよ、この法と律においては、聖なる八支の道が見られます。スバッダよ、ここにのみ沙門が、ここにのみ第二の沙門が、ここにのみ第三の沙門が、ここにのみ第四の沙門が見られます。他のもろもろの異論は、沙門たちを欠いています。スバッダよ、これらの比丘が正しく住むならば、世界は阿羅漢たちを欠くことがないはずです。
  スバッダよ、私は二十九歳で
  善を求めて出家しました
  スバッダよ、私が出家して
  五十余年になりました
  理の法のために観を行う
  沙門はこれより外にはいません
 第二の沙門もまたおらず、第三の沙門もまたおらず、第四の沙門もまたおりません。他のもろもろの異論は、沙門たちを欠いています。スバッダよ、これらの比丘が正しく住むならば、世界は阿羅漢たちを欠くことがないはずです」と。*2
(長部第16大般涅槃経第五章より 片山一良訳)

釈尊の説かれた、聖なる八正道という実践法を備えた法と律こそが、悟りという結果に修行者を導くただ一つの道であると、『大般涅槃経』には品格よく記されている。

ひるがえって、ragarajaさんが奉じる、教条主義を脱した大乗仏教の「この世の法に従った正しい生き方」とは具体的にいかなる代物だったのか? 大乗仏教にも長い歴史があるが、比較的私たちの記憶に新しい、また決して大乗仏教の一部ではなく、日本の大乗仏教のほぼすべてが関係した具体的な事例を取り上げよう。

現在、日本仏教では、明治以降の宗門の戦争協力を自己批判する動きが盛んになっている。特に「大東亜戦争」の時代、大乗仏教諸宗派の高僧達はこぞって「聖戦完遂」を叫んで信者を侵略戦争に送り込み、「己を滅して軍務にいそしみ、敵を殺して勝利を得ることが六波羅蜜の実践だ」などと吹聴した(彼らの多くは戦後も宗派の要職にとどまった。責任者が死に絶える頃を見計らって「反省」をはじめたのだ)。十二月八日の真珠湾攻撃を釈尊の「成道会」と、翌年二月十五日のシンガポール陥落を「涅槃会」とかけて祝賀した。日本軍の敗色が濃くなると、今度は仏教という看板さえ捨てて只管(ひたすら)に「不朽の国体」への全面帰依と皇道精神への同化を叫び続けた。

田中清玄自伝 (ちくま文庫)

田中清玄自伝 (ちくま文庫)

「時に田中さん、今一番肝心なことは、我々一統あげて、自分、自分の心の中にある米英を撃つことですよ」。山本玄峰老師の使者として妙心寺に赴いた田中清玄との宴席で、妙心寺の管長が口走った言葉であった。(『田中清玄自伝』124p)「鬼畜米英」「聖戦完遂」といった国家から下賜される愚劣な戦争スローガンを、あたかも「公案」の如く押し戴き、ひたすらに内面化しようと励むことが、仏教者の仕事となっていた。

禅と戦争―禅仏教は戦争に協力したか

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当時の、日本大乗仏教のリーダーたちにとって、守るべき「法」とはいったい何だったのか。

彼らは「法がまずあり」の法を単なる「時代の空気」とみなし、それに迎合して仏教の根本戒である「不殺生」の教えさえかなぐり捨てた。いや、大乗仏教では「不殺生」を文字通り実践しようと努力するのは「小乗の持戒」に過ぎず、殺すべきときは殺すことが、「大乗の持戒」であると誇っていたのだったか。その結果、日本だけで数百万の人命が空しく失われた。経典も祖師の教えも破り捨て、時流という「法」に迎合した仏教者は、その時流の転換とともに、国民に道を示す資格を失った。そしてすごすごと、経典に説かれる不殺生と平和の教えに立ち返ったのである。

衆生救済、絶対利他といった高邁なスローガンと裏腹に、実際に行われていたことは単なる無知と俗情への迎合、世間の「空気」への媚びへつらい、自堕落の正当化、組織暴力の奨励に過ぎなかったのではないか。太古から人々は争い、殺しあってきた。しかし、近代日本の大乗教徒たちは、殺人を正当化することで、信徒たちが抱く「殺すことへの罪の意識」さえも奪おうとした。罪を正当化する邪見の持ち主が死後赴くところは地獄か畜生であると、初期経典(パーリ相応部六処編第八聚落主相応戦士経)のなかで釈尊は明言している。「法がまずあり」と説く大乗教徒は、廃仏毀釈のトラウマと国家権力の強制という同情すべき背景はあったにせよ、壇信徒を地獄と畜生への道に突き落としかねない戦時教学を作り上げていたのである。そこで行われていたのは、オウム真理教も裸足で逃げ出す、とんだ「衆生救済」の実践ではなかったか。

近代日本の仏教家と戦争―共生の倫理との矛盾

近代日本の仏教家と戦争―共生の倫理との矛盾

それが「法がまずあり」とおごり、釈尊の教戒を軽んじた、日本大乗仏教の近代における実際であった。それは何処にでも見られる「現象としての堕落」とは質が違う。19世紀末から20世紀の前半にかけて、日本で起きたのはもっと深刻な事態だった。「大乗相応の地」において、自らが選んだ思想的帰結として、大乗仏教は戦争という大量虐殺を正当化し、奨励するに至ったのである。そのような教えがどのようにして、正等覚者の「法」と親戚関係を主張しうるのか? デーヴァダッタさえも想像もしなかった、マッカリゴーサーラさえも唱えなかった、極悪の邪教への堕落ではなかったのか? 

大乗経典とその周辺の教えは、確かに釈尊の教えの副産物である。釈尊が定めた「基準」からすれば、捨てられるべき教えではあったが、それでも仏教という大きな教えの流れに結晶した貴重な文学・思想作品には違いない。しかし、それは釈尊の教えから完全に自立しては生存し得ない、ひ弱で不完全な教えでもあった。大乗経が釈尊の教えの文脈から自立しようとはかれば、土俗宗教に取り込まれ、人々の貪瞋痴を正当化し、危険なレベルまで亢進させる邪教(いわゆる「宗教」)に変質する危険性をはらんでいた。これは大乗経がとりわけ粗悪な教えという意味ではない。貪瞋痴を肯定するもくろみで作り出される観念は、どんな教えであっても危険なのである。人間を自他の破壊に導くのである。 

そのような破滅に至る愚者の行進に連なることを、釈尊の言葉を守って拒む人々を「権威主義者」と呼ぶのであれば、私は喜んで権威主義者と呼ばれたいと思う。釈尊の教えを見下し、大乗を誇る者たちが、ほしいままに繰り出す無責任な詭弁を相手にしていたら、犯せない罪などついには無くなるのである。

戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨

戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨

もう一度、『大般涅槃経』の釈尊の言葉を繰り返そう。

聖なる八支の道が見られない法と律においては、そこには沙門が見られることはなく、そこには第二の沙門も見られることはなく、そこには第三の沙門も見られることはなく、そこには第四の沙門も見られることはありません。

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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20081222/1229940641

*2:この個所について、中村元は他のすべての諸本に共通するが白法祖本にのみ見られないので、「後世の付加」とする。普通は逆ではないか?追記:このくだりの「沙門」とは聖者の位に達した修行者という意味。第一から第四までの沙門とは、預流果・一来果・不還果・阿羅漢果の聖者のこと。