仏教瞑想論

仏教瞑想論

仏教瞑想論

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蓑輪顕量の『仏教瞑想論』読了。はてブのコメントにも書いたけど、サマタ/ヴィパッサナーをキーワードに仏教の瞑想を解説した、ありそでなかった本。古代インドから現代にいたる歴史的な展開を描くことで、「仏教の瞑想がどのようなものであるのか、また、それが何を目指し、どのような工夫が加えられてきたのかを、明確にかつ分りやすく」(あとがき)解説してくれている。もちろん記述の濃淡はあるけれど、目の付け所はユニークだ思う。目次は以下の通り。

はじめに

第一章 仏教瞑想とはなにか……サマタとヴィパッサナー
輪廻思想/輪廻の根源は心の働き/止の具体的なすがた/止の深化の過程/観の道/観のヴァリエーション/四念処とは/情動作用の止滅/心の一連の流れを断ち切る/止と観の違い/観と学解の関係/大乗仏教の瞑想/密教の瞑想/仏教の基本ライン/むすび

第二章 東アジア世界の仏教瞑想
中国への仏教の伝播/仏典翻訳の時代/禅観経典について/天台智ギの瞑想観/『摩訶止観』の四種三昧と十乗観法/禅宗の登場/禅宗の展開/馬祖道一の宗風/入息出息に関する新しい視点――気について/新しい工夫――公案/止と公案/看話禅・話頭禅/禅宗の中国的な要素/むすび

第三章 日本における瞑想修行
日本仏教の特徴/南都の伝統/天台宗の止観念仏/良忍の融通念仏/唐招提寺の釈迦念仏会/西大寺の光明真言会/日本の禅宗/臨在禅と公案/道元禅について/日蓮の唱題/時宗のひとつ火/黄檗宗の朝課/白隠の禅/むすび

第四章 現代アジアの瞑想の実際
ミャンマーにおける瞑想/マハシーの実践/オーバーキンの実践/感覚を気づく/モコックの修行/タイにおける瞑想/実習のすがた/段階を踏んで/タンマガーイの瞑想/中国・台湾の瞑想/禅七/仏七/韓国における修行/看話禅の隆盛/むすび

おわりに
あとがき

自らも瞑想を実践している著者だけあって仏教学者にありがちな主観丸出しの思いつきのごり押しはない。「蛇足」と断りながら、クールに繰り出された従来の「無分別智」解釈へのツッコミも見事だ。

 なお、蛇足になりますが、見ているときには「見ている」と気づき、音を聞いているときには「聞いている」と気づくことこそが、「無分別の智」であるという解釈が、日本の中世の時代の法相宗の僧侶であった良遍(ルビ:りょうへん)によってなされています。
 これはとても興味深い見解です。というのは、六感をそのまま気づく、すなわち覚知することが、無分別の智であるとする理解が存在していたことになるからです。そのように位置づけることができるとすれば、私たちは一般に無分別の知は、文字通りに「分別の無い(識別作用のない)智」と考えてきましたが、大きな誤解をしていたのかもしれません。
 そもそも識別作用がない智というものがあり得るのでしょうか。智そのものはすでに心作用の一つでしょうから、それが無い智というものを想定することが可能なのでしょうか。確かに言葉の上では想定してきましたが、実際にどのようなものか、という視点から考えた時に、兎角亀毛(ルビ:とかくきもう)のようなものになってしまうのではないでしょうか。(第一章 仏教瞑想とはなにか p38-p39)

さらりと、革命的に正しいことを言っているような……。

細かいところだが、事実誤認ではないかという記述もあった。第四章:マハシーの実践の節で「マハシーの組織は、今、世界中に支部を持ち、日本は京都の郊外にも専門道場を持っています」とあるが、これは次節のゴエンカ師のグループ「日本ヴィパッサナー協会」の道場のことだろう。ググれば30秒で解ると思うのだが……。春秋社はテーラワーダ系の本もけっこう出しているのに、解せない。