大乗仏教成立過程についてダメ押し

2008-12-16エントリに対するragarajaさんの反論らしきもの。

例によって余計なレッテル張りやら言いがかりやらしつつ論を右往左往しているが、それなりに調べながら書いたらしく結論は……

以上、大乗成立と在家に迎合した大衆部の平等思想はやはり関与する余地があると考えられると思います。

またスリランカ伝パーリ経典が一次結集にまとめられた教えを口伝によりそのまま伝えられたと考えるのは無理があり、アショカ王在位期に結集でまとめられた上座部系の部派の国教をベースに、部派独自の色を多少加えたものと考えるのが妥当ではないかと思います。

という比較的穏当なものに丸まっている(笑)。初期大乗経典が部派仏教の周辺部のやさぐれ者たちによって捏造されたのは確かだろうから、よくわかんない大衆部と結び付けたければ、結び付けてもいいんじゃなかろうか。たいした証拠は無いけど、その程度のファンタジーは仏教史研究の慰みとして許容範囲だろう。(「在家中心に起こった大乗革命」*1という威勢のいい啖呵はどこへ消えたのだろうか?)

あと、スリランカの上座部(分別説部)が世界宗教のパッケージとしてアルティメット的な強さを確立するのは何といってもブッダゴーサ長老の装甲強化による。現在の上座部仏教の三蔵が歴史的に形成されてきたことは普通にパーリ三蔵をブラウジングすれば誰でも気がつく。また、それが容易に分るように編集もされている。そもそもアビダンマ(論蔵)は第一結集と無関係である。

それにしても、ある人が上手いことを言っていたが、古い経典に手をつけず、注釈的なテキストを追加していった経典「蛇足主義」の上座部と、新しい教えを優先して古い経典も適宜書き換えてしまった大乗の経典「捏造&改竄主義」とでは釈尊の教えに迫ろうとする上で、資料としての価値が違いすぎる。最近の研究でも、漢訳阿含では経典に練りこむ形で追加された仏弟子伝承がパーリ経蔵では参考資料として注釈書に振り分けられるに留められるなど、経典の正確な継承という点で、南北の仏教に大きな差があったことが改めて指摘されている(馬場紀寿,2008 asin:4393112717)。

ただし、大乗の特に般若経典なんかは、スッタニパータなんかで言及されている「アビダルマ(勝法)としての空」を、煩瑣哲学だろそれという所謂アビダルマの迷路から救出しようとした知的営為として評価することは不可能ではない。それにしても、部派でのさんざっぱらの議論を踏まえてのものだろう。

様々な大乗仏教運動の中にも、比較的筋の良いものと悪いものとでは雲泥の差がある。般若思想は龍樹が取り組んだだけあって、筋が良い方の大乗と言えよう。しかし筋が悪い大乗でもそれが「仏教」として生き残ってこれたのは、戒と所謂アビダルマに乗っかったからである。部派仏教由来のエンジンがあったから、車として動いたのである。

以上、めんどくさいから直接のレスとしては書かなかったが、一点だけ。根本分裂について触れた箇所にコメントしておこう。

その後、上座部と大衆部の分裂があります。(根本分裂)

この根本分裂の原因は南伝と北伝では伝わる対立点が違います。

南伝では戒律を巡るもので、ブッダは死の前に些細な戒律は変えてもよいよと述べたとのことですから、戒律に捉われて仏道と本末転倒になることを懸念したのでしょうが、ゆえに変えようとする大衆部との間に分派が起こります。

一方北伝では、出家者の目指す境地についての論争と述べる。すなわち仏、ブッダを目指すのか?ブッダは後にも先にも1名だけで我々はそれは目指せ得ないのか。

この伝承なら、まさに後者の思想は大乗に連なる思想でしょう。多仏説へ繋がる発想ですから。

ブッダは、「後にも先にも真の悟りを開いたのはあなた様だけです」と賛美する弟子を諌めて「なぜそんなことが言える。後も先もおまえは分かるのか」と注意しているように、こういう発想は破戒では無いというのが大衆部及び大乗の考えで、戒律を守っていればそれでよいなどという上座部の発想こそが堕落としたのでしょう。

このように大衆部と上座部の分裂はなにも大義名分が無いものではないわけです。仏教解釈の違いがここに既に起こっているわけです。

さて、南伝北伝、どっちの説を取るべきだろうか?

私の考えは、*根本*分裂という話なら、おそらく順序的には南伝が正しいのではないかと思います。

しかし分派の軸は戒律解釈だけではなくのちにさらに教学における論争も生むわけです。「有名なものに、上座部の主流の部派である説一切有部と大衆部の縁起認識における論争がありますが

数々の点で各部派は教義論争を繰り広げており、その中に縁起認識(法の認識)や、悟りの完成についてなどの争点が各種生まれていくのでしょう。

ragarajaさんも「*根本*分裂という話なら、おそらく順序的には南伝が正しい」としぶしぶ述べているが、そもそも「多仏思想」なんてもの自体が、諸聖者のなかで釈尊の固有名詞化・別格化(最近流行?の用語を使えばsammaasambuddhaとbuddhaanubuddhaの差別)が確立し、なおかつ各部派の間で「阿羅漢退論」つまり仏弟子聖者の頂点に立つ阿羅漢が悟りの境地から退転し得るか否かという主流派仏教の根幹に関わる論争がなされる状況が前提に無ければ成立しえない。

しかも拙稿「仏教理解の逆さメガネ」で指摘したように、大乗の「多仏思想」は、阿含(アーガマ)の中でも比較的後期に成立したとも思われる正等覚者の条件を規定した経典(増支部1集15)を強く意識しており、大乗経典の制作者が当時の「正典」たるアーガマから抽出されたブッダ論を動かすべからざる思想として受け入れていたことは明らかである。

また、大乗仏教がレーゾンデートルとした成仏のための菩薩道にしても、その下敷きとなったジャータカはパーリ聖典においては小部に収録されたジャータカ詩集(偈)の注釈書に過ぎない。ちなみに上座部における菩薩道の修行論(十波羅蜜)については、同じく小部「所行蔵(cariyaapiTakam)」の注釈書(cariyaapiTaka-aTThakathaa)等で詳しく論じられている。

ゴチャゴチャ述べたが、菩薩道つまり(阿羅漢ではなく敢えて)成仏を目指すというイシューはあくまで部派仏教内部の思想が展開する過程で現れたものである。原点回帰でもなんでもない。その時その時に思いついた教説によって、過去の仏説を貶め、都合の悪いところは改竄・捏造するという思想運動の全面展開に過ぎない。ragarajaさんの14日エントリにある、

提婆達多の教団分裂の説話見ても分かる通り、ブッダはバラモン教的苦行主義を諌め、対機説法に意地でも拘って戒律明文化を頑として受け入れなかったのですから。

恐らく当時のバラモン僧的価値観が残る弟子達の結集で戒律や教えはまとまっていったのでしょうが、本来中道を説いて諌めたはずのバラモン僧的苦行主義に時を追うごとに寄っていかなかったのか?もしそうなら、在家中心に起こった大乗革命はむしろ中道であり、すなわち原理主義であり原点回帰になる。

に至っては噴飯ものである。そもそも中道の意味を理解していないのは、プロの仏教学者でも大半がそうであるから許容するとして、釈尊が戒律を随犯随制したことを取り上げて、「対機説法に意地でも拘って戒律明文化を頑として受け入れなかった」とは何のことやらまったく意味不明である。それに提婆達多が釈尊に迫った五項目のひとつには肉食禁止があったが、これを盛んに称揚したのは上座部か? 大乗か? 大乗仏教は原理主義・原点回帰どころか、経典を捏造してまで、釈尊の退けた肉食禁止を仏説に仕立て上げたのではないか。大乗経典の作者(の一部)が反仏教的な「バラモン僧的苦行主義」にいかにご執心だったか、という証拠である。このわずか数行の文章において、これほどまでの自己矛盾に陥っているragarajaさんの仏教理解とは何なのか?

経典はそれぞれの弟子の仏教徒の説。そこでは上座部も大乗も等価ですよ。どれもこれも歴代高僧のブッダ思想の解釈であり、説。

というような雑駁なものの見方は、少なくとも「深い思索」とはなんら縁のないものと評せざるを得ない。

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*1:http://d.hatena.ne.jp/ragaraja/20081214/1229218018