大乗仏教在家起源説という白日夢
2008-12-14記事へのトラックバック記事「2008-12-16仏教と仏教美術の日々 - 大乗仏教の成立過程諸説」にて、記者のragarajaさんから
大乗仏教成立には諸説ありますが、在家集団が成立に重要な役割を果たしているというのは共通認識としてあると思うのですが?
どういった理由なのでしょうか?上座部側の見解をぜひお聞きしたい。
とのリクエストをいただいた。
もともとは上記ブログ2008-12-14上座部仏教の呪術文中での「上座部ブーム批判」に対して、ひとこと苦言を呈したことが始まりである。ざっと見解だけ述べる。
- 在家集団は大乗経典制作者たちの「はたらきかけ」対象ではあったかもしれないが、成立に重要な役割を果たした云々は幻想である。いいかげん“願望”に過ぎない平川彰説のコピペはやめるべき。
以上に尽きる。
仏教における出家/在家関係について正しく知りたいと思うならば、出家教団が現存している社会の仏教を分析しなければ意味がない。日本では具足戒を備えた出家サンガが滅びている(個人レベルの頑張りは残存しているかもしれないが)。滅びたのは、明治維新以降である。出家サンガが消滅したあとの「残骸」たる日本の大乗仏教をいくら観察しても、大乗仏教そのものの起源をしのぶ事はできない。
明治初頭の廃仏毀釈で打撃を受けた伝統仏教教団は、無戒主義・修行否定・聖職者の世襲という特徴(近代教学で強化された側面もあるだろうが)を持つ日本固有の新宗教、浄土真宗教団の組織形態を「モデル」として時代に対応しようとした。近代インド学仏教学もまた、ヨーロッパに留学した真宗出身の僧侶たちによってフォーマットされた。
平川彰が称えた大乗仏教在家起源説は、日本仏教が事実上の在家教団(疑似真宗)として再編を終えた後に、その行き方を正当化する機能を担った。学術的な疑義をかき消して定説として受け入れられたのは、その「おはなし」が近代日本仏教の置かれた状況をうまく説明してくれたからである。
しかし、どんなによくできた「おはなし」であっても、所詮は白日夢に過ぎない。夢は醒めるものなのだ。
以上の論点には間接的にしか触れていないが、大乗仏教誕生の経緯についての私見と、日本における「小乗仏教/大乗仏教」言説への批判は、
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収録の拙稿に詳説した。そのまま転載するのは仁義にもとるので、次のエントリーでゆるめの草稿を掲載したい。