サブカル・ニッポンの新自由主義/「孟子」は人を強くする

サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書)

サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む (ちくま新書)

『サブカル・ニッポンの新自由主義―既得権批判が若者を追い込む』 (ちくま新書 747)鈴木謙介

最近ポッドキャストでよく聴いている文科系トークラジオLifeのメインパーソナリティ、チャーリーこと鈴木謙介氏の新刊。アナーキズムを経由しているあたりは、個人的には問題意識が近接している気がした。社会学の概念を実地に即してよくおさらいさせてもらった。彼の社会分析を通して、現代日本において初期仏教の言説がどのような文脈で受容されているのか、という見取り図が頭の中でざっと描けたので、読んだ甲斐があったと思う。感謝。

 ここでトゥレーヌが強調しているのは、「疎外」とは本人の心の持ちようの問題ではなく、ある体制の維持に奉仕させられているということ、それ以外の行き方はあり得ない、これでいいと思わされていることそのものなのだということだ。疎外論の図式を持ち出すことは、それが「人間本来の生き方を取り戻す」ためではなく、単に「他でもあり得る」という想像力をかき立てるために有効な手段だからだ。
 この節で述べてきた「新自由主義」体制において、多くの論者が格差に対する処方箋として「個人の意欲」を高めることを挙げてしまうのは、まさに現在の疎外された関係以外に「他でもあり得る」ということが構想できないから、仕方なく「それしかない」と考えてしまっているからだろう。だとするなら新自由主義イデオロギーの中でもっとも問題にされなければならないのは、この「他にあり得ない」と私達に思わせるなにものかであるはずだ。
 ここで本書の議論は、ようやく「新自由主義」という、現在の私たちの考え方や社会構想や、個別の場面での振る舞いを規定している「なにものか」の本質へとたどり着いたと言える。それは格差を拡大するから問題なのでも、結果の不平等を容認するから問題なのでもない。もっとごくごく基本的なところで「これ以外の生き方はあり得ない」と私たちに【宿命的に思いこませてしまう】ことが問題なのである。(【】内傍点)
(第三章 サブカル・ニッポンの新自由主義 p190-p191)

上に引用したあたりが、個人的には「肝」かな。編集は洋泉社時代に『この新書がすごい!』でお世話になった(そしてちくまプリマー新書でスマナサーラ長老のタイトルを出版するきっかけを作ってくれた)石島裕之さん。

この新書がすごい!―目からウロコのいち押しガイド298 (洋泉社MOOK―ムックy)

この新書がすごい!―目からウロコのいち押しガイド298 (洋泉社MOOK―ムックy)

新書ブームのはしりの頃の企画で、すでに版元品切れ。数々ある「仏教入門」系新書の言説構造を近代インド学仏教学の成り立ちからひも解いて紹介した小論を寄稿。僕がテーラワーダに関わるようになる直前の原稿なので、まさに仏教の「門」から一歩足を踏み込もうという気持ちが反映されているような気もする。原稿の手直しのための打ち合わせを兼ねて、浅羽通明氏と田端のデニーズで朝食を御一緒させていただいたのも懐かしい……。

「孟子」は人を強くする (祥伝社新書129)

「孟子」は人を強くする (祥伝社新書129)

『「孟子」は人を強くする』 (祥伝社新書129) 佐久協

孟子』の主張の特色は三点に要約できる。
 一、自己の確立となれ合いの排除
 なれ合いによる事なかれ主義や自己忘却こそが諸悪の根源であり、政治改革を含むあらゆる改革は個人の力に目覚めた個人によって成し遂げられるという主張である。
 二、革命の是認
 国王がロクでもない政治を行い出した時には、もはや彼は「王」ではなくただの「賊」に成り下がっているのであり、臣下がこれを武力で倒したとしても不忠・不正には当たらないという主張である。
 三、民意の優先
 民の声を反映した民政優先の政治なくして国家は存立しえないという主張である。
 『孟子』の三主張によって奮い立たされた日本の若者たちは倒幕に立ち上がり明治維新を成功させたのだ。では、彼等が首尾よく権力をダッシュした後の一〜三の運命はどうなったのだろうか。
 革命家たちは新たに権力の座に就くと、自分たちより若い世代が一と二の思想を持つことを恐れて思想弾圧に乗り出した。当然のことながら、民衆に対する最大の公約だった三はホゴにされた。日本の明治維新も、中国共産党による革命もまったく判で押したように同じ過程をたどっている。その結果、『孟子』は社会の混乱期に急浮上しては、たちまち封印される「扇動の書」、「危険な書」としての悪名だけを高めることになったのだ(ヨーロッパでは、ルソーの『社会契約論』が同様の運命をだどっている)。
 現在の社会混乱は『孟子』の再登場を促しており、今こそ『孟子』の主張を「つまみ食い」ではなく完全履行すべき絶好のときであるのだ。
(序章 p19-p20)

本文では『孟子』の言葉を現代人との問答形式にアレンジして抄出し、訳文も現代日本の文脈に合わせてかなり大胆な意訳が施されている。著者は秋葉の大量殺人事件を期に、本書の出版を決意したという。孟子の思想を「いわば手つかずのままに残されている人類再生の最後の切り札」として紹介、孟子が唱えた政策は決して書生論ではなく、小国の滕(とう)で実施されて成果を上げていたとゆーことも強調する。だからつまみ食いではなく「完全履行」すれば、現代日本の閉塞感は必ず打開されるはずだと。

『サブカル・ニッポンの新自由主義』を読んだ後にこういうアジテーションに触れると、ちょっと微妙な気分になる。しかし孟子の教えは「おまえのをよこせ」という「動物的」革命主義からは程遠い。それは人間であることを通して人間の弱さを超えようとする聖人の道だからだ。

孟子の原文全訳としては、いまのところ入手しやすいのは岩波文庫だけか。

孟子〈上〉 (岩波文庫)

孟子〈上〉 (岩波文庫)

孟子〈下〉 (岩波文庫)

孟子〈下〉 (岩波文庫)

それから、

上記のHPでは、『孟子』全文を現代語訳で読める。『「孟子」は人を強くする』で気持ちをあっためてからチャレンジしてみるのもよいと思う。個人的には、岩波文庫は途中でめげる可能性が高いので、書き下しがどうしても読みたい人以外は、訳者のコメントも面白い鈴元仁's Website版を一読されることをオススメしたい。(中国古典読みにありがちなのだが、日本人の思想に与えた仏教の影響を全く無視してグイグイ比較思想論を進めるくだりは、あまりにも不自然で微苦笑せざるを得ないが……)

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜