海外布教に行く青年僧への言葉

秦運動具工業 座禅用座蒲 TCZ101

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禅宗系の研修センターに所属して、来年から海外布教に出かけるという二人の青年僧侶から取材を受けた。少し遅れて到着したスマナサーラ長老の言葉に、二人とも感銘を受けた様子だった。長老いわく、

いろんな宗教が海外に出て苦労するのは、儀式・儀礼・しきたりといったモノが邪魔しているからです。日本仏教で宗派ごとに拘泥している儀式・儀礼・しきたりなんかは、単なる文化的な「ころも」に過ぎないんです。外国にそれを持ち込んでも、拒絶されるだけ。その国にはその国で育まれた文化があるんです。ただ人の心の弱さにつけこんで、原始的な信仰を暴力的に押し付けてきた他宗教と違って、仏教にはきちんとした「教えの中身」があるんです。ですから、儀式・儀礼・しきたりといったどうでもいい「ころも」は全部おいといて、ただお釈迦様の、道元禅師の、教えの中身だけを持って、身体一つで出かけていけばいいんです。そして、赴任した国の文化という「ころも」のなかに、身体一つで運んだ教えの中身を入れてあげればいい。そうするならば、相手も何のことなく受け入れてくれるんです。お釈迦さまの教えは生命が幸福になるために役立つ教えです。だから、別に特別な宗教を教えてやろう、なんて思わなくていいんです。仏教はぜんぜん、宗教ではないんですよ。日本仏教は宗教かもしれませんけど、お釈迦様のもともとの教えは宗教ではないんです。たとえば日本でもみんな宗教は毛嫌いしますけど、坐禅することには何の抵抗もないでしょう? 坐禅して心を落ち着けて集中することは、宗教と関係なく、よりよく生きるために必要なことだからです。だって野球をするにも、勉強するにも、心の落ち着きや集中力は必要でしょう。だから、宗教とは関係なく相手に役に立つことを教えてあげるんだ、という態度でいれば、異文化の壁に跳ね返されることもないんです。禅を通して相手の国の人々に貢献するという気持ちが必要なんです。宗教を伝えるんだぞ、という肩肘張った態度ではなく、自分も相手も同じ人間なのだ、みんな平等なのだ、幸福になってほしいのだ、という気持ちで外国の社会に溶け込んでいけば、何も苦労することはないんです。