上座部仏教の思想形成

上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ

上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ

上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ
作者: 馬場 紀寿
出版社: 春秋社

お盆までに済ませなければならない原稿仕事が一段落して、気持ちが落ち着いたところで読み始めた。止まらなくなって徹夜して読了。『清浄道論』を編纂し、シンハラ語で保存されてきたパーリ経典の注釈文献を集大成したとされるブッダゴーサ(西暦5世紀初頭)の思想を、1:(釈尊の)成仏伝承の展開、2:修行体系の再構築、3:パーリ聖典の確立、という三つの角度から明らかにした画期的な作品。1と2は密接に関わっており、ブッダゴーサは主著『清浄道論』において、アビダルマ仏教の強い影響下で成立した有為法(苦・集・道)と無為法(滅)の両方を観察対象とする修行体系(四諦観察)を、諸条件によって構成された無常な諸法の観察(諸行観察、徹底した有為法の観察による無為法=涅槃への到達)へと転換した。これは上座部仏教の実践体系にとって微妙だが、極めて重要な宗教改革ならぬ修道改革につながったと、筆者は指摘する。3では、ブッダゴーサの「パーリ聖典の確立」によって、スリランカの一宗派に過ぎなかった上座部大寺派が仏教諸宗派の中でも特異な「正典宗教」としての力強さを獲得し、のちスリランカ及び東南アジア大陸部における主要宗教にまで飛躍し、現在テーラワーダ仏教上座部仏教)として、全仏教界を二分する大勢力となるにいたったことが論じられている。パーリ三蔵のみならず、準正典や注釈書も含めたパーリ文献と漢訳四阿含を比較することで、同じ原始経典をルーツとする漢訳阿含が、その伝承部派の教学発展や部派間の相互交流によってかなりの改変を受けてきたことも指摘される。むしろ、「全てのブッダの言葉」とされる三蔵(ティピタカ)の範囲を厳密に確定し、一切の追加・改変を許さない「正典」としたブッダゴーサの試みこそが、他部派・宗派と比して特異であったというのだ。とにかく、本書によって、はじめて解ったことばかりである。情報量に圧倒されるとともに、その論理の明快さに混濁した脳が整理されてゆく心地よさと一緒に読み進むことができた。いま自分が学び、いささか実践しているテーラワーダ仏教は、部派仏教の生き残りとして、大乗仏教と対置されることが多い。しかし、テーラワーダ仏教は、大乗仏教はもとより他のすべての部派仏教とも違う道のりを歩んできたのだという。その道筋をつけたのが、ブッダゴーサであったという。上座部の大きな功績は、釈尊の教えをよく保存してきたこと、とよく言われる。それはテーラワーダ仏教の保守性の現われとも鸚鵡返しのように言われる。しかし、事実はまったく反対だった。ブッダゴーサという偉大なる宗教改革者がいたからこそ、ブッダゴーサがスリランカ上座部大寺派を他のすべての仏教部派・宗派と異なる存在であるように導いたからこそ、釈尊の正風を伝えるパーリ聖典は遅くとも西暦五世紀の状態から改変されることなく、「正典」として完全に保存されたのである。テーラワーダ仏教徒も、大乗派も、通仏教主義者も、単なる仏教書好きも、ここは騙されたとあきらめて、一万円出してちょっとしかお釣りの出ない本書を購い読むべし。注釈も判読できるところは飛ばさず、ねっとり読むべし。「知識の汚れ」からの小解脱を幾度となく体験できるだろう。真剣に取り組んだ瞑想合宿からの復路なみに、いま僕の心は軽い。

※赤字部分、追記しました。