誰でもよかった?

『鈴木正三全集』(山喜房佛書林)にこんな話が載っていた。

ある人に聞いた話だが、師(正三)がまだ俗人(武士)だった頃、近くに「辻斬り(無差別通り魔殺人)」が趣味と吹聴する男がいた。ある時、師は彼に向って「おぬしは辻斬りをするというが、そんなのウソだろう。無差別に斬るなどできはしまい」と言った。男は「ふん、無差別にぶった切るだけさ」と凄んだが、師は「いや、無差別に斬れるわけがない。辻斬りなどできるものか」と引かなかった。それなら斬ってみせるさ、と男も言うものだから、二人で連れだって人気のないところに隠れ、通行人を待った。しばらくすると町人の二人連れが通った。男は「斬る!」と出て行こうとしたが、師は「やめとけ。斬るんなら、俺が斬れと言った奴を斬れ」と止めた。またしばらくすると、今度は位の高そうな威風堂々とした武士が通りかかった。その時、師が「そら、あいつを斬れ!」と命じると、男は「おい、お前なんてこと言うんだ!」とびっくりして、腰を抜かして一歩も動けなくなってしまった。師は「この腰抜け野郎め。無差別に斬るなどと大見栄を切っておいて、なんだそのざまは。自分より強くて偉そうな、刃向ってきそうな者は斬れないというなら、今後は一切、辻斬りなど止めろ。先ほどのような町人を斬ることは、尼さんや僧侶を斬るのと同じだ。侍たるものが、そんな人々に刃を向けるとは情けない」と散々辱めてやったら、その男も大いに自分の非を認めて反省し、腰の刀を抜くと刀身を叩き割って、以後、辻斬りを止めたそうだ。(現代語訳大意 出典:驢鞍橋 下139 鈴木正三全集279ページ)

通り魔で人を傷つける奴らは、判で押したように「誰でもよかった」と言う。「誰でもよかった」わけがあるまい。八王子の事件を知って、思い出したのは、「驢鞍橋」のこのエピソードだった。

〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜