パティパダー発送/イスラーム談義


ボランティアの皆様の力で、日本テーラワーダ仏教協会機関誌『パティパダー(paTipadaa)』7月号を無事発送。ウェーサーカ特集とあって内容的にはかなり充実しているが、校正ミスも目立った。表のブログにお詫びと訂正を載せておいた。enoさんとエジプト&イスラーム社会談義。昨晩新宿ブックファーストで「著者近影買い」してしまった『イスラームから考える』とwebに載ってるハディース和訳を肴に。

イスラームから考える

イスラームから考える

イスラームから考える
作者: 師岡 カリーマ・エルサムニー
出版社: 白水社

135 アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた。「老人の心も、生への執着と金への欲望の二点においては若いです。」日本ムスリム情報事務所>>200のハディース>>第十章: 欲望について

引用した上のくだりは笑ってしまった(太字:引用者)。大部分はなんだかなぁ……とゆー感じだが。

ちなみに最近、インドネシアで迫害されているアハマディア派は、日本でも活動してるんだね。

アハマディアは1889年にインドのハズラト・ミルザ・グラーム・アハマド師が創立したイスラムのコミュニティです。現在、アハマディアは180ヵ国以上に広がり、平和なイスラムを全人類に伝え、理解してもらうように宣教活動を行っています。

イスラム的な寛容とジハードの概念などを読むと、一般的なイスラム系HPとは全然違う見解が述べられている。

イスラムからの脱退
イスラムを信じても信じなくても自由というのが分かったと思います。さて、イスラムを信じて入信した人が、何かの理由でイスラムをやめる場合があります。それについて一体どうなるのでしょうか。このことに関してムスリムを名乗っている一部の人はは恐ろしい考え方を持っています。彼らは一度イスラムに入信して、その後イスラムを脱退する人の罰は死刑だと言っています。しかし、イスラムにはこのような教えはありません。イスラムを脱退しても、私たち同じ人間が与えるような罰はありません。イスラムを捨てるような行為に罰があるとしたら、これは神がすることです。イスラム教の人にはこのような罰を与える権限はどこにもありません。人々は自由にイスラムに入信することができ、また同じように自由にイスラムを脱退することができます。前節に述べた聖クルアーンの節(2章257節)を読めば、理解できると思います。(イスラム的な寛容とジハードの概念太字:引用者)

ほえー。中田考が読んだら激昂しそうな内容だ。この突き抜けた寛容さ(まぁイスラームにしては……ってことだが)は、イランで生まれたバハーイー教とも近いような感触を受ける。本拠地(パキスタン。バハーイーはイラン)で禁教令を出されたり執拗に弾圧されたりしてる所も似ているし。せめてこの日本では、自由に安心して信仰生活を送ってほしいものだ。心やさしいアハマディアの人々に平安があらんことを。