極楽寺殿御消息48,49

税理士さんとの打ち合わせなど。スマナサーラ長老のヴィパッサナー瞑想の実習DVD(地方小出版流通センター卸)に、以前の倍くらいのペースで注文かかるようになっている。

極楽寺殿御消息を49条まで書写。このあたりは女性について述べられたところ。自分の娘や女の親類に宛てて書いたものか、女性に対して平等に接するよう息子や男の子孫に戒めたものか、と解釈が分かれるようだ(まぁ、ふつうに読めば前者だな)。いまのところ、出版された最新の現代語訳である筧泰彦の訳(中世武家家訓の研究 1967年)でも、前者の意味に取っている。

中世武家家訓の研究 (1967年)

中世武家家訓の研究 (1967年)

しかしどうも意味を補いすぎている気がしたので、以下のように意訳してみた。

049:女の心をもつべき事、
一、女の心をもつべき事、むかしより今にいたるまで、女はやさしく、事ののびやかなるをほん(本)とせり。よく/\心得給ふべし。物をねたむ事、是を返々心せばき(狭き)とす。一河のながれをくみ、袖のふりあはせだにも多生のちぎり也。一夜のかたらひなりとも、先世のちぎりふかゝるべし。いまをはじめとおもふべからず。又えん(縁)つきなば、いかばかり契ふかかれ(深かれ)と申候とも、かなふべからず。来るも去も因果なりと心えてあるべし。されば心にはんゑんとて、せう/\おもはずなる事あれども、心ざまのよきにははぢ、あしきにははなるゝ也。物に心得やさしければ、男もはづかしくおもひ、いとをしみふかし。昔今ひきかけおほし、よそにて見るもきくもやさしきことに申候也。佛神もあはれみをたれ、今生後生めでたきなり。


現代語意訳
一、女性はどんな心を持てばよいのか。昔から今に至るまで、女性はやさしく、何につけても柔軟に生まれついている。この美点を忘れないようにしなさい。何かと妬み深いのは、心の狭いことだから気をつけなさい。男女の仲は、ひとつの河の流れを汲み、袖ふれあうも多生の縁というだろう。たとえこの世で一夜だけ男女の仲になる場合でも、前世からの深い因縁があるものだ。初めて会ったなどと思うものではない。また因縁が尽きてしまえば、どんなに一緒にいたいと願っても、別れることになるのだ。出会いも別れも、因果のなせる業だと心得ておきなさい。心は諸々の縁によってあるものだから、自分の思うようにならぬものだが、しかし心がきれいな女性のことは男も大切に尊重するし、心が汚い女からは男も自ずと離れてゆくものだ。女がやさしく接してやれば、男もその女への愛情が深くなる。昔も今もどこに縁があるかわからないが、その女性の評判を左右するのは、やさしさだよ。心やさしい女性はホトケサマ、神様もお守りくださるので、この世でもあの世でも幸せになるのだよ。

ちなみに48条では、

048:経文には、
一、経文には、女は佛になりがたきととかれたれども、八歳の竜女をはじめとして、女佛になり給ふ事、そのかず(数)をしらず。ことに女人は心ふかき性あるによて(*よって)、一ぺん(一遍)に念佛し、後生をねがひ給候はゞ、極楽往生うたがひあるべからず。

とある。現代語訳しなくても意味は解ると思うけど、筧氏が「ことに女人は心ふかき性あるによて」を「ことに女は生れ付き執念深い性質をもっているから」と訳しているのはちょっと面白い。これと決めたらぶれずに追いかける性格を修行に応用すれば、男女問わず結果を出すことができるだろう。

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