仏教は「楽学」です

14:00からスマナサーラ長老の「ヴィパッサナー瞑想と法話の会」を開催。質疑応答の法話からちょこっとダイジェスト。メモしたときの解釈がかなり入っているけど。


仏教は「楽学」です


うつ病とは、頭を使っていないことです。
人間の心は、いつでも一休みしたがるのですが、それをさせてはいけない。
大学に受かると、就職すると……という具合に、「休みたい」には各人にサイクルがあります。
ああ疲れた、一休み、となって、そこから戻れなくなるのがうつ病です。
休みが長くなると問題なのです。
脳には一休みが必要ないのです。休むと、かえって壊れてしまいます。
脳細胞は休むものではないのです。
うつの人は、休むことで脳に必要な栄養を与えていないのです。
それは食べ物でも、薬でもありません。さて何でしょう?


好奇心?リラックス?興味? どれも、微妙にあってます。
正解は、「楽しみ」です。
つねに楽しくいないといけないのです。
脳には、「楽しみ」という潤滑油をかけてあげないと動かなくなるのです。


たとえひどい目にあっても、その状況を楽しまなくてはならない。
それが大切です。人の心がポジティブ方向に回転するには、楽しみが必要です。
また、堕落の方向に行くのも、同じ法則です。
人が堕落するのも、楽しみを追っていることなのです。


悪いことをする人も、それが楽しいからやっているのです。
世間の楽しみは、とどのつまり「みだらなこと」です。
戒律で「みだらな行為」として禁止するほどのものではない。
しかし、ちょっと乱れることが楽しいと思っているのです。


だから「楽しみましょう」と聞くと、私たちは、ちょっとヤバいと思ってしまう。
(みだらな行為が楽しみと思っているからです。)


そういう俗世間の楽しみを、ブッダは「愚か者がそれが楽しみだと思っているところの苦である」と言うのです。
釈尊は、みだらな行為を離れ、整理整頓することに楽しみを見出しなさいと仰っています。
みだらな行為を楽しむのを止めて、品格よく生きることを楽しむのです。
相手が悪い気分にならないように工夫してみるのです。
そのように人生を変えてみると、人生は楽しいのです。


何をしても、「あ、面白い」と思うことが欠かせません。
面白いという気持ちともに、「これは大事なことである」という真剣さも必要です。
いいかげんにしていいこと、どうでもいいことは何もないのだと。
でも、神経質になったらアウトです。楽しさがなくなるのです。


リラックスして、「これでOKだ。うまくいった」と(喜びを感じることです)。
楽しみを感じるためには、何を見ても真剣にやる。
決して、なげやりにしないこと。
相手の評価は気にしないこと(プロの大変さが素人にわかるわけがないでしょ!)。
常に明るくいることが先決で、生きるために欠かせないのです。


面白い、という気持ちが現われると、脳に休みが要らなくなります。
うつ病って何のこと?というように、明るく生きられるのです。


仏教にはそういう「楽学」があるのです。
副作用はまったくない、人をどこまでも発展させて、解脱という最高の幸福にまで導いてくれる、楽の成長の教えです。


〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜