長野に行ってきた

25日深夜、家内がネットで連絡を取ったTさんの車に便乗させてもらい、Aさんと計4名で五輪「聖火」リレーが行われる長野に向かった。関越道では中国人留学生を載せた数十台の観光バスと遭遇。だいたいのバスの前方には赤いジャンパーを着た人が座っていた。先導役だろうか?途中のPAで休憩した際も中国語しか聞こえない。「こんなにたくさんのバスを追い越したのは初めて」とTさんもびっくりされていた。


午前4時過ぎに長野に到着したが、駐車場から外に出ると、まだ薄暗い街に続々と観光バスが到着。リレースタート地点はすでに真っ赤な五星紅旗が林立していた。中国系IT企業からの支給品とのことだが、その旗の大きなこと!わすか数本振られているチベット旗は後方におし込められ、巨大な赤旗で覆われてしまっていた。


そのまま善光寺に向って歩くと、西方寺という浄土宗のお寺に、チベット仏教のタンカが掲げられていた。
午前五時から、在日チベット人の方とチベット争乱犠牲者の追悼法要が行われたそうだ。


善光寺にお参り、その静謐で落ち着いた雰囲気に触れて、私たちが守るべきなのは、このような場所、いやこのような場所で感じる穏やかな心なのだなと思った。


それから長野駅前に移動すると、チベット支援派(のうち主に民族派の人々)の一群が五星紅旗の一群に激しいシュプレヒコールを浴びせていた。支那人は…とか差別的な文脈で使っていたのは(支那という言葉自体は差別語では有りませんが)違和感を覚えた。そのうち、一部の人が中国人留学生に向って突進して、警備陣に止められる場面も見られ、善光寺の静謐とは対極の雰囲気に考えさせられるものがあった。数では、大量動員された中国人留学生が、個人参加がほとんどのチベット支援者を圧倒していたし、その組織的な動きは見事だった。


ただ、群衆ははっきり二派にわかれていたわけではなく、Free Tibet!を叫ぶなかにも中国国旗が振られ、中国国旗のなかでもチベット旗が振られ、それを誰も邪魔してはいなかった。県庁前のデニーズで朝食をとったが、中国人留学生からすれ違いざまに「がんばって」と言われる。別に他意があるわけでもなく、僕も「(そっちも)がんばって」と答えたが万事そんな感じ。決して長野の街が険悪な雰囲気に包まれていたわけではなかったことは、現場のはしっこにいた者として証言しておきたい。

朝食を終えてからふたたび善光寺へ。参道でHさんと偶然出会う。ちょっと遅刻気味に、善光寺本堂でのチベット争乱犠牲者への追悼法要に参加した。上空で多数の報道ヘリが爆音を響かせるなか、犠牲者の出身地を読み上げ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、の念仏で響く。法要が終わった後、高野山真言宗の十数名の僧侶が内陣の縁沿いに座って般若心経と光明真言を唱えている様があまりにかっこよく、聞き惚れてしまった。(追記:以下、法要の様子を写した動画。オーマイニュースより。善光寺僧侶とチベット人の温かいやりとりが泣ける……)


The torch relay will begin! At the time of Zenkouji

善光寺のお坊様からチベットの人達への言葉
2ちゃんねるからコピペ)

ご苦労をね、皆さんされている中でね、
よくその清らかな心を保って、今日までお越しになられたと思います。
とても難しいことだと思います。

色んな目に会いますとね、悔しい気持ちとか憎む気持ちとかでね、
心が変わってしまって、濁ってしまって、顔が変わってしまって、
願いも変わってしまいますね。

でも、皆様方そうじゃないですね。
まだまだ清らかな心で優しい心をお持ちになってて、
それで努力されていらっしゃいますから、
さらに尊いことで、さらにご苦労だと思います。

皆様がたのお姿をとおして私たち日本人も
今回いろんな事を学んだと思うんです。
これからのご縁だと思います。よろしくお願いします。


本堂から外に出るとすでに雨が強まっていた。チベット旗と仏旗を持って長野の町を歩いたが、「聖火」リレーには遭遇できなかった。長野駅前はリレーの間じゅう、盛り上がっていた。遠方からやってきたからか、中国人留学生は、リレー途中の午前中でも続々とバスに乗って帰っていた。担当エリアが決まっていたのだろうか。学生の他、中国人は親子連れもけっこういて、五星紅旗の小旗を握った男の子をスーパーのトイレに連れて行くお父さんの姿など、微笑ましい光景に何度もでくわした。フリーチベットの人々も親子連れが何組もいた。

休憩のため立ち寄った喫茶店で読んだ新聞(朝刊)には、中国政府がダライラマ法王との対話を表明との記事が大きく載っていた。長野だけではなく、全国でチベットの自由を求める人々が行動を起こした日だった。東京のミャンマー大使館前では、軍政が画策するインチキ憲法への賛否投票を禁止された民主派の人々が、激しい抗議を行っていたという。ちなみに、ミャンマー軍政の最大の後ろ盾は中国政府である。

「聖火」に遅れて若里公園に入ると、中国人は帰ってしまって、チベット支援派が総括集会を開いていた。今回気づいた事といえば、2008-03-22の六本木のデモでは、チベット旗と並んで仏旗がたくさん振られていたが、今回は中国の五星紅旗チベット旗がほとんどで、仏旗を持っていたのは、修験道グループの一団と自分くらい(管見では)だった。あと東トルキスタンの旗も散見された。面白かったのは日本国旗の扱いで、民族派の人々だけではなく、中国人留学生グループも振っていたので、旗のメッセージは相殺されていた。旗といっても、関係性の中で意味が刻々と変化するのだ。

チベット支援運動から仏旗が消えてしまったのはなぜだろうと怪訝に思ったが、一部とはいえ争いのちまたになってしまった沿道にブッダの旗は似合わなかっただろう。善光寺が「聖火」リレースタート地点をボイコットした事、空虚なリレー式典に合わせて厳粛なる追悼法要を執行したことで、仏教界は充分なはたらきをしたと思う。自分もまず最初に善光寺にお参りしたことで、終日落ち着いた穏やかな気持ちで過ごせたのは幸いだった。

Tさんに諏訪まで乗せていただき、片倉館で湯につかってから帰京した。

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜