佛子行三十七頌

2008-04-12 に紹介した、中国若手知識人、梁文道によるシャープで誠実な論説「チベット問題の最大公約数を探る」は次の言葉でしめくくられていた。

 私はテレビで一部の青年僧も先月の事件に参加したのを見た。そして石と棍棒を握っていたのを……彼らの怒りを私はできるだけ理解したい。ここに13世紀の偉大な修行者嘉瑟・戊初・東美の「菩薩行三十七頌」の一部を引用させていただき、チベット人と中国人の真正の和解を祈ろう。
「たとえ人が口汚く私を罵り、千万世界のあちこちに言いふらしても、慈悲により、私はその人の功徳を賛美しよう、それこそ菩薩の修行である」。
「大きな集会で、人が侮辱的な言葉で私の隠れた欠陥を暴いても、恭しく彼に礼をし、法友とみなそう、それこそ菩薩の修行である」。
「私が生まれたときからかわいがってきた人が私を敵とみなしても、母親が病気の子供に接するように一層彼を愛そう、それこそ菩薩の修行である」。
「もしある人が私の頭を切ろうとしたら、たとえ私に少しの誤りもなくても、慈悲心の力で彼のすべての悪行を担おう、それこそ菩薩の修行である」。

ここで引用されている「菩薩行三十七頌」なのだが、たぶんこれ、チベット仏教サキャ派の無著賢(Thogs med bzang po,1295-1369)がものした『佛子行三十七頌』のことらしい。チベット仏教圏ではけっこう有名みたいだが詳しい事はよくわからん。(誰か知っていたら教えて下さい)

初期仏教から伝わる三十七菩提分法の三十七という法数だけ借りて、菩薩道の精神を説いている。漢訳が新しいだけあって、内容もわかりやすい。いかにも大乗仏教的なところも散見されるが、

35、煩惱串習則難治,勇士明持正念器,
  貪等煩惱初生時,即摧壞是佛子行。

深く根を張った煩悩を断つのは困難だけど、勇猛なる求道者は正念正知を武器として、
貪り・怒り・無知の煩悩が生じた瞬間、即座にこれを叩き潰す。これが仏教者の行いです。


36、隨於何時行何事,應觀自心何相狀,
  恒系正念興正知,修利他是佛子行。

いつでも何があっても何をしていても、自分のこころのありさまを観察して、
つねに絶え間なく正念正知を起こし、利他行に励む。これが仏教者の行いです。(てきとー意訳)

のように、初期仏教の修行をする人に役立ちそうな格言も載っている。


チベット危機に関する平和的全面解決を求める日本政府に対する公開書簡への賛同者を募っています。立派な提言だと思います。私は署名しました。皆様もぜひ!


〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜