チベット声明から一週間

日本テーラワーダ仏教協会が、チベット問題についての声明を出してから一週間が経った。宮崎哲弥氏の賛同表明など、アクセス数はたいしたことないものの、それなりに反響はあった。(中国語訳の送付など、まだやることは残っているが)声明のコメント欄で、協会の声明が在家者代表の名義になっている理由や、社会運動に対する出家者のスタンスなどについて質問があったので、私見を述べておいた。以下、備忘を兼ねて転載しておく。

うめざわさん

日本テーラワーダ仏教協会は出家サンガの助言と指導を受けますが、役員その他は在家(大乗のお坊さんがいたとしても、戒律上は在家)で運営しています。ですので、声明を出す場合も在家の代表名義になります。

出家サンガとしてはどうなんでしょうか?一時出家したことのある立場で推測すれば、基本的に個人個人の判断になるのではないでしょうか。出家らしく上品に、と心がけても、世俗的なことに関わるのですから、あとで三宝に懺悔することにはなるでしょう。

宗教者は世俗的なことに関わるな、ということよりは、「世俗的なことに関わることを正当化するな」という姿勢が大切だと思います。自分が過ちを犯したとしても、自分の失敗を正当化するために教えまで汚してはいけない、ということです。

情勢が完全にクリアになっていない段階で政治的な発言・行動をする場合は、当然リスクが伴います。よかれと思ってした行動が、思わぬ反作用をもたらすこともあるでしょう。

例:チベット仏教徒を支援する運動が、中国人への民族的憎悪を煽る輩に利用されるとか。

実際にそういう傾向も散見されます。協会の声明にしても、「仏教徒が、仏教的にこの問題に関わることで、そのような堕落を食い止めて欲しい」という願いも込められています。

問題は、木村泰賢(稀代の仏教学者)が80年以上前に指摘した、

「…総じて仏教運動に欠けている大事な要素がある。即ちそれは思想的立脚地の確定し居らぬことである。換言すれば仏教運動と称しながら実は仏教思想をいかように体系づけ、之をいかように現代的に実現するかの根本方策を欠いて、ただ漫然と仏教主義とか仏陀の精神に基づいてとかいうが如き表幟を以てすることである。」(『祖国 PATRIA ET SCIENTIA』創刊號 學苑社 S3.10.1)

という仏教者の社会運動の問題点が、果たして克服されているか、ということです。これはかなり怪しい。チベット問題への対応はその試金石になるのではないかと、自分も渦中に居ながら思っている次第です。


チベット危機に関する平和的全面解決を求める日本政府に対する公開書簡への賛同者を募っています。立派な提言だと思います。私は署名しました。皆様もぜひ!

〜生きとし生けるものが幸せでありますように〜