名古屋初期仏教デー/子預け祈願/ゲゲゲの女房&朝青龍

名古屋市笠寺の日本ガイシフォーラムで開催された「名古屋初期仏教デー」に参加。スマナサーラ長老の法話と冥想の会。70名ほどが参加。法話は七覚支の実践について。

以下、スマナサーラ長老の法話のメモ。サティの実践(念覚支)に触れたさわりのところだけですが……。法話は編集してDhammacastで公開したいと思います。

人間が生きるの楽ではありません。

生きるための能力が必要です。動物の社会でも生きるための能力を使って、問題解決しつつ生きているのです。
人間は、欲望がありすぎて、妄想がありすぎで、自分の「能力の器」に穴を開けています。
それで、いままで出来たこともできなくなる。持っていた能力もなくなる。
人生の歯車が狂ってしまう。そういうことは、珍しくありません。

世のなかでは「何でも出来る人」が偉いと思いますが、やたら何でもやろうとする人は無知な人です。
器用貧乏は落ち着かないのです。ひとつの仕事に集中できないから、人の役にもたちません。
……
時代に、社会情勢にあわせて、新しい能力開発することは、生命に必要な能力です。
その能力があればなんとか生きてられます。
だから、幸福祈願ではなくて能力向上をするべきです。
仏教はそのためにあります。人の持っている能力をとことん向上させるのです。

俗世間では「能力」というと仕事中心に考えます。
それはとても狭い見方です。
人間としての向上はない。ただ身体の動かし方を習うだけです。
仕事から離れたら役に立たないから、環境が変わると生きられくなってしまう。

ブッダは、人間としての能力の向上を説くのです。
未熟なままで生きたら失敗だらけです。
輪廻のなかに居つづける限り、「過去」と「未来」という迷路からは抜けられません。

「いまの自分」に気付くことで、ありとあらゆる能力が向上します。
妄想を止めるために、精進するのです。
精進して、心を逃がさないようにする。いまの瞬間につけておくことです。

もうひとつ。
「生きるとは何か?」という究極的問題に答えを出しましょう。
世のなかでは、その問題に答えを出さずに、「何のために生きるのか?」という二次的な問いに走ってしまう。
まず「生きるとは何か?」を調べない限り、「何のために?」という問いは成り立たない。
そこで、生きるは何かと客観的なデータを取ることが必要なのです。云々

次回は4月6日(日)に同じく日本ガイシフォーラムで開催予定。
東海の地で「花祭り」にちなんで釈尊の教えがこの世にある幸せ”をお祝いする計画中。


ところで、笠寺の隣の熱田には草薙神剣を奉る熱田神宮があって、その境外摂社高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)、高座さまと呼ばれる古い神社がある。この高座神社は「子預け祈願」の神としても知られている。幼児の無事成育と虫封じとを願って、十五才まで神様にお預けし、お守りをいただき、満期十五才になったらお礼参りするという信仰だそうだ。境内の説明によれば5万人以上の子供の台帳があって、毎月一日に無事生育の祈願祭りを行っているとか。また、この期間は、「神様にお預けした子供だから、頭をたたいてはいけない」とも言われているそうだ。育児ノイローゼなどで、どうしても子供に手を上げてしまいそうになって悩んでいるお母さんは、この高座さまにお参りして、我が子を「お預け」してみたらどうだろうか。ちょっと、気持ちが変わるかもしれないよ。こういう民間信仰のやさしさって、なかなか尊いものだなと思う。

往復の新幹線で読んだ本。

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房 人生は……終わりよければ、すべてよし!!』武良布枝実業之日本社
水木しげる先生の奥さんが鬼才と歩んだ半生を綴ったエッセイ。「家内は、「生れてきたから生きている」というような人間です。それはスゴイことだと水木さんは思う。」(帯)という水木先生の言葉が、「人生は入り口で決まるのではなく、選んだ道で「どう生きていくか」なんだろうと、私は思います。」という著者の言葉と響き合って、心に染みてくる。装丁も、帯とカバーのバランス含めて素晴らしい(太い帯の本からは税金取れ!)。水木先生の深い愛情を感じてしまった。

朝青龍はなぜ強いのか?―日本人のためのモンゴル学 (WAC BUNKO)

朝青龍はなぜ強いのか?―日本人のためのモンゴル学 (WAC BUNKO)

朝青龍はなぜ強いのか?―日本人のためのモンゴル学』宮脇淳子(WAC BUNKO 77)
ウヨな親父御用達かと思いきや、時々佳作を出版するWACから、大収穫の本。隅から隅まで刺激的な一冊だ。モンゴルから世界史を眺めなおすと、その眺望が一変する。ごまかしのないリアルな「世界史」が立ち上ってくる。あ、世界史ってホントにあったんだ、と啓蒙される。ものの見方のフレームそのものが気持ちよくぶち壊される。著者(岡田英弘氏の妻でもある)の本は初めて読んだが、平易な文章にしてその博覧強記ぶりはすさまじい。モンゴルを語ることとは、まさに「世界を語ること」なのだと気付かされる。著者によれば、日本はユーラシア諸国の中で、支配層にチンギス・ハーン一族の「血」が入らなかった希有な例らしい。しかし本書で紹介されるモンゴル人の自由な精神は、現代日本人がもっとも必要としている美徳ではないかとも思えてくる。

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