善行為は「ステップ・バイ・ステップ」で

かやの木会館にてスマナサーラ長老の月例講演会が開かれる。会場は立錐の余地もないほど。受付のEさんが「(かやの木講演では)これまで一番多いのではないか」と言っていた。

hohiのPali語学習・作業記録
善行為は「ステップ・バイ・ステップ」で 〜「ひとつひとつ」の達成感〜

hohiさんが例によって正確なメモを取ってくださったので、ご一読下さい。
僕もAdvanced/W-ZERO3 esで途中から親指メモ取ったので、一応載せておきます。


*善行為はステップバイステップ

一般的に世の中で思っているのは、何でも「一発でやりたい」ということ。
それがありがたいと「才能ある人」とは、「早く一発でやる人」のこと。
しかし、そんなこと世の中でできますか?
できないけど、夢だけはあるのです。
早くやりたい、一発でという夢で、持ってる能力も発揮できなくなる。
そこで大失敗する。
私たちは「怠け者」ですが、それを認めないで「自分だまし」をします。「怠け」も自分だましなのです。
願望だけで、ものごとに集中できないから、何でも中途半端で終わってしまいます。


*人は矛盾だらけ

「怠けたいけど努力します」も大きな矛盾
動物は怠けるだけ。人間はだます当てにならない。
社会全体で見える矛盾は「怠け矛盾」の結果です。
自然破壊も大きな矛盾(「温暖化問題」は商売ですが)。
壊したい放題壊す。でも、後の結果を考えない。
心の中に怠けがあることを隠していたら、人類に未来はありません。
仏教の話を聞いただけでは変わらない。
心の無知の壁は厚いのです。


*思考の怠け

怠け者は妄想する
怠けがあるから論理的に具体的考える時もどこかで脱線する。
思考そのものが間違っている。
誰かのアイデアに乗る。自分自身に閃きがない。新しいアイデア現れない。
怠けがあると心が動かない。疲れる。
「やりたくない」という気持ちがいつでもある。
脳の怠けが入ると新しいアイデアが出てこない。
ワンパターンで生きているから失敗する。
昨日の生き方で今日は生きられない。
人生は前に進むしかない。そういう能力が必要です。
「必要不可欠の能力」がないのが、私たち。
生命には日々使うひらめきが必要なのです。


*思考はなまけ菌で感染

考えたり計画をたてたりすると、あまり「時間と空間」の問題を配慮しない。
生家の影響ですべて「もの」として考える。
「成功・利益・結果」など停止した「もの object」としてとらえる。
時空の関係を無視する。
結果を出そうとすると、「結果」は「もの object」としてとらえる。
「資格を取る」「仕事を得る」「結婚相手をゲットする」というように。
すべては「とるもの」になっている。
人生は「手を伸ばしてリンゴを取る」ことと思っている。
それに気づいてない。
「なろう」ではなく「取ろう」という発想なのです。
取る……場合は時空関係がない。
なる……場合は時空間系がある。
固定して、変わらない「もの」として考えることは全ての問題です。
固定した変わらない「もの」は一つもない。
(固定した変わらない「もの」を前提とした)人の思考はすべて間違っている。
思考はあまりあてになりません。時間・空間のことを無視しているからです。
「おいしいおにぎりがある」というのは間違い。
時間と空間のことを言ってないから。
「12時まで美味しいおにぎりがテーブルの上にあります」と言わないといけない。時空関係がないと言葉に意味がなくなります。


怠けの誘惑で、何か資格を取れば「成功」という勘違い。
そのため不正までする。「もの」の思考の弊害です。(資格にふさわしい人間に)なる思考でないと世界の迷惑です。


*仏教は時間という次元を何より重視する

object&event

objectは固定した変わらない「もの」です。
eventはイベント、成り行きです。

イベントはその瞬間だけの成り行きで変わって消えていく。
すべての事象もイベントです。
催しものもevent、駅舎もevent、私もevent。objectものではない。
人にはわずかな出来事以外、すべて「もの」です。
隅田川の花火大会にはいつからいつまで、どこで、という時空関係が成り立つ。
例:結婚披露宴はevent
時空関係が成り立っているeventは楽しい。
あなたもevent、あなたがなりたい社長もeventです。
今の「時間」であなたというeventを、別な「時間」別なあなたというeventになるまで、変化させなくてはならない。
国王を毒殺すると王太子が王になるが、一般人が国王を暗殺しても大反逆者として裁かれるだけ。
しかし、王太子というeventの次のeventは国王です。一般人でも反乱軍を組織して国民の支持を得てから国王を暗殺すれば、自分が王になる。
eventを繋いで繋いで、その都度人格が変わっていって、王というeventに達する。
人生で様座まな目的に達したい人はすべては「もの」ではなく「event」であることを理解しなくては。
結婚披露宴、学園祭、忘年会などを成功させるやり方で仕事にも取り組む。はるかに成功率が高いはずです。


*詳細に分解する。

「成りたい」目的などを分解する場合は「時間」という軸で行うことです。
5年で社長になるとすれば、その日まで日割りして、今日すべきことが見えてきます。
愚か者は、今日やるべきこと以外のことで悩むのです。
明日は解らない。でも、今やるべきことは明確に知っているはず。
成功者は、「いまここでおこなうべき」ことのみ行うのです。
『日々是好日』は仏教が仏教が推薦する成功への道です。
大解脱にさえ達する方法なので、俗世間の成功はどうってことない。
仏道は勝利の道です。
今個々で行うべきことを行う人は充実感を感じます。
怠けてないことで楽しみを感じるのです。
考え込んだり悩んだりする暇、余裕が無い。つねに活発に生きる。
イデアがどんどん出てくる。
過去に囚われない将来という妄想の病にかからない。


*無常と因縁という聖なる真理

真理・事実にもとづく生き方のススメ
観念・妄想・感情・希望ではなく、具体的な事実に基づいて堂々と生きる。
ここまで話したのは無常と因縁の話です
eventとは「無常」のこと
一切はものではなくeventだと観ることは、「一切の現象は無常である」とありのままに知ること。


さっべーさんかーらーあにっちゃー
諸行は無常です。


今あるもの、いまいる自分、いまにいる他人すべては「今」という時間に起きているできごとeventです。
eventはもとに戻らない。先へ先へ進むだけです。


*因縁は現象を作る

今という現象は様々な因で条件で一時的に成り立っているもの。
因縁性がない現象は成り立たない。
無常ならざるもの、因縁によらないもの、イベントにならないで固定した実体(もの)ありえない。因縁だから無常だからこそ、何事も変えられる。


*因縁を知ると道が定まる

因縁を配慮すると、「何になれるかなぁ」とわかる。挑戦すべきこと、してはならないことなども見えてくる。優柔不断なくなる。わけもわからず人生をさまようことなくなる。時間の無駄と怠けなくなる。

ブッダの最後のしつけの通りに生きられる。

わやだんまーさんかーらーあっぱまーでーなさんぱでーた
壊れるものだよ現象は。不放逸で修行を完成なさい。


*怠け者は一発逆転を狙って負ける

順番通りの道で解脱に達する道とは?(以下、M.II.480キーターギリ経より)

順番通りの学び、実践、道とは何か?
師に対して信頼が出来たら仲良くする
耳を傾けて法を聴く。
聞いた教えを覚えておく。覚えた教えの意義を吟味する。
吟味して教えに対して納得する。
真理に納得したところで意欲が生じる(やる気)
意欲が生じたら励む
励んでは比較してみる。比較してはさらに精進する。過去の自分と比較して計りながら。そうでないとやる気なくなる。過去の自分と今の自分と天秤にかけるとよい方向に変わっていると解る。
精進すると自分自身で最勝たる真理を経験する。智慧によって真理を知り尽くす。
あの「信頼」がなければ何も起こらない。


*理性があると結果は早い。

たった4行の教えであっても、それを聞く理性のある人は間もないうちに真理に達するということはあります。
(しかしこれも一発逆転ではない。すごく早いけど)


*師匠を信じられる?

ブッダの時代も宗教詐欺はたくさんあった。人を信頼するときは徹底して気をつけるべき。しかし師を信頼しないと先に進めない。
ブッダは自分が信頼に値するとあらゆる機会に言う。人間は矛盾だらけだから善友はいない。ブッダが善友である。

俗世間的利益だけ狙って開祖になる人もいる。
その人の弟子でさえ、これこれをすれば、我らにもこれこれの利益があるでしょうと思う。
しかし釈尊はみじんも利益を求めない。利益にみじんも染めない。俗世間の利益はクソである、と明言する。
だからこの教えを信頼した方がよい。


純粋に憐れみをもって語られるので仏説は信頼に値する。
信頼する弟子はこう思う。
「世尊は師匠です。私は弟子です。世尊は知っている。私は知らない」と。
どんな苦労があっても結果でるまでやりとげようと励むのです。


*確固たる結果

信頼を起こし、励む弟子には二つの結果ある
今世で解脱に達するか、不還果か、です。

キーターギリ経おわり。


質疑応答のメモ

師と親しむこと
まず信頼が大切です。しかし信仰は危険。世の中の人が「信頼」に値するかも怪しい。だから信頼する前によく調べることです。それから、信頼した人に親しんでよく聞くこと。仏教はいつでも人の自由を守ってあげる教えです。

怠けに克つ
人には誰でも「怠け」がある。それをなかったことにするから治らなくなる。認めることから始まるのです。

因と縁について
望む結果を得るためには必ず因を変えないといけない。因縁という時、因は無数。縁(条件)はアビダルマでは24。龍樹は4と言っている。

如理作意の育て方は?
いろんな行為をしつつ、もの(実体)としての自分は錯覚であると気づいていくことです。自我意識という錯覚を削っていくのが善行為。マンネリでまた新しい自我意識が生まれてくる可能性ある。自分の思考は信頼しない方がいい。ブッダを信頼して進めば完璧に安全。俗世間の善は不完全。善をするなら、ブッダに聞いて一つ選んだ方が安全。

怒りも「もの」思考から
「もの」で見ると、自分で観念を作ると怒りが出てくる。「イベント」で観ると怒りが出てこない。

悩みは禁物
判断しようとすると参ってしまう。その瞬間にすべきこと、時間と空間のなかで自分というイベントが何をすべきか。まず悩むことをやめないと。すべてイベントとして観てみれば。

夢とは何か?
夢は単なる妄想の一種です。

以上

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